不死者と武人-1
それから、カルロが要件を済ませた後、馬車に戻ろうと俺たちが歩き出した時、ふとセレインが、遠くの何かを見つけた。
それは、人だった。だぼだぼの白のキャミソールを着ており、ぼさぼさの長い髪に、気怠そうな顔をしている女性である。女性は時たま遠方から聞こえてくる、仇魔の咆哮をまるで意に介さず、平静とした様子で森の中を歩いていた。
まさにその堂々とした佇まいから、炎命者であることは直ちに予想出来るが、しかし万が一という事もある。彼女は街を追い出され、凄まじい幸運によって仇魔に襲われなかった、唯の人間なのかもしれない。そう危惧した俺は、カルロをセレインに任せ、あの女性の元へと走り出した。
すると、女性の足元の地面から、オオクワガタのような、女性の身長ほどはある大顎が飛び出した。彼女の反応はというと、動じはしないが、抵抗もする気配が無い。炎命者か、唯の人間か、瞬時に見分けがつかなかったので、俺は炎命者の力を使い、彼女を助ける事に決めた。
特に足に力を込めて跳躍し、一言、返事を聞くつもりのない断りを入れてから、すぐさま彼女を抱きかかえると、セレイン達の元へ再び跳ぶ。仇魔は追ってこなかった。女性は少し驚いたような顔した後、すぐに興味深そうな笑みを俺に向けた。
「……綺麗な人だな、タラシ野郎」
カルロは、女性を抱きかかえている俺を見ると、分かりやすく不満気だった。
「森で仇魔に襲われていたんで、咄嗟にこうしたんだよ……」
「じゃあもう下ろしてやんなよ!何もご大層に太もも触り続けてる理由も無いだろ!」
ごもっともである。余りに女性が何も言わないので、頭から抜けていた。言い訳がましい事であるが。すみませんでした、下ろしますよ、と俺が彼女に言っても、特に返事は無かったので、そっと慎重に下ろした。
「……しかし、森に一人でいらっしゃったのなら、トキトさんが助けなくとも……」
「炎命者だろうから、か?」
「ええ」
セレインは小首を傾げていた。
「それは……結局、どうなんです?」
「どうだかね」
女性に聞いてみたが、返ってきた返事は、素っ気ないものだった。
「ミステリアスな人というわけか、素敵だなぁ……」
カルロは恍惚とした様子で頷いた後、女性に向かって、キリとした表情で話しかけた。女性を口説こうという下心が透けて見えるような、いつものカルロの話し方で。
「しかし美しい方、もしも貴方が炎命者で無いなら、貴方の旅は過酷しか無いでしょう。どうか、私達と共に旅を。如何ですか?」
カルロの提案を聞いた女性は、顎に手を当てながら、少し考えた様子を見せると、やがて妖しく笑った。
「良いよ。少しの間だけ、ほんの戯れに、な」
「嬉しいお返事です。私はカルロ。失礼ですが、貴方のお名前を伺っても?」
「タムア」
そう女性が名乗ったので、俺とセレインも続くと、タムアは伸びをしながら聞いてきた。
「で、その旅ってのはどうやって移動してんだ?歩きか?」
「いえ、馬車です」
「ふうん、そりゃまた風流じゃねえか」
大あくびをして、肩を回すタムア。彼女は非常にマイペースだ。異性の目を気にしている様子も無い。そんなタムアを、カルロは、飾らない様が良いんだ、と言っていた。
そして、カルロが吃りながらもタムアに話しかけ、タムアはあまり興味なさそうに聞いている、といった光景を、まあ頑張れよ、と緩い気持ちで見ながら、俺たちは馬車に向かって歩いた。
「おや、おかえり」
少しして、馬車の所へ辿り着くと、アーシエが一人、馬を優しく撫でていた。荷台からは、人影を感じない。
「他の皆は?」
「食料を取りに行ったよ。ミカノも一緒だからね、毒のある物は見分けてくれるから、安全さ……味は保証されてないけど」
そう笑ったアーシエは、一切此方を振り返らずに、こう続けた。
「それで、その人は?新しく一人増えているようだけど」
「え、ええ、タムアさんです。炎命者じゃ無いみたいで。少しの間旅をする事に決まって……大丈夫でしょう?」
アーシエの、視覚に頼らない、高い気配察知能力、とでも言えばいいのか、とにかくそんな様子に、カルロが改めて驚きながら、言葉を発すると、アーシエは少し真剣な顔をして、此方を向いた。
「いや、その人は炎命者だろう。身に纏っている雰囲気が違う……何か隠す理由でも?」
「特に。炎命者かそうでないかで待遇が変わるなら別だが」
タムアがあっけらかんと答えると、アーシエは笑った。
「いや、変わらない。変な事を聞いて悪かったね。狭い馬車内で良ければどうぞ」
「狭いって、スペースの問題か?人数の問題か?」
「うーん、人数関係ですかね……」
セレインが答えると、タムアは少し顔をしかめ、頭をかいた。
「人混みはごめんだぜ」
「いや、思ったほどじゃありませんよ」
「だといいけどよ」
俺は、前の世界の、嫌がらせのように人が敷き詰められた、満員電車を思い出しながら言った。もしかしたら、俺の人混みのハードルというのは、結構高いのかもしれない。