悪魔なシスター-4
高らかに、ガスフォードの笑い声が、辺りに木霊すると、奴は高く掲げた杖を、勢いよく振り下ろした。雷鳴と共に、雷が降り注ぎ、迸る稲妻は、俺やユイだけではなく、奴の、贅を尽くした家ごと焼き払った。
辺りが炎に包まれる中、俺は魔神主柱との激闘の経験からか、雷で焼かれる痛みを、大して怯まずに堪えられたので、ガスフォードに向かって跳躍した。まさに目と鼻の先まで距離を詰めると、俺は右拳を、矢のように引き絞る。
それに応じガスフォードは、下卑た笑いを浮かべながら、杖で防御姿勢を取ったため、すかさず俺は左手で、奴の顔に、掌底を食らわせた。その衝撃で、ガスフォードの顔は歪み、屋敷の天井を突き破って、奴は街の外へ弾け飛ぶ。俺は、崩れ落ちる天井の破片を足場にし、ガスフォードの元へと跳んだ。
「壊すのは簡単でも、直すのは面倒なのが世の常なんだ。住んでる街だろ。気をつけろい」
「野郎ッ……!」
倒れて伏せているガスフォードは、顔を起こすと、自らを見下ろしている、俺に向かって、激怒の形相を見せ、今度は杖を地面に突き刺した。
直後現れた雷は、虎の如き姿に変わり、轟く雷鳴は、猛き虎の咆哮のように聞こえた。黒い雷雲が、まるで毛皮のように、雷を包む。
攻撃に備え、俺が神具を顕現させようとした時、雷虎は、俺のそんな隙を見逃さず、猛然と首元に襲いかかってきた。
牙が、俺の首を焼く。首への衝撃は、そのまま手足にも伝来し、俺の四股はいずれも、一瞬痺れて動かなくなってしまった。
炎命者同士の戦いにおいて、一瞬の間、というのはかなり致命的であるからに。そこを雷虎につかれ、脳内に閃光が走ったような、激痛がした。皮が、骨が見えるまで、高音で焼かれて剥がれたのだ。
これについては問題ない。激痛は中々慣れなくとも、戦いにおいて、痛みで怯まないようにする事は慣れた。乱暴に言ってしまえば、前より格段に我慢強くなったのだ。もはや電撃走る虎を物ともせず、俺はガスフォードに接近した。その時の俺の姿は、きっと酷い物で、肌は焼け焦げ、鼻がひん曲がるような臭いがしていた事だろう。
「ガスフォォォード……!お前、一体何で殺してほしいんだ?ええ?言ってみろよ……!」
高温でぐちゃぐちゃになった手で、ガスフォードの腕を掴み、焼けただれた口から放つ言葉で、奴を威嚇する。
心をへし折ってしまえば、楽なものだ。心が折れた者は、たとえ余力があれど、一度相手の方が強いと悟ると、最後の最後まで抵抗したりしない。だから、最初は多少無理をしてでも、相手に勝てないと思わせる。労少なくして、相手に勝つには、それが一番だと思う。
「な、何だ、貴様……!?」
まさに目論見通りに、ガスフォードは動揺してくれた。余裕の見える笑みは消え、動作のいちいちが鈍くなっている。
しかし、それでも態勢を立て直そうと、奴は杖を一振りすると、ガスフォードの身体を、雷が纏った。スピードは見違えるほどに速くなり、予測出来ない俺の行動を恐れてか、奴は折角自らを強化したにも関わらず、それを、俺との距離を大きくとる事に使った。
折角、相手が臆病風に吹かれているんだ。今までの戦闘からして、ガスフォードには、あまり強敵との経験が無さそうなので、ここはさらに追撃を試みる。
「俺の首が、欲しいんだったなぁガスフォードッ!」
怒号と共に、俺はグリゴラスで、自らの首を両断した。その光景は、おそらく異様だっただろう。ガスフォードは仰け反り、唖然とした。
かき混ぜられた奴の脳内を、さらに混乱させる為に、俺は自らの首を、ガスフォード目掛け放り投げた。俺の首は、ぐるぐると空中を回る。当然、俺の目に入ってくる光景も、ぐるぐると巡るましくて、三半規管を揺らしそうだ。
鈍い音を立てて、近くに落ちた俺の首に、ガスフォードの顔は引きつり、ただ困惑の眼差しを送っていた。奴は突っ立ったまま、この異常状態を飲み込むための、時間を必要としていた。
それは、すなわち隙である。ありがたい事に、ガスフォードは戦闘中に、手を止め足を止め、何もせず、ただ状況理解に時を費やすという、致命的な隙を作ってくれたのだ。それを見逃す事はしない。
瞬間、俺が顕現させた神具は、アスモマアトだった。四方八方から、突如として現れた鎖は、瞬く間にガスフォードの四肢に絡みついて動きを封じ、さらに首を絞め上げた。首と胴体が離れ離れなので、目視で距離感を掴むのは難しいが、炎命者なので、目に頼らずとも相手の居場所は分かるため、しっかりとアスモマアトは、相手を捉えられたのだ。
ガスフォードは、槍のような雷を周囲に放出するといった、抵抗の意思を見せた。あまりに強い光に、瞳が、針金で刺突されたような、鋭い痛みがする。しかし、敵がまだ戦えると言うならば、さらに追撃するだけの話だ。
俺は、身動き取れぬガスフォードの元へと走り出した。途上、自分の首を拾い、プラモデルみたいに切断面にくっつける。炎命者の治癒力ならば、瞬きする間に元通りだ。なんせ自分の身体なので、必要ならば、多少雑に扱っても構わないだろう。
まさにガスフォードの目の前まで行くと、俺は奴の首元を締め付けている、鎖を握り、遠慮無しに、ぐいと引っ張った。たちまちガスフォードの顔から、血色が消え、奴は周辺に、稲妻をバラまいた。その稲妻は、鎖を通じて、俺の身体を貫く。
ここに、俺はガスフォードの首を絞め殺さん勢いで鎖を引っ張り、ガスフォードは俺を稲妻で焼き殺さんとする、どちらが先にくたばるか、という、全く生易しくない、異様な我慢比べが始まった。
「俺たち炎命者は、化け物なんだ!貴様の言う強者の戦いってのは!こういう事なんだ!それすら知らん貴様が!よくもぬけぬけと弱肉強食などとッ!!」
自らの身体が、焼ける音がする。肉が焦げた匂いもだ。熱に伴って、身体から煙が噴き出している光景も見える。それでも、俺はガスフォードに向かって、喉や舌を、治癒しながら震わせた。
ぎりぎり、ぎりぎりと、鎖はガスフォードの喉を、まるで抉るように圧搾し、奴の瞳から、光がみるみる消えていく。
ついには、自らの力に対する、絶対的な自信に満ち満ちた輝きは消え、ガスフォードの瞳が絶望に支配された時、俺は、奴を縛っているアスモマアトを解除した。
「終わりだな。戦意の無い奴と戦っても仕方ない。……ま、ちょっとはこれからの態度、考えてみるんだな」
奴に対する拘束は解け、最早首を締め付けるものは何も無い。ガスフォードは、何度も苦しげに咳き込むと、自由になった首をさすり、何が起こったのか、と唖然とした顔で、俺を見上げた。未だに、自分に起こった、負けに等しい事態を、受け入れられていない、といった様だ。
「……おい、待てよ」
茫然自失としていたガスフォードであったが、背を見せてその場から離れて行く俺に向かって、蚊の鳴くような、か細い声で、そう呟いた。これまでの、傍若無人とした、圧の強い言葉は鳴りを潜めている。
「……まだ戦る気があるなら相手になるがな、次は死くらい覚悟してから向かって来い」
俺は、指でガスフォードを指した。手とは、指であり、指には大きな力が秘められている。武具の柄を握る、箸を握る、握手を交わす。それらは指で行われているのだ。指とは、人の力である。今回の場合は、威圧の意が込められていた。
その意は、指を通したからか、おそらくガスフォードに伝わったのだろう。奴の身体から、戦意というか、覇気が、抜けていく。さながら、蛇に睨まれた蛙であった。悔しさからか、項垂れ、握り拳を地面に押し当てており、あまりに口惜しそうな、その様子は、歯ぎしりの音が、少し離れた俺の所まで、聞こえてきそうなほどだった。
まあともかく、今度こそこれで終わりかな、と戦いの決着を確信し、俺が街に帰ろうとした、その時。後方から、雷電が大気を走る音がした。
振り返ると、ガスフォードは、手に、雷の槍を携えていた。それは、今までのガスフォードとは見違えるほどに、弱々しい物だった。いや、あくまでも、これまでの奴の強力な力と比べて、という話であって、それ自体は、直撃すれば、街の二つや三つ、軽く消し飛ばしてしまいそうなくらいには、破壊力のあるものだ。
雷の槍は、まるで慟哭のように大気を震わせ、ひっきりなしに、騒々しい音を奏でる。ガスフォードは、悲痛な叫び声を上げた。
「貴様さえ死ねば!俺が!俺が一番なんだ!邪魔をするんじゃないっ!!」
「それがお前の本音かい。底が知れたな。……しかし悪かったよ、お前の平穏を荒らすような真似をして」
ただし、街の日常が、ガスフォードにとって平穏であっても、他の人にとっては、そうでは無いだろう。少なくとも、セレイン達にとっては、間違いない。弱者を虐げる事が、どれほどの成果を生むのか分からない。が、少なくとも、人が殺された所を見て、我慢出来るほどに、俺は利口では無かった。
「これから、あらん限りの暴力を持って、貴様を否定してやる。貴様も!強者を自称するならば、力で俺を否定してみせろ!」
そう叫んで、俺は神具を顕現させた。それこそは、透き通るように美しい刃先に、日の光と、ガスフォードの雷が、艶やかに煌めく、投神槍クリストラであった。その槍は、炎命者を屠らんと力を込めたからか、ただ在るだけで周辺を揺らす。地面の石は、その力の波に飲み込まれて砕かれ、草木は、萎びるように頭を垂れた。
クリストラの切っ先が、ガスフォードを向く。後は、どちらが先に仕掛けるか。また、どうやって相手の攻撃を躱すか、という戦いになる。炎命者の攻防は、とにかく速い。無計画に戦おうとした所で、手詰まりになって身体を欠損するのが関の山だ。
自ずと慎重になる。俺とガスフォードが、ひと呼吸、ふた呼吸。たったそれだけが、何時間にも感じた。
ぴくり、とガスフォードの指が動く。それと同時に、俺も動いた。槍を肩まで持ってきて、投擲姿勢に入る。しかしガスフォードは、そんな構えなど介さず、野球の横手投げのように、最少限度の動きで、雷の槍を放つ。
だが、こちらも既に準備は出来ている。確かに、槍の速度は凄まじいが、俺も炎命者である。落雷くらいは、目で追える。
俺は、即座に、顎が地面を掠めるほどの低姿勢で、クリストラを投擲した。無茶な態勢だったためか、投擲後は、大地に伏してしまったのだが、それが幸い、ガスフォードの雷槍は、俺の頭上を通り過ぎ、直撃には至らなかった。勿論、絶大な力というのは、余波のような物が生じる都合、攻撃範囲が広いものであるから、直撃せずともダメージは負うのは、仕方ない。
俺は、ガスフォードの槍によって、電撃が走っている身体を起こして、奴を見た。その腹部には、俺が放った神具である、クリストラが貫通しており、奴の足元には、鮮血色の水たまりが見える。奴は片膝をつき、胸元に突き刺さった槍を、呆然と眺め、力無い手付きで触れている。
「……今度こそ、終わり、だな」
「こんな……こんな……馬鹿、な……事が……」
ガスフォードは、恨めしげに俺を見ると、やがて、クリストラの激痛からか、崩れ落ちた。過呼吸でも起こしているのか、僅かの痙攣以外は、ピクリとも動かないので、大丈夫かとクリストラを引っ込める。しかし、ガスフォードの胸に、ぽかりと開いた大穴の、治りが非常に遅い。どうした事か、と俺はガスフォードに近付いた。
近付くと、ガスフォードの傷は、治っていた。しかし、心の傷は、そうではないのだろう。悲しみを湛えた顔に、最早戦意は見当たらない。
すると、まるでラティアの声を聞く時のように、荘厳な声が、鼓膜を介さず、頭の中に鳴り響いた。
『小僧、終いだな』
「まっ……待て!待ってくれ!た、戦える!俺はまだ戦えるんだ!まだ、まだ……強者で居られる……!」
脳内に直接届くような、不可思議な声に、ガスフォードはかなり取り乱した。
『闘志の無い、弱者のお守りなどしていられん。元々、そういう関係の筈だが』
「止めろ……俺から力を奪うな!奪わないでくれ……!嘘だ、これは夢だ……こんな……こんな馬鹿な事が、あるものか……」
呆然と、天を見上げるガスフォードの身体から、まるで蒸気のように、もうもうと煙のような物が噴き出した。
『器で無いのは知っていたが、こうも脆いとは、興が削がれる。小僧、二度と強者などと思い上がるなよ』
それだけ言うと、その声はもう二度と聞こえなくなった。一方俺は、何が起こったんだ、と事態を飲み込めずにいた。それを受けてだろう。脳髄の中で、ラティアの声がした。
『高位存在が、炎命者との間の契約を、拒否した。つまるところ、今の……ガスフォードとか言ったか?あやつには、もう炎命者としての力は無い。力の源である、高位存在がおらんからのう』
そんな事があるのかよ……
『滅多に無い。わざわざ契約しているのだ。高位存在は、契約者に対して、そこまで悪い印象を持っておらん上に、契約の際に、大概代償を受け取っている。それを途中でほっぽり出すのは、余程の事があっても、ありえん話ではある。……まあ、契約の際に、何か条件でも持ちかけたのじゃろう』
……きっと、己が強者である事、みたいな話なんだろうな。
『あるいは、それも代償、と言えるかもしれんな』
俺はガスフォードを見ていた。まるで老人のように、髪は白く染まり、あれほど自信に満ちていた瞳は、暗く曇り、屈強そうな、筋肉で膨らんだ身体は、病人かと錯覚するくらいに、萎んでいるように見えた。
彼は、その瞳で、どこか虚空を、上の空で見ていた。しばらく、ずうっと。
ガスフォードは、人殺しだ。しかし、俺が見たかったのは、果たしてこんな光景なのだろうか……
『後悔しておるのか?』
ラティアの問いに、俺は心のどこかに、少し後悔があるのかもしれない、と思った。
『ふふふ、己が信念を尊重してやれ。お前さんは、奴を許せんと思った。ならばそれで良し。あるがままに、生きるが良し。ワシとしては、そんな所かのう』
後悔はある。ガスフォードと戦って勝ち、彼の力が失ってしまった事に、責任は感じている。
しかし。ガスフォードが、女性を躊躇なく殺した時に、もしも黙っていたとしたら、もっと後悔していたろう。などといった事を、全身から力が抜けていて、俯いたまま、表情が見えないガスフォードの、肩を抱いて支えながら、街に帰る道すがら、しばらく考えていた。
おそらくあの状況下では、どの選択肢を選んでも、後に後悔していたと思う。が、今回俺がとった行動が、最善の物であったかは、分からない。それが、俺を悩ませている。
「すまなかったな、ガスフォード……俺も、お前の人生を狂わせてしまった……」
「……何を言う。それが、強者だ……」
返事は期待していなかったが、ぼそり、とガスフォードが呟いた。彼は、それっきり、一言も喋らなかった。