悪魔なシスター-1
さて、俺たち一行が、しばらく馬車に揺られていると、やがて大きな街が見えてきた。道中に現れた仇魔は、魔神主柱を討ち果たしたからか、炎命者としての力を解放せずとも、倒せるくらいに弱々しかった。
ただ、魔神主柱を倒し、仇魔が弱体化したのは、つい最近の話なはずである。なのに、馬車から見える街並みは、何とも不可思議なものだった。
まず、仇魔の襲来に備えた、高い壁が無い。牧場みたいな、茶々な仕切りがあるだけだ。さらには、仇魔の侵入を防ぐような、結界も無い。
街は、仇魔からの襲撃を防ぐ、城のような役割を果たす。あの街には、防御能力は何もない。はっきり言って、丸裸である。鎧も着けずに、ノコノコ戦場に突っ立っているようなものだ。
間抜けな連中ね、全滅してるんじゃないかしら、とミカノがイラついたような口調で言った。確かに、あの街の佇まいからして、仇魔の脅威を、舐めているようにしか見えない。
しかし、街に近づくにつれ、人々の激しい喧騒が、聞こえてきた。この街に、人は住んでいる。それも、多くの人が、こんな、防御性能も何もない街に。騒々しい人々の笑い声、怒鳴り声が聞こえる度に、仲間は皆、不思議そうな顔をしていた。
街に入ると、より一層怒鳴り声や、喧嘩でもしているのか、机やら椅子やらが壊れる音が、強くなる。一人一人の声量が馬鹿でかく、皆僅かに耳が赤い。この明るいうちから、大酒搔っ食らって、タガが外れている。
てめえこの野郎、ぶっ殺してやる、とあちこちから罵詈雑言が耳に入ってくる。血気盛んなのは結構だが、馬車に向かって、ぶん殴られて、吹っ飛んできた人間がいたのでは、この喧騒も他人事ではすまない恐れがある。
「最低の街。こんな所、さっさとおさらばしましょう」
そんな様子を見て、吐き捨てるようにミカノが言った。どうもこの街は、彼女に合わないらしい。仲間達も、ミカノの提案に否定はしなかった。
それもそうだ。ここは、賑やかでも活気が良い訳でもなく、ただただ治安が悪い。手にナイフを持って、刺し殺さん勢いで、喧嘩相手に刃物を振るう奴もいる。正直関わり合いなくない気持ちは、十分分かる。
しかし、気に入らないからって、退散するのは良くないらしい。次の街に辿り着くのが、いつになるか分からない。物資を出来る限り調達してから、この街を出る必要があるんだ、とリリィが言った。
そういう訳で、やむなく俺たちは一度引き返し、アーシエを護衛に、馬車を街の外で待機させ、街を散策する事にした。
「買い出しは私達でやっとくから、あんた達は情報でも集めといて」
ミカノは、この街の雰囲気にうんざりしたのか、憂鬱そうに言った。カレンとリリィも、ミカノに着いて行くらしい。ミカノがトラブルを起こさないといいのだが、と心配しつつ、俺はユイと街を巡る事にした。
ユイは、怒鳴り声響く街中を、眉一つ動かさず整然と歩き、好奇心故か、警戒心故かの行動かは分からないが、きょろきょろと辺りを見回す。
すると、ユイを追いかける俺に向かって、ひっそりと、ある一人の男が近づいてきた。男は、俺に接近を気付かれないためか、フードを被ったまま、ただの通行人のように、後ろから自然に距離を詰めてくる。
男はある程度、俺との距離を近付けると、不意に走り出し、俺にぶつかって走り去っていった。不味いと思って懐を探ると、ミカノから貰った金が無い。あの野郎、やはりスリか。
予想はついていたので、盗人を追いかけようとしたその時、その男の前に、銃声と共に、巨大な弾丸が通り抜けた。弾丸はそのまま直進し、街の領域を示す、背の低い仕切りに着弾。大穴を開けた。
その行為の主は、ユイであった。彼女は腰を抜かした盗人の男に、ゆっくりと近付くと、感情を混ぜずに言った。
「盗んだもの、返して」
男は、ユイの言葉に、激しく首を縦にし、震える声で謝罪をして、俺から盗んだ金を返してくれた。まあ、ユイの咄嗟な行動は嬉しかったのだが……
「ありがとな、ユイ。だけどやり過ぎじゃないか?相手は普通の人間なんだから。めちゃくちゃ怯えてたぞ」
俺は、一目散に逃げた盗人の背中を見ながら、ユイに言うと、彼女は一言、そう、と返した。
大きな銃声がしても、街の人間は大して気にかけない。何故ならいつも、街中はそれ以上に騒がしいからだ。もう少し静かな所に行かないか、とユイに提案すると、彼女は、街の路地裏のような、日が当たっておらず、人影の無い道を指差したので、そこに入ってみる事にした。
路地裏は、表の店が立ち並ぶ広場のような場所と比べ、やや静かで落ち着く場所である。ここからでも、表の喧騒は聞こえてくるが、それでも此方の方が良い。ひっそりとした空間に、影のある怪しい店も幾つか見えたので、興味本位で、そこに入ってみようかな、と思った時だった。
ユイに対して、話しかける男が二人。筋骨隆々な、スキンヘッドの男と、日焼けマシンで焼いたのか、というような黒い肌に、ピアスやらネックレスやら、装飾品をジャラジャラと着けた男だった。
男二人は、あんな奴ほっといて、俺たちと遊ばない?なんて事を言いながら、ユイの胸や尻を撫で回している。しかし、ユイは無表情で、抵抗の一つもせず、その場に立ち尽くしている。それを肯定と受け取ったのか、男二人のボディタッチは、さらにエスカレートしていく。
ユイは何してるんだ、何故抵抗しないのか、と俺は思ったが、直後ハッとした。俺が言った、普通の人間には加減しろ、といった事を、ユイは守っているのかも、と。
下手に抵抗すれば、随分距離が近い、あの男二人の身に、何があるか分からない。それを踏まえて、ユイは無抵抗なのかもしれない。ならば、俺が止めないと、と俺はそいつらに歩み寄り、ユイに触れている手を掴んだ。
「止めろよ」
「……は?何なのお前?彼女、嫌がってる?嫌がってないでしょ?……おい、おいおいおいおい!ええ!?嫌がってないのに、何だお前はコラァ!ぶっ殺されてえのかクソカスがよぉ!」
突如として、声を荒げた黒ずんだ肌の男は、懐から刃物を取り出し、俺に向けてきた。スキンヘッドの男は、ユイの肩に触れながら、ニヤニヤと笑っている。
小さいナイフを持った男は、俺に向かって、謝れだの、金を寄越せだの、死ねだの、厚かましい要求をして来る。どうも、武器は人を強気にさせるようだ。……いや、こいつは元からこんな感じだったかも。
そんな風に、要求に何の反応もせず、ただじっと視線を送って来る俺に、男は我慢ならなくなったのか、ネックレスを派手に揺らしながら、刃物を突きつけ、俺に突進して来た。
その動きは、非常に遅く、躱すのも容易いと思ったが、俺はあえて、手のひらで防御をした。ナイフは、俺の手のひらを貫通し、痛みが走る。が、今までの経験上、そこまでの痛みじゃない。
刃物を持った男は、その確かな手応えにニヤついていたが、やがて、手をナイフで貫かれているのに、大したリアクションを見せない俺に、戸惑っているのか、刃物をグリグリと動かす。痛いのは痛いが、まあ、人間の扱う刃物なら、こんなものだろう。
俺は、手に刃物を突き刺されながら、ユイに向かって、普段の会話の口調で言った。
「身体触られるのが嫌なら、いや、良くないと思ったのなら……そうだな、止めて、って言葉くらいは言ってもいいと思うぞ」
「ん。じゃあ、止めて。……これで良い?」
「そういう訳だ、そこの人。彼女から手を離してくれよ」
まだ、ユイの身体を触ろうとしている、スキンヘッドの男性は、俺の言葉を受け、怒りを露わにした。
「止めろと言われて、止める馬鹿がいるかよ!」
こいつ、実力差が分からないんだな、と俺は呆れかえってしまい、思わずため息をつくと、ナイフを握った男の手を、思い切り握りしめた。鈍い骨の音、男のうめき声と共に、ナイフが、男の手からこぼれ落ちた。
俺は、後ろ回し蹴りを放ち、落ちるナイフを、右足のカカトで捉える。ナイフの刃先は、俺の方を向いているため、カカトにナイフが刺さる。やや痛いが、俺がそのまま右足を振り抜くと、ナイフの柄の部分が、派手な装飾を施した、男の脇腹にめり込んだ。男はえずき、腹を抱えて座り込む。
「止めなくて、良いんだな?」
俺が、男二人に、ナイフに刺され、穴の空いた手のひらを見せると、みるみるうちに、ナイフの穴は塞がっていく。それを見た男たちは、怯んで後ずさりをした。まあ、これで戦意喪失しただろうし、終わりかな、と俺は一安心し、ユイと共にこの場を離れようとした、その時である。
大きな建物の、裏口と見える扉から、長いスカートと、目まで隠すようなフードの、シスター服を着た一人の人が、ため息をつきながら出て来た。すると、スキンヘッドの男は、その人物を見つけるや否や、悪どい笑みを浮かべて、声を張り上げた。
「おいセレイン!この馬鹿を、ぶっ殺せ!」
その言葉に、シスター姿の人は驚いた顔を見せた後、感情のこもっていない機械的な声で、こう言った。
『分かりました』
シスター姿の、セレインとかいう名の人物は、此方を睨み、フードを脱ぐ。そして、その姿を、まさに人ならざる物へ変える。
全身の筋肉は膨張し、先程とは比べ物にならない程に、体躯は巨大になった。さらに、奴さんの、濃い紫色の肌、頭に生えたツノ、黒く無骨な翼、鋭利な爪、先端が槍状の、長い尻尾。それは、形容するならば、まさしく悪魔であった。
そして、セレインから放たれる、その大きな力の圧。それは、仇魔の、肌をひり付かせる、焼き付くような圧とは違う、カレン達、炎命者から感じるような物である。
「トキト」
ユイが、ボソリと俺の名を呼ぶ。警戒しろ、と警告の意味を含んでいるのだろうが、対峙しただけで、警告は必須事項だと、本能が叫んでいる。
参ったな、こんな下らない事で、炎命者と戦う羽目になるとは……と俺は、少し唇を噛み、戦いに備えた。