森の仇魔-4
和服の仇魔は、キセルを咥えていた。部屋は小さく、もうもうと煙が充満する。エルフのような仇魔は、呪詛のように、ぶつぶつと何か呟いている。
これを、攻撃の前兆であり、危険と判断した俺とリリィは、ためらう事なく仕留めないとマズい、とアイコンタクトを交わした。
リリィは、仇魔達を捕らえている、大樹の根のようなもので、奴らの首を凄い力で締め付けた。エルフ姿の仇魔から、苦痛の声が漏れたが、和服の仇魔はキセルを離そうとしない。
首を絞められ、満足に息も出来ずに、苦悶の表情を浮かべる仇魔。殺すなら早いほうが良いだろうと、俺は神具である、断罪剣グリゴラスを手に、仇魔に飛びかかった。
しかし、その剣は届かなかった。部屋に満たされた煙に、刃が止められてしまったからだ。ゴムのような、弾力ある感触が煙からするというのは、何とも不思議だ。
俺の一瞬の隙をついたのか、和服姿の仇魔がキセルを吹き出すと、煙に触れたキセルの炎は、一瞬にして、爆発的に音を立てて燃え上がり、俺の肌を焼いた。眼球諸々の身体機関も焼かれ、痛みに堪えている内に、どちらの仇魔も、リリィの拘束から抜け出していた事を、気配で感じた。
生半可な火でどうにかなるほど、リリィの力は弱くない、と思う。エルフの仇魔が呟いていたのは、何か魔法みたいなものの呪文を唱えていたのだろうか。それで幹の拘束から抜け出したとか。よく分からないが。
だが、どれだけ仇魔が足掻いた所で、この洞窟は一本道である。辺りは煙で何も見えないような状態だが、俺は、耳で、あるいは勘で、仇魔の居場所を掴んでいた。嗅覚については、俺の肌が焼焦げた匂いで、他ほど上手く働いていないが。
敵を追おうとしたリリィだったが、煙を吸い込み、何度も咳き込んでいるため、後は俺に任せておけ、と伝えた。まだ力を出し切っていない、と不服そうなリリィだったが、また仇魔と対峙した時、躊躇なく殺せる自信が無さそうなので、やはり俺がやるしかないだろう。
俺は役に立たない目を閉じ、集中する。背後の空気が揺れ動く。何者か(仇魔だろう)の気配が、どんどん遠のいていく。時間をかけるにつれ、どんどんと奴らの正確な場所が把握出来ていき、もはや仇魔の居場所が手に取るように分かった時、俺は神具である、グリゴラスを、後ろに投擲した。
すると、遠方で、激痛に耐えきれない、というような、悲痛な金切り声が聞こえ、やがてぱたりとその声は止んだ。神具が仇魔に直撃し、絶命したのだろう。
断罪剣によって絶命するという事は……奴らが村の失踪事件の犯人、と見て良さそうだ。猛々しい火炎によって、ずたぼろに燃やされた身体を治し、俺は仇魔の所に歩き始めた。
やや煙が薄くなっていき、少しばかり先が見えるようになったので、リリィの方を見てみると、土の鎧に篭り切って、最早人間の部位が見えない状態だった。まあむせていたし、よほど煙が嫌だったのだろう。
鬱陶しい煙を払いながら歩いていくと、断罪剣が喉に刺さり絶命している、和服姿の仇魔と、それを抱きかかえている、エルフの仇魔が見えた。仇魔は、俺を視界に捉えると、大きく仰け反り、怯えた表情を見せた。
「今から質問する。が、嘘はつくな。分かるだろ?」
「ひっ……」
和服の仇魔の喉からグリゴラスを抜き、まだ生きている仇魔を睨む。
「あの頭蓋骨は人間のものかどうか、そしてお前達はこれまで何人殺してきたか、それを聞かせてくれ」
「しっ……知らない、そんなの……」
そう言って目をそらした仇魔の足に、グリゴラスを突き刺すと、仇魔は悲鳴をあげ、恨めしげに俺を見上げたが、俺が突き刺したグリゴラスを引き抜き、また刃を向けると、意気消沈、目を伏せた。
「わ、分かった、言う、言うから……。……確かに、あの頭蓋骨は人のもの。それに、何人もの人間を殺してきたわ。……人数はよく分からない。数えてないもの……」
「理由とか、動機は何だ?」
「生きる、ため……」
彼女の目は泳いでおり、悪い汗をかいていたので、俺は神具をまた大袈裟にチラつかせ、本当の事を言うように脅すと、仇魔は逆上したかのように、声を張り上げた。
「た、楽しかったからよ……!熟していない子供を嬲って、柔肌に切り傷を入れて、絹のような悲鳴をあげるのを聞くのが楽しかったからよ!これが真実!嘘偽りない本当の話!どう、これで満足!?」
息つく暇なくまくし立ててきた仇魔は、やがて目を細め、ゆっくり口角を上げた。座り込んだ仇魔の方を見ると、目を凝らさないと見えないほどの大きさで、地面に六芒星の模様が描かれていた。そこから突如黒い炎が噴き出して俺を襲い、身を焦がした。仇魔は高らかに笑い声をあげる。
「あはははっ!私の黒魔術の味はどうかしら!?よく味わって死ね、死ね、死ね、死ねっ!油断する間抜けも、ガキみたいな馬鹿も、死んで当然なのよ!馬鹿は死ねっ!私は生きてみせるわ……!あはははっ!」
目が、舌が、焼けている。俺は果てるように熱い炎に包まれており、おそらく焼死体のように焼け焦げた身体をしているだろう。しかしそのままでいい。俺はあえて回復せずに、ゆっくりと、威嚇の意味を込めて仇魔に向かって歩き出した。
仇魔は、そんな俺に驚愕し、先ほどの威勢は何処へやら、泣いて許しを請い、ずるずると後ずさる。すっかり怯えきった仇魔は、人を殺して御免なさい、逆らって御免なさい、許して下さい、とうわ言のように繰り返した。
まあ、ここまで脅せば確認するまでもなく、この仇魔の言っている、人を殺したという事は真実なのだろう。俺は炎命者の恐ろしい回復力によって、燃え尽きた眼球やらも、瞬く間に元通りに治した。
「子供を殺した、ねえ。嘘をついていないようで安心したよ、ありがとう。俺を攻撃する事も仕方ない。命の危機だからな。許すよ」
「それじゃあ……」
次の瞬間、目にも留まらぬ速さで、私は助かるのね、と言いたそうな仇魔の首を、俺は瞬く間に斬り飛ばし、続けて縦一閃の斬撃を加えた。仇魔の瞬きが終わるか終わらないかの早技であったので、当然、仇魔は即死だろう。
「真実を教えてくれた礼は、苦しまずに済む死で良いだろ?もっとも、もう聞こえていないだろうが……」
ごろんと地に転がった仇魔の首を見下ろし、俺は自分に言い聞かせた。人を殺す仇魔は、敵だろう。敵は討ち果たす、それだけだ。
ただ、仇魔は人間に近い姿をしており人間のように弱さを見せていた。様々な仇魔がいるものだ。とにかく方は付いたので、リリィの所へと向かう事にした。
「あ、トキト」
着くと、リリィは頭蓋骨と睨めっこしていた。何してるんだと聞くと、埋葬するなら村でやった方が良いと思うけど、頭蓋骨をそのまんま手掴みなんてしていいのかな、と悩んでいるそうだ。
そうは言っても、その骨の入れ物なんて無い訳で。バチが当たったらその時後悔するか、と俺はその小さな子供の骨を脇に抱え、他にも無いかと探すと、結局、もう一つ見つかった。もしかするとこの二つの白骨が、村の女の子が言っていたケリン君とヨーシ君なのかもしれない。ここに置いていく訳にはいくまい。
こうして、二つの頭蓋骨を抱え、俺たちは洞窟を抜け出した。その後すぐ村に戻るのでは無く、もしかすれば一人で仇魔の拠点で戦っているかもしれない、カレンと合流するのが先決だろうと、戦闘で疲弊した身体で、すっかり夜も更け、深い暗闇に包まれた、森の中を駆ける事にした。
「はーあ、炎命者って、戦ってる時はそうでもないけど、力を解除した時が一番怖いんだよなー。やだなー……」
俺と並走しながら、リリィは軽口を叩く。炎命者の力は、俺もリリィもまだ解除していないので、後が怖いが、それを恐れていては何も始まらないため、仕方ない。
「カレンは大丈夫かね」
「魔神主柱でもない限り、仇魔に負ける事はないと思うなー」
「……やっぱり魔神主柱って強いんだな」
「私たちが戦ったやつは、めちゃくちゃに強かったかな。私も死にかけたし」
それを聞いて、恐ろしいような、楽しみなような。こればかりは、実際に相対してみないと何とも言えない。
辺りは真っ暗で、しかも俺たちは高速で移動しているため、カレンを見落としてしまうかもと思っていたが、何とか見つける事が出来た。
彼女は、鬱蒼とした森の中で、力無く地面に突っ伏していた。近づくと、カレンのものと見られる鮮血が、辺りにぶち撒けられている。大丈夫か、と声を掛けると、彼女は青ざめた顔で、何とか、と弱々しく返答した。
カレンの様子を見るに、どうも既に戦闘が終わり、仇魔の拠点の殲滅が完了したらしい。村に帰ろう、と呼びかけても、疲弊した彼女の足取りは重く、目が眩んでいるのか、千鳥足だ。
こうなると仕方ないので、俺がカレンをおぶる事になった。小さなリリィの身体では、やや厳しそうだったので仕方なく、という感じだった。おぶると、背にカレンの暖かな感触や、優しげな息吹を感じる。これはラッキー。カレンの体重も実に軽く、負担も無い。非常に得をした気分だ。
それから、疲れているカレンに気を遣い、慎重に歩を進めながら村に帰った。こんな夜中だ。疲労も重なり、眠くてしょうがない。
村に到着し、カレンを下ろすと、いよいよ炎命者の力を解除する時が来てしまった。村の人達に見せるものでも無いので、なるべく人目につかない結界外で、俺とカレンは力を解除した。
やはりこれは、何度経験しても慣れるものではない。炎命者としての力を、使わざるを得ない、己の弱さを責め立てるように、大波大波、激痛がひっきりなしに続く。安息も、加減も無い。身体の内外が悲鳴をあげているが、どうしようもなく、ただただ耐えるしか道は無い。
激痛が、炎命者として力を振るった代償が、やがて収まると、辺りには多量の血反吐が吐瀉され、大地の色を隠していた。とにかく苦痛は終わったので、俺もリリィも、ホッとしたように息をついた。
拠点も潰し、子供失踪事件の犯人も倒した。全てが終わったので、村の人達に事の顛末を告げ、誰のものとも知れぬが、子供のような小さな頭蓋骨を渡した。が、村の人達でも、それが誰のものか分からないらしい。
誰のものか分からない骨を、失踪した子供達のものと見なし、弔うしかないか、と村の皆が話し合っていると、そんな事をする必要はない、とミカノが言った。
ミカノは、消えた村の子達が身につけていた物、例えば衣服なんかはまだあるかと聞くと、その子供の母親が慌てて持って来た。
ミカノの力は、たしか、そう、式神を操る事だったか。彼女が足で地面を二度ほど叩くと、淡い蛍火のようなものが現れ、ミカノの目に憑依した。ミカノは、式神が憑依した目で、服と骨を見ると、大きなため息をついた。
「……どっちも消えた子の骨ね」
ミカノの言葉に、母親達は膝から崩れ落ち、我が子の死を叩きつけられた悲しみから、俯いてすすり泣いた。ケリン、ヨーシ、と子供の名を呼びながら。
「おにいさん」
服の袖を引っ張られたので、後ろを振り返ると、あのおかっぱ頭の、村の女の子が居た。
「……ごめんよ。ケリン君もヨーシ君も、助けられなかった」
彼女の悲しそうな目に耐えきれず、俺は開口一番、謝った。彼女は、いいの、と首を横に振った。
「ありがとう」
その瞳には、大粒の涙があった。悲しいのだろう、苦しいのだろう。それでもこの子は笑ってみせた。
「ごめんよ、明日にはこの村を離れるかもしれない」
「ほんとう?……おにいさんも、いっちゃうんだね……」
「……今日はもう遅い。明日の朝、出来たら遊ぼうか」
「……うん!」
少女は涙を目に溜めながら、精一杯笑った。
翌日、戦いで疲れた身体を引きずりながら、少女と遊んだ。鬼ごっこのような遊び一つでも、身体が重くて相当しんどかったが、少女が喜んでくれているようで、まあ必要経費だろう。