森の仇魔-2
さてと、仇魔はどこに逃げたものか。まず足跡を探ってみようとしたが、手応え無し。まず足跡すらないので、どうにもなるまい。
次に鼻による追跡だが、鼻をつんとつく、フェロモンのような甘い匂いを漂わせていた仇魔は、どうもその放出を止めてしまったようだ。残り香すらないので、これも追跡には使えない。
どうしたものかね、こりゃ。大人しく神具でも使おうか。それとも千里眼とか、使えないのかな。
『似たようなものなら、使えるぞ』
使えるんだ。それならもっと早く言ってくれてもいいのに。
『ただ視力を人間の限界を超えて上げるだけじゃがのう。しかしな少年。死角はちゃんと存在する故、気をつけろよ』
ラティアの話を頭に入れながら、軽く跳躍して、地上10m程度にある太い木の枝に乗り、辺りを見渡す。成る程、これは凄い目だ。どこまでもズーム出来るカメラみたいだ。
程なくして、見つけた。洞窟のような場所に入っていく姿がちらと見えた。はてさて罠の可能性もあるが……神具で洞窟を吹っ飛ばすのは避けたい。洞窟が崩れたけれど、仇魔はまだ生きている、というのは最悪のパターンだ。仇魔は倒したのかな、と掘り起こして探している隙に、逃げられる危険性がある。それは間抜けな話だと思う。
だから、たとえ罠だとしても、あえてあの洞窟に入ろうじゃないか。それに、どれほどの罠が用意されているのか、興味が湧く所ではある。
そう考え、10mほどの高さから降りた俺は、勢いよく大地を蹴った。洞窟まではかなり距離があるように見えたが、炎命者の足ならばあっという間だった。
ごつごつとした石に囲まれた洞窟の内部には、篝火による灯りがあるようだ。薄暗い洞窟内を、吸い込まれそうになるほどに、篝火の光がゆらゆらと揺らめいており、地面には赤い、血のようなものがぽつぽつと散見出来た。洞窟からは、つんと鼻をくすぐる、あの甘い匂いが漂ってくる。和服姿の仇魔の匂いだ。
今一度覚悟を決め、唾を飲み、俺は洞窟へと一歩足を踏み入れた。瞬間、足に伝わってきたのは、おかしな感覚。
大きな音と共に、地面がぐむ、と沈むような。瞬き一つ置いて、俺はハッとした。今俺は落下している。どうやら落とし穴に落ちたらしい。
下を見ると、ギラギラと妖しく光るトゲに、多種多様な骸骨が群れている。これは落ちる訳にはいかなそうだ。神具、ハーバルングを落下中に突き刺し、何とか静止する事に成功した。手を離せば、トゲの森に真っ逆さまなので、手に汗が滲む。
とにかく落とし穴なんかにいつまでも居るもんか、と身体を持ち上げ、ハーバルングの刀身に乗る。用途は酷いが、流石神具。体重を乗せても、ビクともしない。上を見上げると、どうも今俺はかなりの深さにいるらしいが、炎命者ならば垂直跳びで軽く脱出できそうだ。
そうして俺が、この足場で大丈夫かな、と二度三度ハーバルングを足踏みした時だった。悪寒と共に、静かに揺らめく炎に照らされた矢が、落とし穴の上から飛来し、俺の腕を貫いた。痛みに顔を歪ませながら、狭い足場なもんだから、その衝撃で足を踏み外しそうになるが、なんとか堪え、矢を放った相手をこの目に収めようと、俺は上を見た。
敵の姿は殆ど分からない。ただ、誰かが近くを勢いよく動いたからか、篝火が少し揺れた。これはむしろ好機。俺は急ぐあまり、腕に突き刺さった矢すら抜かずに、ハーバルングを足場に跳躍した。
落とし穴から脱出した俺は、腕の矢を抜きつつ、走りながらキョロキョロと辺りを見回す。つい先程まで敵が近くに居たのだから、急げば追いつき、見つけ出せるはずだ。
そうやって走っていた俺だったが、また足に変な感触。何か良くないものを踏んだようで、上から轟音と共に、針がびっしりと敷き詰められている天井が落ちてきた。俺は咄嗟に針を掴み、天井の動きを止めたのだが、相当に重く俺の膝が落ちる。
歯を食いしばり、何とかこの罠から抜け出そうとした時、遠くに、とんがった耳に白い肌、長い髪の、そうだな、エルフと言えば伝わるだろうか。とにかくそんな人間に似た容姿の仇魔が見えた。仇魔は矢を引き絞っており、俺はその様子を見て焦った。何せこの状況下では回避しようがない。
仕方ないので、針を掴み天井を持ち上げ、僅かに前進しながら、攻撃に備える。狙いは急所だろうから、頭と心臓へ意識を向けた。攻撃が来ると分かっていて、防ぐ余裕があるなら多少はマシになるだろう。
しかし予想は外れ、弾丸のような速さで放たれた矢が、俺の足に飛んできて、思わず怯んだ事で、天井が下がってしまい、天井の針が肩に刺さる。足と肩の激痛に、苦悶の表情を浮かべてしまう。しかも矢が抜けないので、足の激痛が引かない。いつもなら炎命者の力で傷を癒せば、すぐに痛みは引くのに。
仇魔は、再び弓に矢をつがえる。俺はどうしたものかと汗をかく。いや待てよ。俺には鎖の神具、アスモマアトがあるではないか。両手が塞がっているが、この神具なら問題ない。
そう思って構えた瞬間だった。敵に後ろから足を払われたのか、俺は為すすべもなく転んで床に突っ伏してしまい、上から針天井が恐ろしい勢いで落ちてきた。なんせ不意をつかれたのだ。危機を察知するのが若干遅れ、もはや防御が間に合わない。
あ、これ不味いな。そう思い、激痛に備える。全身を針で貫かれるのは、あまり想像したくないし、ましてや味わう事もごめんだ。が、嫌だとしてもどうしようもないので、やはり覚悟を決めるしかない。
だが驚いた事に、天井の針が俺を貫く事は無かった。何故だろうかと辺りを見ると、地面が、まるで手のような形をして隆起しており、天井を支えているではないか。
「こらー!何やってんだトキトー!」
少し離れた所から、聞き覚えのある声がした。きんきんと高い、玩具みたいな子供声。間違いなく、リリィの声だ。
「無茶ばっかりしてー!ここはびしーっとおねえさんに任せておけー!」
ふふーん!と声に出すリリィ。割と窮地だった気もするので、素直に嬉しい助っ人だ。まあリリィ無しでも十分勝てるにしても……この針に串刺しってのは痛いだろうなあ、と俺は呑気に天井を見上げ、安堵の息を吐いた。
「よっしゃー!いくぞ仇魔めー!びしっ!ばしっ!ぎゅいーん!とやっつけちゃうからな!」
全く、リリィは元気な事だ。ぴょんぴょんと飛び跳ね、腕をぶんぶん振っている。身体を起こし、足に深く刺さった矢を抜きながら、俺は笑った。身体はちっこいが、実に頼もしい味方じゃないか。
「ありがとな、助かった。……しかし、仇魔の姿が見えなくなってるな」
「あっ」
「何だそのうっかりしてたみたいなリアクション」
「うっかりしてた!トキト助けるのに夢中だったからなー」
あははー、と悪気もなく笑うリリィに、俺は怒ったり咎めたりする気にもならなかった。それくらいに、毒気が無く、純粋な笑顔をする。リリィだけじゃなく、旅の仲間は皆そんな純粋さを持っていると思う。人を貶める気配がない、気持ちのいい連中だ。俺はそんな心地よさを噛み締め、また微笑した。
「ま、問題ないさ。一緒に行こうぜ、二人ならすぐだろ」
「おおーっ!」
満面の笑みでリリィが拳を突き上げた。
「……ところでカレンはどうした?一緒に居たんじゃなかったのか?」
「あー、それね!いやー、カレンがさー、なんか迷っちゃったみたいでさ!目を離したらいなくなってた!いやー、カレンには困るよなー!」
自信満々に困った様子をしているリリィだが、多分、カレンじゃなくてリリィが迷ったんだろうな、とは思っても言わないでおいた。言っても面倒臭そうだ。早く終わらせてカレンを安心させてやろう。多分今頃必死にリリィを探してると思うし。