屍が踊る街-2
ぼろぼろの女性服を着ている白骨が注いでくれた紅茶は、不味くもなく、美味くも無かった。こういう事、思っちゃいけないんだろうけど。器にもヒビが入っていたし、ティーパックにも傷が入っていた。ここで生活していて大丈夫なんだろうか。
「しかし何にも無い所ね。他には誰か居ないの?」
紅茶を口にしながら、ミカノが聞いた。テミシェリィは品の良さそうな笑みを浮かべ、向こうに見える骸骨を指す。
「他にも、沢山の方が」
「いや、生きてる人間が居ないか聞いてるんだけど……」
ミカノのその言葉に、テミシェリィの眉が小さく動いた。
「ええ、既に街の皆は死んでいますわ。でも、わたくしは死んでいない、と考えたいんですの」
何よそれ、現実逃避じゃないの、理解出来ない、とミカノは吐き捨てた。ただ、理解は出来なくとも、テミシェリィを否定する気は無さそうである。説教じみた事もしなかった。
しかし、たといミカノに悪気が無くとも、どうにも気まずい空気になっている気がするので、そういった空気をどうにかしようと、俺は話を変える事にした。
「し、しかしここには結界が無いんだろう?仇魔が襲ってきて大変そうだなあ」
「そうでもありませんわ」
そう言ってテミシェリィは上を見上げた。太陽の光が目に厳しく、よく見えない。眩さに目を細めると、上空で何か光がキラキラと反射しているようだ。さらに目をこらす。
その正体に気づいた俺は、あっ、と声をあげた。空中に、仇魔が浮かんでいる。いや、正確には、まるで蜘蛛の巣に絡め取られた羽虫のように、その正体はハッキリ見えないが、おそらく糸のようなもので四股を縛られ、息絶えていた。
「戦わずして勝つ、と言いますか、とにかくわたくし仇魔と戦った経験がありませんの。何せその前に仇魔が力尽きてしまいますから」
テミシェリィは悠然と紅茶を口に含んだ。
「そりゃあ凄いな。戦わないなんて、省エネって感じで楽そうだ」
「ええ、大して力を使いませんから、実際そうですわね」
「まだまだ余力があるという事か、恐ろしい」
褒められて気を良くしたのか、テミシェリィは紅茶を今度は自分の手で注ぎ、俺にくれた。ぐいっと一口。相も変わらず良く分からない味だ。
素直に苦い顔をすべきか、作り笑いでも浮かべるか、迷ってしまう。紅茶の感想を聞かれても困るだけなので、あくまでも自分の方から質問してやろう、と積極的に話しかける事を心がけた。
「しかし、ずっとこの街に居たのか?」
「ええ、そうですわ」
「俺たちは仇魔を倒す旅をしているんだが。テミシェリィも一緒にどうだろうか」
その言葉に彼女は目を丸くし、しばらく考え込む様子を見せた。おお、また仲間が増えるのか?とリリィの声色が上を向く。しかしテミシェリィは、悩んだ後それは出来ません、と首を振った。何故かと俺が聞くと、彼女は少し目線を落として、こう言った。
「皆と別れたくありませんから」
「皆って……シェイラさん、とかの事か……?」
俺は二本足で直立している、白骨を見た。あの骸の事を、確かテミシェリィはシェイラと呼んでいたっけな。
「ええ。……もちろん、皆が死んでいるという事は、わたくしも承知しておりますわ。しかし、死を受け入れるのと、死を乗り越えるだとか、死の悲しみが癒えるといった事は、また違いますの」
彼女は深く息を吐いた。
「わたくしは、皆の死を、いつまでも引きずって生きていきたいのです。この街から離れたり、皆の死を乗り越えた途端、皆とわたくしとの糸が、ぷつんと切れてしまう気がして……」
「それが、幸せって事なのか」
「わたくしにとっては、ですけれど。弱い人間で構いません。何と言われても構いません。ただ、あの楽しかった皆との日々を、わたくしは繰り返したい……」
そんな事を口にすると、疲れ果てたように彼女は俯いた。無理にとは言わないよ、と俺が告げると、あなた方の旅の無事を祈っておりますわ、と彼女はにっこりと笑った。先程見せた曇った眼は、影も形も無かったのは、彼女の気丈さ故なのだろうか。
「それじゃあ、一息つけたし、ボクらはお暇させてもらうよ。色々ありがとうね」
アーシエは気怠げに立ち上がると、杖で地面をつきながら、馬車に向かって歩き出した。それに続き、皆もここを立ち去ろうとする。テミシェリィはどこか寂しげに笑っていた。その、仕方なしに何かを諦めたような顔に、心を引っ張られたのか、俺は彼女に向かって話しかける。
「なあ、テミシェリィの好きなものは何だ?」
突然の俺の問いに、彼女は驚き、目をパチクリさせる。そんな事を聞いてどうするのだろう、と少し訝しむ目線を俺に送る。教えて欲しい、と俺は続けた。
「……ダンス、でしょうか。昔よく皆で踊っていましたから」
「そうかい、そりゃいいや。前から興味はあったけど、結局やる機会が無かったし、丁度いい。踊り、俺に教えてくれ」
俺はそう言って手を差し出した。テミシェリィは驚きで目を見張り、そしてにっこり笑うと、俺の手を取った。
「……あなたは殿方ですから、しっかりと女性をエスコート出来るよう、教えて差し上げますわ」
「優しく頼むよ」
「どうでしょう」
俺とテミシェリィとの身長差はそこそこある。俺が170ちょい、彼女は150前後。必然的に、俺の背中が少し曲がる。
「ステップを、そう、腕の位置を、そう、お上手ですわ。……もう少し、強く手を握っていただいても、構いませんわよ」
「む、難しいな……」
テミシェリィの手には温もりがあった。こういう女子の手を握るという経験が無いもんだから、少し照れてしまう。ダンスも、ぎこちない動きになってしまっていたが、次第に楽しくなってきた。テミシェリィは教え上手で褒め上手だ。
カレン達も、楽しそうに踊っている俺たちに影響されたか、見よう見真似でリズムを刻んでいる。
俺はふと、ぼうっと突っ立っている白骨達に目をやった。その一つ一つが、かつてテミシェリィと共に、日々を楽しく過ごしていた街の人だったのだろう。そんな人達が、ただ立っているだけとは味気ない。
「街の皆は踊りが好きじゃないのか?ただ立ってるだけとは、不思議だな」
「……確かに、そうですわね」
ふふっ、とテミシェリィが明るい笑みを見せると、白骨はかしゃかしゃと音を立て、男性の服を着た骨と、女性の服を着た骨が、それぞれ手を繋ぎ、それは見事に踊りだした。
「賑やかになったなあ」
「ええ、とっても」
「そうだ、ダンスには音楽がいるんじゃないか?仲間のユイは笛が上手くってさ。ユイに吹いてもらってそれに合わせて踊って……」
そう提案しようとした俺の言葉を遮るように、彼女は笑顔のまま首を振った。
「いいえ、いりませんわ」
「なんでだ?」
「この静かで、何にも囚われない時間が、わたくしにはとても、とても、幸せなんですの……」
テミシェリィは、涙なのか少し水気を含んだ瞳で、俺を見上げる。
「そうかい、それなら良かった」
笑顔のテミシェリィは、とても綺麗だった。