キョウナとエリヴィエール-5
俺が炎命者の力と神具である鎖を解除すると、エリヴィエールは、鎖に締め付けられ力が入らなかったのか、着地に失敗して地面に叩きつけられた。
俺は炎命者の力を解除した事で、その代償として激痛と共に血を吐き、エリヴィエールは、首を絞められていたからか、苦しそうに咳をしている。
口元の血を拭い、俺はキョウナの顔を見た。悲しそうな目でエリヴィエールを見下ろしている。
「確認させてぇな。この街の一連の失踪事件、君の仕業?」
「……如何にも。我が人の魂を食らっていた。抜け殻となった身体、もはやこの世に留まれず。風に吹かれて塵芥」
「……それで失踪事件の完成っちゅうことかいな……」
参ったなあ、とキョウナは空を見上げた。エリヴィエールは俯き、地を見ている。正直に告白するとは、観念したのだろうか。キョウナはどうしたものかと頭をかく。
「せやけど、君は理由も無しにこんな事やる子やないやろ。何かあったんか?」
「ただ、渇き故に」
「渇きって、何やの?」
「魂」
「魂、ねえ」
エリヴィエールの応答は、実に簡素である。答えているのか答えていないのかもハッキリしないが、キョウナには伝わっているようだ。
「……誰かを殺さなあかんかったんか?」
「まさしく」
一つ一つ、丁寧に確かめるように、キョウナは問う。エリヴィエールも、それに毅然と答えていた。
「魂の渇き。それこそ我が神に捧げた対価。以前は大したものではなかったが……今や心身を食い破らんとする魔物に変貌してしまった」
「魂は人やないと駄目って事か」
「もはや仇魔の魂では足りぬ。人を食らわねば崩れゆく。我はその程度の脆弱な器よ」
自嘲気味にエリヴィエールが笑った。どうやら人の魂を食べる事でしか生き長らえる事が出来ず、その原因は炎命者になった時の代償にあるらしい。
「もう、無理なんかなあ。戻られへんのかなあ」
「渇きは止まらん。ここで死なねば、我は人の魂求め、蠢き彷徨う亡霊になる」
それを聞いて、俺の心が揺れた。どうにか出来ないものかと思った。だってその代償とやらが無くなれば、エリヴィエールが死ぬという事は無い。人々を殺したという罪は消えないかもしれないが、朽ちて死ぬという必要は無いだろう。ラティア、どうにか出来ないかな。
『出来るといえば、出来る』
ラティアの言葉に、俺は思わず握り拳を作った。やはり炎命者というのは凄いものだ。願えば叶う。まさに神だ。
しかし、しかし俺は神では無かった。
『だが、そんな事をすれば、少年。負荷によってお前さんは間違いなく死ぬ。そういうものじゃ』
そんな馬鹿な。代償が消えれば、少なくとも俺の納得いく結果になる。後悔の無い選択が出来るじゃないか。俺の願いを叶えれば、俺は死ぬ。願いを叶えなければ、俺はきっと後悔する。上手くいかないものだ。この世界でもこんな感じかよ……
『すまんが、お前さん達が居るこの世界と、高位存在の居る世界、両方に干渉するのでな。二つの世界そのものを揺るがす事になるからのう。そういう結果になる』
……いや、それでも。たとえ死ぬとしても、俺は後悔の無い選択をしたい。今だ。今が一番大事なんだ。
……ああでも、ミカノ達を悲しませてしまうかもな。だけど、エリヴィエールは悪い人間とは思えない。それなら、生きていて欲しい。
「……最後は、ウチが介錯してもええかな」
「それならば、悔いも無い」
「ウチの力で、君と高位存在との繋がりを断つ。それで苦しまずに済むはずや」
キョウナとエリヴィエールは、既に話を終わらせてしまったようだ。哀愁を帯びたキョウナの背中はやけに悲しく、エリヴィエールの頬には、ひび割れたガラス片のような亀裂が入っていた。魂の渇き、というやつだろうか。
「……待ってくれ。エリヴィエールの代償、俺なら無効に出来る」
「ホンマか!?」
俺の言葉に、驚愕の声をあげるキョウナ。その表情は、半信半疑といったところか。
「……対価は?」
「え?」
「まさか対価無しに出来る訳ではあるまい。どの程度だ」
エリヴィエールの問いに、俺は詰まった。が、対価は俺の死だ、と正直に話す事にした。
「やはりな」
エリヴィエールは呆れたようにため息をつく。
「お前に出会い、負けた時点で、既に天命我を見放せり。ならばそれに殉じよう。殺される相手が相手だ。清々しい気持ちで逝ける」
「お気持ちは、ありがとうなあトキト君。せやけどね、この子偏屈やから。他人の施しとか情けとか、そういうのを素直に受け取る子ちゃうのよ」
何も出来ない。余りに無力な俺を慰めるように、キョウナは苦笑した。その頬には、涙が一筋。
「褒め言葉だ」
エリヴィエールは笑った。ひび割れた頬に、涙は流れていなかった。どこか晴れ晴れとした笑みだった。
「ウチは好きやったで、君の事……」
「……人を殺すのに、感傷は不要だ。さっさとしてくれ」
エリヴィエールの言葉を受け、キョウナは自身の炎命者としての力を解放した。たちまちキョウナはどす黒い甲冑を見に纏う。その手には、血がこびりついたような鎌を所持していた。エリヴィエールの鎌は、どこか美しさすら感じさせるようなものだったが、キョウナのそれはただただ無骨な、生命を殺すための武器、という感じだった。
「……会えるなら、あの世でまた会いたいものだ」
「安心してえな、ウチもすぐに逝くでえ」
兜のせいでミカノの声はくぐもっていたが、その語気はどこか明るかった。そうして会話を終えると、キョウナは鎌を振るう。
横に、一閃。
エリヴィエールの首が飛ぶ。血は、流れなかった。持ち主が居なくなったエリヴィエールの胴体は、膝をついたまま倒れる事は無かった。
「高位存在との繋がりを消しただけやったらあかん。……見知った子を苦しまんように殺すなんて、嫌なもんやねえ」
疲れきったようにキョウナは言うと、炎命者の力を解いた。吐血量はかなりのもので、俺はみっともなく取り乱してしまったが、大丈夫やから、と微笑んだ彼女の顔を見て、落ち着きを取り戻した。心配していたつもりが逆に気を遣われてしまい、情けない話である。
それから彼女と二人で、エリヴィエールの墓を作った。エリヴィエールが連続失踪事件の犯人だと知った、街の人達の目線は冷ややかだったが、キョウナは心の底から悲しみ、涙を流していた。そう、きっと、二人は友人で、仲間だったのだろう。
「あの子は、悪い子やなかった。ある日突然街に来てなあ、ボロボロのウチの代わりに仇魔を倒して……言ってることは難しかったけど、それでもいつも自信満々に笑ってなあ。それがまた、混じり気なくて、純粋で……」
「仕方ないとはいえ……ですね」
「……ホンマに、なあ。後悔なんて、したくないんやけど。なんで、こないな事に……そう、思ってしまうんや」
キョウナは墓を拝む。それは熱心に。ぽっかりと今までの生活から抜け落ちた人との思い出を、必死に思い起こすかのように。
向こうにカレン達が見える。こっちにやって来るのだろうか。ああ、リリィがこけた。こんな何でもないような事が、何故か途端に、幸せに思えた。