キョウナとエリヴィエール-4
嫌な気配のした場所に居たのは、力感なく座りこむ人間の姿だった。目は虚ろ、光が無い。意識も無いのか、口元にはよだれが見える。
しかし、この人にばかり気を向ける事は出来なかった。背後に気配がしたからだ。もしや、一連の失踪事件の犯人だろうか。もしそうならば、逃がす訳にはいくまい。気配がゆらりと揺れる。やばい、急がなくては。
この意識を失っている人を放って行くのはマズい気もするが、いかんせん急務だ。俺は背中に感じた冷たい気配を追う事にした。
姿は見えない。ただ己の勘を頼りに追いかける。三つ又に分かれている曲がり角に着く。左右に分かれた道を見ても、人影すら無い。これはおかしい。
いや、違う、後ろか!刹那、背後から圧し潰すような殺気が飛んできたので、焦り、振り返る。
振り返った瞬間。俺の左腕が飛んだ。鮮やかに斬り飛ばされた左腕は、血飛沫と共に宙を舞う。痛みは凄絶だが、戦うとなりアドレナリンが出ているのか、脳天が歓喜でざわめく中、腕を斬りとばすなど、誰がやったかと敵を見る。
ああ、知っている。俺はこいつを知っている。黒いフード、黒いマント。顔は隠れているが、見覚えがある。しかしこいつは手に持った赤く黒い鎌を、今にも振らんとしている。言葉を交わす余裕など無い。
俺は宙を風車のようにくるくると回る左腕を、がしと右手で掴み、敵に向けて振り下ろした。しかし、当たらない。かわされたのではない。俺の攻撃は、身体をすり抜けた。貫通した。そうとしか言えない。
そんな予想外の事態にも慌てないように心がけ、俺は手首を捻り、斬り飛ばされた左腕を相手に向けて飛ばす。血飛沫がスプリンクラーのように辺りに撒かれる。目隠しになれば良かったのだが、相手はほとんど怯まない。鎌を振り上げようとしている。
攻撃を防ぐべく、手首目がけて手刀を繰り出す。全く、愚かしい選択だ。手刀もすり抜ける、なんて。少し考えれば予測出来そうなものなのに。
そう、まさにその時。手刀が空を斬った時。俺の頭が宙を舞った。首が両断された。痛い、痛い痛い痛い!激痛が螺旋のようにぐるぐる続く。痛いという感情だけが脳内を支配する。
不思議な感覚だ。上空から、首の無い自分の身体を見ている。そいつは地上でぼけっと突っ立っていた。マズい、再び鎌が振られる。何してんだアイツは、戦いの最中に!
俺は大きく後ろに飛び、再生した左腕で頭を掴み、離れ離れになっていた胴体とくっ付けた。みるみるうちに傷は塞がり、真っ二つになった首も元通りだ。その再生能力を警戒したのかどうかは定かではないが、どうも敵は様子を伺っている。
『少年。まさか、同じ炎命者と戦う事になるとはな』
ラティアがわざとらしい驚き方で話すが、それどころではない。俺の首は大丈夫だろうか。なんだか気持ちが悪い。
『安心してよいぞ。もう治っておる』
治るのが不思議なくらいだ。本当にくっ付いているのかと不安気に、俺は首をさすった。見事に胴体と合体している。切られた跡すら無い。自分の事ながら中々の化け物ぶりだ。
「で?何してんだい、エリヴィエール」
刺々しい言い方で、俺は目の前にいる敵、エリヴィエールに聞く。相変わらず彼女の顔は見えないが、声は聞こえた。
「もはやこうなっては、暗きモヤで光は見えず、我が前も背も荒野の果てか」
ふうと息を吐き、エリヴィエールは黒く鈍く光る武器を構える。どうやら彼女、追い込まれているらしい。それもそうだ。ここで俺を生かせば、これまでの失踪事件と自分を繋げられてしまい、俺を殺した所で、カレン達という俺の仲間が居る。どうにも手詰まりだ。
「もはや哀れな道化だとしても、最後まで踊り狂ってみせよう。ではどうか、我のために死んでもらいたい。罪の十字架は背負ってやろう」
「悪いが今回は遠慮させてくれ」
そうして俺は、短剣の神具である断罪剣グリゴラスを抜く。手刀もすり抜けられた。エリヴィエールにはどうも物理攻撃が効かなそうだ。この神具は、罪ある者にダメージを与えるもので、如何なる防御性能も御構い無しだ。相手とのリーチ差が絶望的だが、そこは何とかしよう。
エリヴィエールがひとっ飛びで距離を詰め、鎌を振る。躱そうにも、速度が尋常ではない。神具でとっさに防ぐが、力で押し負け、はね飛ばされた。腕に激痛が走る。
『前』
ラティアの言葉に顔を上げると、エリヴィエールが眼前に迫ってきている。縦に一直線に振り下ろさんとしているが、俺の武器のリーチからして、今度は躱すしかないだろう。
南無三、どうか躱せますように。ハッキリ言って鎌の軌道なんかちっとも見えない。躱せたとしても、偶然が起こっただけだろう。
ただ、今回は運が良かった。偶然相手の攻撃に、偶然俺の横っ飛びが重なり、回避に成功したのである。俺はガラ空きの奴の脇腹に短刀を振るう。
しかし、浅い。ダメージは殆ど無さそうだ。エリヴィエールは再び鎌を振る。今度は躱せない。神具を握っている、俺の右腕が斬り飛ばされた。
だが、こちらも反撃せねばなるまい。斬り飛ばされた右手からすっぽ抜け、宙に浮く神具を足で蹴り飛ばすと、エリヴィエールの胸元に深く突き刺さった。
「むぐぅっ……!」
彼女はうめき声をあげて一瞬よろけたが、すぐに胸元から神具を引き抜き、俺に投げてくる。俺はそれをかろうじて躱す。ぎりぎりで躱したためか、頬が裂ける。痛みは大して無い。だけどさ、神具、エリヴィエール相手に対して効いてないじゃん。
『ほう、これはつまり、あの少女が人の命を消すのは罪でない、という事か』
そんな事があるのか。神具っていっても万能じゃないのね……
『万能ではある。が、その力の全てを使えば、お前さんの命はすぐに無くなるからのう。別の神具を試してみるのは?』
そうしよう。だが、何の神具を使うか、悠長に考えさせてはくれそうにない。
「雪崩ゆく魂!」
白い炎が地を走る。咄嗟に回避しようと試みるが、彼女の攻撃は、とにかく速く、苛烈である。回避など間に合わず、防御する暇もなく食らってしまった。
熱い、熱い熱い熱い!身を焦がす炎が俺を焼く。肌が、肉が焼ける音がする。こういう熱い炎は嫌いだ。かつて死んだ時を思い出す。身体の反応が鈍くなる。
俺が体制を立て直していると、白い、幽霊のような透明の物体が、エリヴィエールの周囲に現れた。それはみるみると、槍状に形を変える。
「突き穿つ魂」
圧巻だった。横一杯に並んだ白い槍が、今にも貫こうと俺の方を向いている。どうしたものかと考えていると、エリヴィエールは、大きく息を吸い込んだ。
(やばいっ……!)
嫌な予感がした俺は、上に飛ぶ。瞬間、エリヴィエールの口から、地面を這うように白い炎が吐かれた。ジャンプしていなければ、あの炎に焼かれていただろう。
「安易な跳躍、死を招く」
しかし、どうもそれがマズかったらしい。白い槍先が、一斉に空中の俺に向けて転換し、恐ろしい早さで飛んでくる。躱そうと思う間もなく、槍は俺の身体を貫いた。
「くおっ……!」
身体の芯から焼かれるような熱が、俺を襲う。傷は無い。が、身体が思うように動かない。肺が握り潰されたような感覚で、息が出来ない。足もエリヴィエールの槍に貫かれたためか、熱いという感覚以外が全く無い。着地に失敗し、膝をついてしまう。今や俺の手足は、情けなく震えるだけで、まるで言う事を聞かないじゃじゃ馬になってしまった。
エリヴィエールが白い炎を纏う鎌を振り上げ、眼前に迫ってきている。ああ、追い込まれた。しかし丁度いい。エリヴィエールにおあつらえ向きの神具が、どうやらあるみたいだ。俺はぼそりと呟いた。
「《捻切鎖縛― 」
今にも鎌を降り下ろし、俺の首を落とさんと敵が意気込む、その瞬間。
「アスモマアト》!」
鋼色をした鎖が四方八方から現れ、敵の身体を高速で縛った。手足を動かそうにも、鉄が擦り合う音が響くだけで、ビクともしない。最早エリヴィエールは身動き一つ出来ないようだ。
「なっ……!」
彼女の表情の全てを見る事は出来ないが、その声は分かりやすく仰天の色に染まっていた。攻撃を受けるはずがないと思い込んでいた人物が、予想外の出来事に理解が追いついていない。馬鹿な、こんな事が、と彼女は続けた。
鎖は彼女の首にもうねうねと巻きつき、締め上げる。エリヴィエールは苦しそうな声をあげた。この神具は、敵の動きを止めるだけではない。動きを封じ、敵の四肢を捻じ切り、殺す鎖である。
ただ、こちらの消耗も凄まじい。エリヴィエールの攻撃を食らった事もあり、全身が軋み、今まともに動くのはかなりの無理を強いられそうだ。エリヴィエールはフードから僅かに見える目で、鋭く俺を睨んでいる。
鎖はさらにエリヴィエールを締め上げる。指がぴくぴくと、まるで痙攣しているように動き、口には唾液が見えた。あと少ししたら、彼女の首が飛ぶだろう。流石にそこまでする気は無いが、しかししなければ、この先どうしたものだろうか。手詰まりである。
彼女を殺すのは避けたいが、このまま鎖を緩めたり、解除したりすれば、彼女の攻撃を受けかねない。鎖から脱出などされてしまえば、弱っている俺はどうなってしまうやら、分からない。
そうして俺が、窮地に頭をぎりぎりと傷めている時。後ろから優しい声がした。
「頑張ってくれたなあ。ありがとうトキト君、もうええよ」
その声は。俺は後ろを振り返った。
「……キョウナ……!」
「これはウチらの問題や。もうその鎖、解除してくれてええでえ」
話し方やらは前のままだったが、その目は鋭く、真剣だった。