キョウナとエリヴィエール-2
エリヴィエールに案内されてたどり着いた街は、これまでで一番大きかった。街に住んでいる人も多く、一見活気があるように見えるが、しかし皆その表情には影が差している。街の様子も気になるが、どうやら先に行くところがあるらしい。エリヴィエールは街の中心部と思われる所から離れていく。
「それで、どこに行くの?」
「天……」
エリヴィエールは、ユイの質問に答えたのだろうか。俺にはちょっと分からなかった。カレン達も分からないらしく、一様に小首を傾げている。
「天って何だ……?」
「この街の、天だとも」
「……?……ああ、町長」
俺は何となく察しがついて、ぽんと手を叩いた。エリヴィエールが満足気に頷いている事から、どうやらこれから行くのは、この街のトップの所らしい。よく分かったわね、とミカノが感心したように話しかけてきたが、これは誇るべき事なのだろうか。
さて、エリヴィエールに先導され、やって来たのは、何とも普通の建物だった。特筆すべき事は何もない、ごくごく一般的な、背丈の低い一軒家である。小さく、キョウナ、と書かれた表札が、目立たない位置に飾られていた。
「ん、エリヴィエール。仇魔退治は上手く……あれえ、なんや珍しいねえ、お客さんやなんて」
家に入ると、ベッドに横たわった女性が、むくりと上体を起こした。彼女がこの家主、キョウナだろう。俺たちを見て、目を丸くしている。彼女の言葉は、日本の関西弁に似たイントネーションだった。
「ではキョウナよ。我が使命は果たしたが故に。預けよう、この迷い子達を」
「いやいや、ちょいちょい……」
エリヴィエールは、キョウナという女性の制止も聞かず、疲れているのか顔を手で抑えて、そそくさと家を出て行ってしまった。キョウナは困ったような顔をする。
「要は丸投げかい……まあ、あの子らしいわなあ」
眉を曲げ、しかし穏やかに笑う。少し咳をして、彼女は自己紹介をした。
「ウチはキョウナいいます。まあ、一応炎命者で、この街の偉いさん……に、なるんかな?」
「炎命者?それじゃあこの街には炎命者が二人?」
ユイは合点がいかない、という風に聞いた。炎命者が街に二人居ても、というのは、彼女が街を出た要因であるから気になるのかもしれない。
「うーん……微妙な所やねえ。確かにウチもエリヴィエールも炎命者やで。せやけどなあ、戦えるのはあの子だけやねん」
「……寿命ね」
ミカノが実に暗い口調で言うと、キョウナもそれに弱々しく頷き、苦笑した。
「ま、そういうこと。自分の身体や。自分が一番分かる。後一か月、保つか保たんかやろうねえ。まあ炎命者やし、しゃーないわなあ」
ふう、と疲れたようなため息をついた後、キョウナは、お客さんに話すような事ちゃうねえ、と謝った。しかし、彼女の見た目はかなり若々しい。そんな彼女が、寿命を迎えようとしているとは。
「こんなに多くの炎命者で旅しとるの?羨ましい限りや、憧れるわあ。良かったらこの街でゆっくりして、旅の疲れを落としてってくださいね」
そう笑った後、彼女は苦しそうに咳をした。皆はキョウナを、大丈夫かと気遣っていたが、彼女の、お気遣いなく、という気丈な言葉を受け、ひとまず宿を探しに此処を出ようか、という事になった。
しかし俺の足は、此処を出る事を渋る。もう少しだけ、キョウナと話をしたいと思っていた。
「どうしました?」
中々建物を出ようとしない俺を、カレンが不思議そうな目で見る。先に行っててくれ、と俺が言うと、カレンも深くは追求しなかった。
「あれ?お仲間さんはもう行ってもうたけど……」
他の皆が此処を出ていったのに、まだ残っている俺を見て、キョウナは心配そうにしている。
「ちょっと、聞いときたい事がありましてね」
「なんや、好みのタイプ?あかんでー、もう長ないウチに惚れたら」
「貴女の容姿だと冗談になりませんよ……」
事実、彼女は綺麗である。この世界に来てから、綺麗な女性としか会っていない。外見だけでなく、内面もそうだ。
「あはは、褒めるのがお上手さん。よっしゃ、気張って答えたるでえ。何でも言ってや」
「……最近この街で、何か良くない事がありませんでしたか?」
俺の発言に、キョウナはぴくりと反応した。
「勘?」
「ええ、どうもこの街の人達、笑顔なのにどこか暗いものですから」
「凄い勘しとるねえ。大したもんや」
初々しいのになあ、と彼女は感嘆の息を吐き、続けた。
「そら、殺人が起こっとるかもしれんからかねえ。この街で、結構な人数消えとる」
「それなら、俺たちに言ってくれても……」
「すまんなあ。せやけど良く分かっとらんのよ。厳密には、殺人やなくて、失踪。街中色々探し回っとるんやけどねえ。正直、殺人かどうかもまだ分かっとらんのよ」
この街にまだ犯人が居るのか居ないのか、そもそも犯人自体が存在するのか、という段階らしい。単なる失踪だけなら、夜中の門は警備が薄いので十分あり得るそうだ。酔っ払った人間が、門から出て仇魔に殺されれば、失踪事件の出来上がりというわけだ。
ずさんな管理体制なように感じたが、そもそもキョウナは、この街を支配していない。ただ犯罪を抑制し、住民を自由にさせる、言わば警察みたいなもんだそうだ。
「街に仇魔が居るとか」
「どやろ……結界は張っとるけどなあ。でも、結界をすり抜けるような仇魔とかも、おった気がするんやけどねえ」
「うへえ……そりゃえらいことですね」
「何にせよ、気ぃつけてなとしか言えへんわ。もし手掛かり見つけたら言ってな。私……は無理かも。まあ、エリヴィエールが何とかすると思うわあ」
「信頼してるんですね、エリヴィエールの事」
「外から来た子やけど、ええ子やで。難解な言葉使うけど、そこはまあご愛嬌やねえ」
キョウナは、とても良い人だ。包み込むような器の大きさを感じる。俺を信頼してくれたのか、懇切丁寧に教えてくれたので、有難うと礼を言って、去ろうとした時、キョウナが静かに言った。
「炎命者は、殺されへん。頭ぶち抜かれても、心臓抉られても、別に死なんのよ。ただ、死と無縁ではないんや。むしろ逆。常に死と隣り合わせ。
真綿で首絞められるように、ゆっくり、ゆーっくり死の恐怖が近づいてくる。でも身体は動くんよ。ウチも戦おう思たら戦えるけど、そんなんしたらすぐ死ぬ。戦えば死ぬけど、でも戦える。それが炎命者。
気ぃつけや。今はそうでもないと思うけど、だんだん死が身近になってくる。毎回毎回、力使った後に死ぬっていう感覚を味わうようになるで」
言い終わって、彼女は笑った。
「脅しとるんやないんよ。お先真っ暗な老いぼれの、若い子へのアドバイス。死への恐怖を克服してこそ、最後まで戦えるってもんや」
「……有難う、忘れませんよ」
「良かったらまた来てやあ。君は結構好きなタイプやから」
そう言うと、キョウナはまた苦しそうに咳をした。心配になり駆け寄ると、口を抑えていた手と布団が、鮮血に染まっていた。
「血が……!」
「……まあ、もうすぐ死ぬんやからこんなもんやねえ。それより、もし君のお仲間さんが、何もしてないのに吐血したら、その子はもう長ないかもしれん。気ぃつけてなあ」
その時のキョウナが、俺には無理に笑顔を作ったように見え、また自分の事よりも俺の事を心配している事が、俺の心を刺した。
キョウナの人の良さに動かされ、結局この後、俺は彼女の身の回りの手助けをした。水を用意したり、食事を用意したり。食事に関しては、既に調理済みの物があったので、料理する必要は無かった。しろと言われても出来ないが。
彼女はちゃんと歩き回れるようで、介護とはまた違う。こらいよいよウチもおババやなあ、とキョウナは笑っていたが、その笑顔は先程より幾分明るいものだったと思う。
やがて夕刻になり、そろそろお仲間さんと合流せなアカンで、と諭すような口調で彼女に言われたので、いよいよキョウナの家を出る、という時だった。ありがとうなあ、と彼女はしみじみ言った。
それは非常に印象深く、街を出ても暫く、ずっと、俺の心に響いていた。それを言うなら、きっと俺の方だ。