キョウナとエリヴィエール-1
俺が目を覚ますと、それを見たカレンが微笑んでくれた。どうやら今回はすぐに目を覚ませたらしい。
「もうすぐ街に着きますよ」
カレンが言った。周囲を見ると、ユイとリリィは眠っており、ミカノは大きなアクビをしている。眠いというより暇そうだ。アーシエは馬車の手綱を握っているので、幌で視界が閉ざされた此処からでは見えないかな。
「トキトさん、お腹空いてませんか?」
「あー……言われてみれば」
「ふふっ、もうご飯にしますか?」
「頼むよ」
カレンは、馬車内に無骨に置かれてある、樽を開けた。ユイの居た音楽街で、食料を貰えた事で、生活にやや余裕があるそうだ。量の多さは、ユイが旅に同行する事を踏まえて、という所だろう。
ミカノが気だるそうに、またアクビを一つして、とんとん、と床を足で叩くと、ぼうっと淡い光を放ちながら浮遊する、式神が現れた。
羽虫のようにふよふよと空中を漂っていた式神が、ミカノが握る木の棒に取り憑くと、木が松明のように炎を纏った。エンチャントってやつかなあ、便利なものだ。
その炎で熱した鍋に、肉や野菜、卵を投入。貴重らしい塩コショウも、ほどほどに振りかけてかき混ぜる。シンプルだが、それでも十分美味しかった。
ただ前世のと比べると、僅かに味は落ちる気がする。そりゃそうか。農業や畜産とかのノウハウが違うわけだしなあ。それでも、気になるほどじゃない。
「水入れるけど、トキトは温度どうするの?」
「えっ?ああ、普通で頼む」
ミカノは樽の水をコップですくい、俺に差し出した。ぬるめだが、なかなか美味しい水だ。 腹が膨れ、気持ちも緩んだ俺は、長旅の余白を埋めたいがために聞いてみた。
「次の街までは遠いのか?」
ミカノが馬車を駆るアーシエに聞く。どうやらそこそこかかるらしい。
この暇な時間、どうしたもんかねえ、と思っていると、外から雨の音が聞こえてきた。さあさあと、優しい音だ。これくらい小粒の雨音なら、一種のBGMになるのでありがたい。
幌が雨を弾いているようで、頼もしい。それをしのげる場所に居ると、雨というのは風情があるように思える。俺は、雨というのはじめじめしているからか、憂鬱になるだけで嫌いだったが、今回はそうでもない。
ただ、次第に雨足が強くなる。小さかった雨粒が、どんどん大きくなっていく。幌の天井が大粒の雨に堪えきれないかのように下に沈む様子を、俺はぼけっと見ていたのだが、何やらミカノの目がみるみる鋭くなっていく。
「どうしたんだ?」
「……嫌な予感がするわ」
「そうかねえ」
俺は特に何も感じなかったが、ここで雷の音が轟いた。相当の爆音な上に、死を予感させるほどに近い。カレンが悲鳴をあげ、耳を塞ぐ。大木が地面に沈む音も聞こえた。馬車の速度が増し、荷台の揺れも強くなる。
問題は、雷の落ちる頻度があまりにも高い事である。休む間もなく、ひっきりなしに落ちる。明らかに異常だ。ユイもリリィも、雷の轟音で飛び起き、周囲を確認している。
「こ、これは仇魔の仕業なんでしょうか……ひいっ!」
座り込んで頭を抱えたカレンが、また雷に悲鳴をあげた。一方リリィは、雷にうきうきとしている。ユイは雷の度ぴくりと反応するだけで、相変わらず表情一つ変えない。
俺は素早く幌をめくり、外を見た。辺りは鬱蒼とした森で、夜のように暗く、殴りつけるような雨と木々を燃やすほどの雷が、ひっきりなしに降り注いでいる。
「居た!」
目をこらすと、遠くに鳥の形をした影が見える。羽を広げたその影は、何十メートルという大きさだった。あの巨大さ、おそらく仇魔で、この悪天候は奴の仕業ではないかと考えた俺は、この土砂降りの中、馬車を飛び出した。背後でカレンの仰天する声が聞こえたので、安心してくれと叫んでおいた。
仇魔までは相当遠いが、神具の射程範囲内だ。ぶるんと振れば、大抵の仇魔は息絶えるであろう。しかしやってやるぞ、と腰を落とし、いざ神具を引き抜こうとした時である。豪雨で見えにくいが、人間大の影が一つ、恐ろしい速さで仇魔を横切ったかと思えば、仇魔の影は真っ二つになった。
何が起こったのかと唖然としていると、雨や雷は止み、木々の隙間から太陽の光が差し始め、辺りが明るくなった。どうやら仇魔は倒されたらしい。意気込んだ成果が服が濡れただけとは、泣きたくなる。一部始終を見ていたらしい、荷台から顔を出しているリリィにからかわれた。ほっとけ、くそう。
しかし一体あれは何だろうと見ていると、仇魔を倒した影がこちらに向かってくる。その移動方法が不思議だった。走るわけでもなく、とーんと飛ぶような。幅跳びを動作もとらずに行っているような軌道だ。
「敵か?」
「んー……炎命者っぽいかなあ」
俺は警戒しているが、リリィは呑気なもんだ。速いな、もうここに来るぞと笑っている。
リリィの言う通り、影はあっという間に飛来した。体躯は細く長い。黒いマントに黒いフードで、顔を隠している。姿形は人間だが、油断は出来ない。警戒心を強め、襲われた時に備え構えていると、その人物が話しかけてきた。やや低めの女性の声だ。
「お前も、福音を受けし者か?」
「……うん?」
「隠さずとも良い。こんな所を呑気に移動するなど、選ばれし者にしか出来ん事だ」
その人物は、ふふんと鼻を鳴らした。しかし俺は困惑していた。彼女の言葉を解読するのに苦戦していたのである。
「ふ……福音?どういう事だろう……リリィ、分かるか?」
「ふくいん?ふくいん……うーん……」
リリィは聞きなれない単語にショートしている。うーん、しかし福音を受けし者、選ばれし者……なのか……?あれ、これって。
「もしかして、炎命者って事か?」
「ふっ……如何にも」
如何にもじゃない。特徴的なのは嫌いじゃないが、解りづらい言い回しは止めて欲しい。……だいたい福音ってそういう意味なのか?
「我も又そうだ。我はそう!この世に生を受けし神の寵児、エリヴィエール!あらゆる悪鬼を討滅する者也……」
芝居掛かった口調と動作。いちいちポーズを決めるのは、何故だろう。カッコいいからだろうか。カッコいいけど。
「変な奴ね」
「褒め言葉だ」
ミカノのバッサリとした言葉に、嬉々とした口調で返す彼女。こういうの、厨二病って言うのかな。でも実際神のような力はあるから、そうじゃないか。
「それでエリヴィエールさん、貴方は近くの街に住んでいるのかい?」
「如何にも」
「もし良ければ、案内してくれないかな。この深い森を抜けるのは、骨が折れそうなのでね」
アーシエが気さくに話しかける。エリヴィエールは二つ返事で承諾した。
「良かろう!使徒達よ、暗闇の雲海を突き抜ける術、この我が教え導こうではないか。いざ続けい!我という御旗のもとに!」
中々ハードな会話を仕掛けてくる。言っている事はよく分からないが、自信満々で頼もしい。今は彼女を信じるとしよう。