音楽街-6
「どうだいユイちゃん、どうするか決まったかい?」
炎命者になったらしい太った男性が、ユイに優しく問いかけた。
「貴方が炎命者になった時点で、もう決まってるようなもの」
「え……?」
「私が街に残ったら、炎命者が街に二人居る事になってしまう。二人は、余剰」
「い、いや、二人居ても良いと思うがなあ……」
ユイの、痛い所を鋭くつく言葉に、男性はたじたじである。何か言い返そうと試みるも、思いつかないのか頭を抱える男性に向かって、ユイは落ち着いて言葉をかけた。
「……また、帰ってきてもいい?」
ユイの言葉は、どこか明るい声色に聞こえた。それを聞いた男の顔もまた、ぱあっと明るく晴れた。
「あ、当たり前だって!いつでも帰ってきなよ!」
その言葉を聞くと、 ユイはぐるりとその場で回った。まるで、去る前に街や人々を目に焼き付けているみたいに。街に居る人々。街の情景。ゆっくりとそれらを見渡した後、ユイは俺たちの方へ、ぴょんと跳ねた。
「……それじゃあ、行くね」
「……ええ、いってらっしゃい。気をつけて」
「……よっしゃ!最後なんだし、盛大に送ってやろうぜ!」
「よしきた!!」
男性の呼びかけに、街の全員が呼応し、それぞれ思い思いの楽器を用意する。
「ユイさん、また帰ってきて下さいね。それに、炎命者の皆さんも」
マスターは、懐から指揮者が振るタクトを取り出すと、俺の方を見て、ダンディーなウインクを一つした。
「今度この街に来た時は、うちの店で何か頼んで頂きたい」
「そりゃあもう、ありったけ頼みますとも」
「嬉しい言葉です」
俺の返答に、マスターは楽しそうに笑うと、勢いよくタクトを振った。
と同時に、音の大合唱が聞こえてきた。フルオーケストラよりも、それはもっと雑多で、シンバルやら小太鼓やら、サンバホイッスルなんかが、小粋にリズムを刻んでいるかと思えば、ハープや笛のような繊細な音も、かき消されずに、確かにある。何か、混沌の中にも調和があったのだ。
タクトが唸りを上げ、波を打つ。それに呼応するように、賑やかな音が、現れたり、消えたり。まるで祭りの様相だ。皆、実に楽しそうに演奏していた。笑顔が絶えない。
「……良い街だな」
俺は、染み染みと呟いた。
「……うん」
ユイは、今この瞬間を噛みしめるように頷き、演奏が終わっても尚、街の人々を見つめ続けていた。
「ではユイさん、またいつの日か」
町中に響いた音の群れが消え、タクトをしまったマスターは、晴れやかに笑った。また会えるという、希望に満ちた笑顔だった。
「うん」
ユイは、小さく手を振ると、俺たちが待つ馬車に乗り込んだ。街の人達は、そんなユイの後ろ姿を、どこか寂しそうに見つめていた。
「……もうよろしいのですか?まだなら、いくらでも待ちますよ」
カレンの優しげな言葉に、ユイは短く、大丈夫、と答えた。
「いつ死んでもおかしくない旅なんだから、後悔のないようにした方がいいと思うなー」
リリィは、ハンチング帽を手に、どこか遠くを見ているような目で言った。彼女の幼い見た目とは不相応な、何かを悟った様子である。
「もう、伝える事は伝えた」
「そう……それじゃ、いいのね?」
「うん」
ミカノの念を押すような問いかけに、ユイが迷いなく頷くと、外で馬の嘶きが聞こえた。街の人々は、また音楽を奏でる。別れの時だというのに、それはもう、アップテンポでご機嫌な音楽を。街を出るまで、その音は消える事は無く、消えてしまえば物悲しかった。
馬車は進む。地面の起伏を反映するように、かたたん、かたたん、と僅かに揺れながら。ユイは荷台の幌から顔を出し、ずっと手を振っていた。街が見えなくなるまで、ずうっと。
「まだまだ腕が足りないみたいだけど、笛が上手くなったら、またこの街に帰って皆に聞かせたい」
ユイは言った。聞かせたい、か。願望を言うとは、感情を取り戻しているのだろうか。それなら嬉しいんだけど。
「そりゃ皆も喜ぶよ」
「そう」
表情こそ変わらなかったが、その語気は喜色を纏っていた……と思う。
街から大分離れると、馬車内は水を打ったかのように静寂に包まれた。そろそろこの静かな雰囲気にも慣れてきたが、今さらながら気になったことがあったので、暇つぶし程度に聞く事にした。
「この旅は、仇魔を倒す旅なんだよな」
「そうですよ」
「倒すってったってさあ、どうするんだ?世界中をしらみ潰しに回っていくのか?」
こんな大切そうな事を、今まで気にも留めなかったのは、世の中のために仇魔を倒すことが目的だったからではなく、炎命者として力を振るうこと、皆と旅をする事それ自体が、俺にとって何よりの目的だからある。
はっきり言って、この世界のために身を粉にするぞ、という気持ちは微塵も無かった。だが、ユイが居た音楽街。あれは良い街だった。良い街には良い人達が住んでいる。良い人を助けるためならば、頑張ろうという気持ちも、少しは出てくるというものだ。
「確かに。それだとこの旅、終わらない」
ユイも俺に続いた。
「……そうね……」
どうやら俺の質問には、ミカノが答えてくれるようだ。ありがたい。彼女は考える様子を見せず、さらりと答えた。
「私の力は、戦闘に向いてないけれど、補助が得意だってのは知ってるでしょう?実はね、旅の最初の方に、目に式神を宿して、世界をぐるっと見てみた事があるのよ」
「そうしたら、どうなるんだ?」
「そうすると、仇魔の拠点が可視化されるの。でもその中に、一際大きくどす黒い力を放っている場所が、三つあったわ。その巨大な三つの拠点から、小さな仇魔の拠点に向かって力が湧き出ているような、そんな情景が見えたのよ」
「つまり、その三つのデカい拠点を潰せば……」
「仇魔を全滅出来る、とまでいくかは分からないけれど、相当弱体化するでしょうね。それこそ、人が武器を持てば十分戦えるくらいに」
「そんなにか?」
「実際、見たのよ。仇魔が弱体化した様子をね。
……実はね、抑えるべき大きな拠点、そうね、私達はその拠点を魔神主柱と呼んでいるのだけれど。その魔神主柱は、あと、二つなのよ」
その言葉に、俺は仰天した。
「既に一つは壊滅させたってことか!?」
「ええ、そうね。それこそカレンもアーシエも、まだ居なかった頃よ。私とリリィ、あと他に四人でね」
「四人……?」
俺は首を傾げた。その人達は今どこに居るんだろう。いや、まさか……
なんとなくで俺が予測を立て終わる前に、ミカノは吐き捨てるように言った。
「もう死んだわ。四人みーんな、ね。魔神主柱には、尋常じゃなく強い仇魔が居るの。そんな仇魔を、魔神主柱と呼ぶ事もあるくらいに、格が違う強さだったわ。全員で代わる代わる戦っても、まだ圧されるほどにね。
……結局、勝ったのは勝ったけど、その時力を使いすぎたのね。四人は戦いが終わってすぐに死んだわ。私とリリィも……どうなるかしらね」
「……そんな事があったのか」
いつもはニコニコと明るい雰囲気のリリィが、帽子で目元を隠し、暗く静かな佇まいである。彼女にも、色々とあるようだが、それを追求しようとするほど無神経では無い。
「私達の旅は、そういうものよ」
いつでも死ぬ覚悟は出来てるわよね?とミカノが聞いてきたので、当たり前だと答えておいた。せっかくの二度目の生、遠い人生計画より目先の幸福だ。長生き出来るか出来まいかなんてどうでもいい。
ただ……皆には長生きしてほしい。旅の途中で死んでほしくない。今度の魔神主柱は俺一人で倒してみせるさ、と息巻くと、それであんたに死なれても困るのよ、とミカノは言った。そんなの、悲しいじゃない。そう続けた。重い、言葉だった。
かたたん、かたたん。馬車は揺れる。馬車は俺たちを運ぶ。ゆっくりと、しかし確実に。馬車はどこに向かっているのだろうか。俺たちを黄泉へ運んでいるのだろうか。
黄泉、かあ。そんなものがあるとしたら、ここがそうだろう。何となく、ミカノ達とは、死ねばそれっきりな気がした。そんな事、当たり前のはずなんだけど。
かたたん、がたん。時に激しく馬車は揺れる。仇魔と戦ったこともあり、馬車の揺れは、俺の眠気を誘った。頭の中で、色々な考えがぐるぐるしている。だけど、今は眠ろう。とにかく、眠い。
そう思って俺は目を閉じた。意識が消えるのに、時間はかからなかった。