音楽街-5
仇魔を倒した俺とユイは、少し時間をおいてから街へ戻った。なんせ大量に吐血したし、全身を灼熱に捧げたような激痛も味わったのだ。まだ足元がおぼつかない。
疲労困憊のユイと肩を抱き合いながら街に帰ると、アーシエ達が出迎えてくれた。優しく左右に手を振っている。
「お疲れ。しかし悪いね、行くのが遅れてしまって。君に押し付けた形になってしまった」
アーシエは申し訳なさそうに頬をかいた。
「いいよ、大した相手じゃなかったんだから」
「ま、その代わりと言っちゃなんだけど、交渉を成功させといたから、それで勘弁してくれ」
「交渉?」
なんの事だろうか。
「報酬だよ。街を救ったっていう報酬。現金な話だけどね、これが無いと生きていけないもんだから。まあ他にも色々やってるんだけどね」
「……俺よりユイの方が頑張ってたんだけど……」
俺たちの旅では、食料は死活問題と分かっていても、なんだか申し訳ない気持ちが先行してしまう。そうやって俺の頭の中で、複雑な気持ちが渦巻いていると、バーのマスターが静かに話し始めた。
「ええ。だからこそ、良いのです」
「……うん……?」
ぴしっとしたスーツ姿で、立派な大人って感じのするマスターだが、その意味深な言葉の真意は、さっぱり分からなかった。どうか分かるように言って欲しいものだ、と俺が思っていると、彼はユイに向かって笛(フルート?)を渡した。
ユイは笛を両腕で掴むと、それをしげしげと見つめた。これから何をすべきだろうか、という様子である。
「聞かせて欲しい。何か、変わったように感じるんです。そんな、今の貴方の、音楽を……」
マスターだけではなく、この街の人達皆が、神妙な顔つきでユイの演奏を待っている。ユイはそんな人達の様子を伺うと、くるりと笛を回して口元に当て、ゆっくりと、吹き始めた。
ユイの笛から奏でられる音楽は、渓流のように滑らかで、涼風のように心地よく、大地のように優しかった。その場にいる皆、おお、と感嘆の息を吐く。
長らく俺は、機械が奏でる音楽と、人間が奏でる音楽の違いが分からなかったが、ユイの笛から湧き出るものは、機械に打ち込まれたものとはまるで違う。
なんだか鼓膜を通して、脳にじいんと響く素晴らしい音楽だと思った。人を動かす力があり、素直に感動を与えてくれる。ただ、街の人達の様子は、ただただ感動した、という以上のものを感じているようで、目に大粒の涙を浮かべてながら聞いている。
「戻ってる……!昔の、感情が消える前の……あの音に……!」
バーにいた、小太りの男性が、涙を堪えきれない様子だった。ユイは、どうしめ皆が涙を流しているのかと、きょとんと首を傾げている。
「何故、泣いているの……?」
「嬉しいんですよ……言葉にならないくらいに……!」
マスターはしばらく静かに泣いた後、やがて涙を拭い、真剣な表情で言った。
「……ユイさん。これは単なる提案なんですが。どうです、これより街を離れ、炎命者の皆さんと旅をされては?」
彼の突飛な言葉に、ユイは何故かと問うた。
「彼ら炎命者の方々が来てから、貴方はまるでかつての姿を取り戻したかのよう。炎命者の皆様と旅をすれば、もしかしたら、貴方の感情が元どおりになるかもしれません。……それこそ、喜ばしい事です……」
「それじゃあこの街、どうなるの?炎命者がいなくなるけれど」
ユイは素朴な疑問をぶつけた。おそらく心配とはまた違うものである。
「今まで、貴方に頼りきりだった事を、我々はずっと後ろめたく思っていました。安心して下さい。街は我々の手で守ってみせます」
マスターは少し言葉に詰まりながら、続けた。
「出来る事なら、貴方には幸せに生きて欲しい。ひとまずは、その幸せ、という感情。取り戻す事から始めるのはいかがでしょうか。
……その結果、この街に戻るという選択をとるのであれば、その時に備えて、街を守り抜きましょう。……どうか今のユイさんにとって、一番の選択を取っていただきたい。街に残る事であれ、街を出る事であれ……」
ユイは黙っていた。その表情はもはや見慣れたものだ。少しも変化しない。
「……私達の勝手なお節介でしたね」
「……そうでもない」
ユイの口角が、少し上がった気がした。それだけでなく、彼女が纏っていた氷のような雰囲気も、日が差したように、幾分柔らかくなった印象を受ける。
「ありがとう」
ユイはぽつりと呟いた。街の皆は仰天した顔をしている。まさか、感謝の言葉をユイから聞く事になるとは!という事なんだろうか。街の人々は、良かったなあ、良かったなあ、と泣きながら喜んでいる。ユイの人間味が、ほんの僅かでも戻る事で、こうも人々の感情を動かすとは……
「愛されているんですね」
そうカレンが言った。そう、ユイは愛されてる。この街の人達に。いや、愛されているだけではない。おそらく、ユイもまた、街を、人々を、愛しているのだろう。きっと、今も。
「……皆は、これ以上同行する炎命者が増えても大丈夫なのか?」
とりあえず、ユイが行くという意思を見せてくれても、ミカノ達がやっぱり連れて行けないよ、となったら困るので、聞いておく。
「願ったり叶ったりよ。炎命者の仲間は、多く居ればいるだけありがたいわ。……一人一人が闘う機会も減るしね」
どうせなら長く生きたいじゃない、とミカノは続けた。そうでなくても、仲間が増えるのは嬉しいな、とリリィは無垢に笑った。カレンも、アーシエも、同行者が増えるのは喜ばしい、といった表情をしている。
しばらくユイは、表情をほとんど変えずに、何か行動を起こすわけでもなく、ただぼうっと突っ立っていた。何か考え事をしているのだろう。
「私は……この街に居た方がいい」
ユイは、ゆっくりと口を開く。少し、目が揺れた気がした。
「でも……この街に居ないほうが良い。……の?」
彼女は、街の皆の方を見て、尋ねた。
そう、どうも彼女自身は、街に留まる事を第一の選択肢としている。炎命者という存在は、居なくなったらポンと代わりが現れるもんでもない。たとえ代わりになる炎命者が現れたとしても、代償は払わなければならないのだ(俺は払ってないが。ラティアと出会えた幸運を喜ぶと共に、なんだか良心が痛む)。
ユイの、街に留まるべきという選択は、実に合理的なものだ。不幸になる人は居ない。ユイが幸福、というか感情を捨てれば終わり。ユイがどれだけの事を考えていたかは分からないが、成る程、これはある意味非常に優れた選択肢かもしれない。私情を交えなければ、だが。
しかし街の人達はそう考えていない。自分達は、これまでユイに助けられてきた。だから今度は、自分達がユイに尽くす番だ、というような事を思っているのだろう。そんな街の人々の想いが、ユイにも伝わっているのか、彼女は現状どちらにするか、判断を下す事が出来ずにいる。その時のユイは、まるでフリーズを起こしたAIのようだった。
「だっ、大丈夫か……?」
そんな彼女の様子を見かねた俺は、思わず声をかけてしまった。
「トキト。私は、どうすべき?」
彼女はくるりと俺の方を向いた。
「いや、好きにしたらいいと思うが……」
「……どうしたらいいか、分からない。どうするのが一番いいのか、分からない……」
どちらを選ぶべきか、難しい話である。街のために、俺たちの旅に同行しないという選択は、他ならぬ街の人達に望まれていないのだから。どちらの選択肢も同等という場合、自分の感情に任せてみるのが良いと思うが……。しかし彼女の物差しに、感情は無い。
「じゃあ……今、街の誰かが炎命者になったらどうだ?」
「……それなら、私は街の皆の意思に従う。街の安全は保障されるし、街に留まる事に固執する必要もなくなるから」
成る程、と街の皆は唸った。本来なら、私が名乗り出たいのですが、とマスターは苦い顔をする。どうやら彼は、炎命者になろうとしたが失敗し、今の街の結界を張っているらしい。彼の眼帯は、その時の代償だとか。
しかし、炎命者になろうという、固い意思を持っているのは、彼だけでは無かった。俺が、私が、と炎命者に立候補する者が、ひっきりなしに出てくる。それも全員、ユイのためならどんな困難も、と覚悟を秘めた目をしている。
こうなると、それじゃあ一体誰が炎命者に、という事になってくる。
俺には嫁さんも彼女も居ないんだから、俺がなるべきだろう。いやいや、私には家族が居ないのよ、私がなるべきだわ、というような、新感覚の自己アピール合戦が行われる始末だ。結局、きりが無い。
ふとここで俺は、おや、と思った。バーにも居た、小太りの男性が見当たらない。あの人、結構目立つのに。どこに行ったんだろうか。
それから、進展が無いまま時間が経過した。誰がなるべきか、まだ揉めている。といっても、気軽に決めるもんでもないという事は、カレン達も重々承知している。
しばらく決まりそうにないですね、と頭をかくマスターに注いでもらった、紅茶やらコーヒーやらを飲みながら、カレン達はゆったりとした時間を過ごしていた。時間をかけたって決まるもんでも無いと思うけどねえ、とミカノは眉をハの字に曲げた。
「ああもう!俺が行く!」
と、ある一人の男が、この膠着状態に耐えきれなくなったように叫び、街の端にある社の方に走り出した。おお、速い。快足である。周囲の制止もなんのその、あっという間にぶっちぎる。
しかし、大丈夫なのだろうか。勝手に突っ走って、成功すれば良いが、もし失敗したら尾を引きそうだけど……
そんな急ぎ足の男性を制したのは、社がある方向から、腹を揺らしながらゆっくりと歩いてきた、あの太った男だった。まさか、姿を消していた理由って……。俺だけではなく、皆も何かを察している様子だ。
「おう!お前らがあんまりにも遅いから、俺ぁもうなっちまったぜ!」
満面の笑みを浮かべる男性。どうやらゴタゴタを抜け出して、一人こっそりと炎命者になったらしい。街の皆は、何してるんだ、無事だったから良かったものを、と嬉しいのやら、心配なのやら。口角は上がっていたが、やや困り顔だった。
「代償は、どうだったんだい」
先程、社に向かって一人駆け出した男性が尋ねた。
「ああ、思ったよりは軽かったなあ。一生酒で酔えねえ。そんだけさ。もっと重いやつでも、良かったがな!」
わはは、と豪快に笑う小太りの男性。酒がどうした、まだまだ、俺には音楽もあるんだぜ!と上機嫌だった。酒を控える事により、彼の腹もへっこむかもしれない。悪影響ばかりとは限らないだろう。