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音楽街-3

「さて、何から話したもんかねえ……」


縦にも横にもでかい壮年の男性は、一口酒を口に含むと、大きなため息をついた。酒臭い空気が辺りに吐き出される。


「そうさなあ……。とりあえず、あの子は外の子だ」


外の子って何だ、街の外の事だろうか?と俺が多分どうでもいい事に拘っていると、外の子ってのは地球から来たって事でしょうね、とミカノがすかさずフォローしてくれた。


「ほおお、前あの子の居た場所ってのはそんな名前なのかい。なんせあの子、無口だからなあ。正直言って、この街に来る前のあの子の事、よく知らないんだよ」


かなり酒が回っているのか、男はそれはもう、大声で笑った。あまりの大音量に、煩いわね!とミカノが怒鳴ると、そりゃあすまんな!とますます大きな声で笑ったものだから、ミカノも呆れ果てたような目で、耳を塞いでいる。話を聞こうというのに耳を塞いでちゃ、本末転倒なのだが、彼の声はそれほどでかい。まあ、いいんだけどね。



「……あの子は静かで大人しい子でしたが、楽器を演奏する腕前は、街でも一番でした。情緒溢れる、とても美しい音を奏でていましたよ」


酔っ払いに任せていても仕方ないと思ったのか、マスターが話を続けてくれた。これから自分の話そうとしたことを先取りされ、酔いの回った男性は不満そうな顔をしていたが、ぐいと勢いよく酒を飲むと、けろっと、そうした不平不満を取り払ったようだった。結構な量飲んでるけど、今昼じゃなかったっけ。


「ただ……街の近くに仇魔の拠点が現れてからは、あの子の演奏を、一度も聞いていません。丁度その頃、あの子は炎命者になったんです」


「自ら進んで……な」


お酒を飲む事に集中していて、静かになったと思っていた、太った男性がポツリと呟いた。真っ赤に染まった、酒酔いの男性の顔には、先程の笑顔は無く、実に神妙な面持ちだった。


「炎命者には、俺たちが成るべきだったんだ。なのに、俺たちといったら、自分の楽しみが無くなる事に怯えて、何もしなかった。押し付けちまったのさ、あの子に。あんな、若い女の子に……」


「結界は?今この街には張ってあるみたいだけど」


確か、この街の空には、見た事がある虹色の膜が張ってあったと記憶している。結界があるなら、無理に仇魔と戦う必要は無いと思うのだが……


「ああ、そりゃ駄目駄目!現れた仇魔の中にはなあ、そりゃあエゲツない奴がいたのさ。結界をぶち壊すほどには、な。あの時の街はヤバかったぜ、何人死ぬか分からねえ。皆パニックだ。誰かが急いで炎命者になる必要があった」


「……結果として、彼女は炎命者になり、街の結界を破壊した仇魔を倒し、拠点も壊滅させました。しかし、その代償は大きかった……」


気付けば、店の皆の手が止まっていて、一様に俯いている。せっかくの楽しい席を台無しにしてしまった感はあるが、ここまで来たら、最後まで聞かなければならないだろう。


「それで、その代償って?」


ミカノは実にあっさりと、当たり前のように聞いた。


「感情、……と言うしかありません。炎命者となったあの子からは、それが消えたとしか思えないのです」


『感情、ねえ』


ラティアが珍しく不機嫌そうだ。普段は、ラティアとコンタクトを取ろうと思ったところで取れるもんでもないし、彼女の声も聞こえてこない。彼女が俺と話そう、と思った時しか話せない。悲しい話である。


「感情とは……。成る程、道理で無表情なわけだ」


俺は、以前見た、彼女の人間性を感じない表情を思い返していた。しかしそれを考えると、あの鉄仮面のような表情に対する、えもいえぬ恐怖が、少し薄れた気がした。


「ええ。以前のあの子は無口でしたが、たまに笑うと、とても美しく、街の皆が何とかあの子を笑わせようと苦心していたほどです。……今はそんな笑顔が無くなってしまった。それに、彼女が奏でる音も、もはや見る影も無い具合です」


「音楽にも、影響が出るものなの?」


ミカノは何とも不思議そうに聞いた。


「ええ。確かに、音を奏でる事は出来ます。抑揚をつける事も出来る。しかし。しかし、今のあの子から聞こえてくるのは、何かが抜けて空っぽなような、そんな音だけなのです。それに今のあの子は、音楽を楽しんでいない。淡々と音を鳴らしているだけに感じてなりません」


マスターの話に、ミカノはピンときていないようだったが、機械が奏でる音楽と、人間が奏でる音楽の違い、という事だろうか、と俺は一人納得していた。



それだけ話すと、マスターは重苦しいため息を、これ以上なくゆっくりと吐いた。


「あの子は私達を救うために炎命者になりました。しかし、今でも思うのです。これで良かったのか?とね」


「……まあ、どんなに後悔した所で、あの子が救われるなんて都合のいい事、起きないと思うけどね」


ミカノは、実に端的に吐き捨てた。少しして、キツい言い方をしてしまったと謝っていたが、マスター達は、全くその通りです、と一層渋い表情になってしまった。


やってしまった、とうなだれるミカノの肩を、俺は気にするなと優しく叩いた。反射的にやってしまったが、あんまり軽い気持ちで女性の身体を触るのは良くないと思う。しかし、ミカノは俺の行為に特に言及しなかった。そんな事を気にかけないくらいに、落ち込んでいたのかな。



そんな時である。街の外から、何か轟音が聞こえてきた。どすん、と大地が縦に揺れた。テーブルのグラスや食器が浮かび上がって床に落ち、音を立てて割れた。そんな衝撃が、一定の間隔で規則的に繰り返される。これは一体何事か、と皆が慌てている。


ばたん、と店のドアが勢いよく開かれた。ドアを開けた男性は、よほど急いでいたのか、息をするたび肩が揺れている。男性が息を切らしながら、懸命に叫んだ。


「仇魔だ!それも、馬鹿でかい奴だ!」


それを聞いた瞬間、ミカノは血相を変えて店を飛び出した。俺も急いで後に続く。


外に出ると、山のように巨大な仇魔が、こちらに向かって歩いてきている。仇魔が歩くたびに起こる、悲鳴のような地鳴りが、不吉なカウントダウンに思えた。


「不味いわね……。あれほどの仇魔だと、結界も破られそうだわ」


そう言ってミカノは唇を噛んだ。そんな事を聞いた俺は、大変じゃないか、とてものんびりしていられないと、慌てて門へ走ろうとしたが、しかしミカノに止められた。


「なっ、何で止めるんだよ!」


「今のあんたの身体は、疲弊しきってる。無茶よ……」


「しかし、急がないと!」


「分かってるわよ!姿が見えないカレン達に丸投げは出来ない。私が、何とかするから……」


そう言ったカレンに、俺は不安を覚えていた。彼女は、直接戦闘をするタイプではない、という事は、何度か聞いている。果たして、そんな支援向きのミカノが、あの大山のような仇魔相手に、どれほど闘えるのだろうか?ミカノも、不安を隠しきれていない。


ちくしょう、カレン、アーシエ、リリィ達は、こんな一大事に何してるんだ、とはがゆい思いで、俺は門を見た。もうこうなったら、ミカノの制止なんか振り切って、俺が仇魔を倒してやる、と覚悟を決めていた。



しかしそこには、見知った少女が一人。遠目でも分かる。あれは、そう、この街に住む、炎命者。感情を代償にし、その代わりに仇魔を討ち果たす力を手に入れた、深淵のような瞳が印象的な、あの少女である。

門が、開いた。少女が、ゆったりと歩きだした。何とも悠々とした足取りである。


俺は門に向かって走り出した。何故かは分からないが、しかし、あの少女を遠くから眺めているだけなど、出来そうも無かった。いざという時には、俺が手を貸そうという思いもあった。彼女は炎命者なので、過ぎた不安だと思うが。後ろからミカノの声が聞こえる。どうなっても知らないわよ、と叫ぶ声が。


急いで走った事もあって、少女が門を出る頃には追いつけた。彼女は、何の感情も伴っていない表情で俺を見る。


「戦うのか?」


思わず彼女に聞いた。返事は期待していなかった。


「うん」


「そうか。……一緒に戦う事は出来ないけど、せめて見守らせてくれ」


「……うん」


少女の、少し間を置いた返答は、一体どんな意味があったのだろう。いや、意味など無いのかもしれない。それでも俺にとって、その返事は十分過ぎるほどだった。



眼前には、見上げると首が痛くなるくらいに巨大な仇魔。あまりに巨大すぎるものだから、その姿の詳しい様子は分からないが、どうも身体に木が生えているようだ。木だけではない。苔も生えているし、表皮は土の色をしているし、鳥が仇魔の周りを飛び回っている。まるで一つの森だ。


等間隔の地鳴りが、危機感を煽る。時が経つごとに、それは益々大きくなっていくように見える。巨体が近づいてくる圧迫感というか、威圧感は、凄まじいものだ。しかし、彼女はまるで意に介さず、ゆったりと歩を進めた。

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