出会い-1
「……おはようございます。大丈夫ですか?」
そこに居た少女は、透き通るように美しい、薄く青い髪をしていた。どこか儚げな雰囲気をした、身体の線が細い、小さな背丈。漫画や、アニメに出てくるような、人が思い描く理想像が、そこにはあった。
俺は彼女を見上げている。後頭部に、何だか柔らかな感触がある。これは、そう、膝枕。こんな綺麗な子に、膝枕をしてもらっているのか。何だか、暖かい。それに、薄っすらとだけど、良い匂いがする。
この感覚、きっと夢じゃない。ああ、ついに人と出会えた、この安心感!安堵と歓喜の息が、自然に漏れ出た。
白い、天井のようなものが見える。雨風を防ぐ、幌だろうか。今居る場所が、ゆらゆらと、各駅停車の電車内みたいに、心地よく揺れている。馬車の中に、居るみたいだった。外で、馬の鼻息が聞こえたものだから、すぐに分かる。
あれ、確か俺はゴブリンみたいな奴に殴られて、気を失っていたんじゃなかったっけ、と状況を飲み込めないままに、ただ呆然と瞬きを繰り返していると、どこか遠くで、けたたましく、この世のものとは思えないくらいに、おぞましい咆哮が聞こえてきた。
「なっ、何だ……!?」
なんというか、我ながら情けない、素っ頓狂な声を出してしまった。でも仕方ないと思う。目が覚めて、綺麗な女の子に膝枕してもらって、騒音みたいに、馬鹿でかい咆哮が聞こえてきて―
そんな矢継ぎ早に未経験の事が起きている現実に、俺は落ち着き払うなんて事、出来なかった。でも、そんなプチパニックの俺に、女の子は、優しげな声で答えてくれた。
「大丈夫です。すぐに、終わりますから」
身体を起こした俺が辺りを見渡すと、余り明るくなかったが、綺麗な青髪の、膝枕をしてくれていた女の子を含めて、三人ほど、馬車の荷台にいるみたいだ。
その内の一人、目を閉じて、盲目の人が使うような朱色の補助用のステッキを手に持った、肩にかかるか、かからないかくらいの、短い茶髪の女の人が、ゆったりと立ち上がったかと思えば、杖を放り投げ、いきなり荷台の外へと勢いよく飛び出した。
そりゃあ、慌てる。一体どうしたんだ、あの人は大丈夫か、と取り乱しながら外へと顔を出す。
だけど、さっきの人の姿は無かった。綺麗さっぱり、跡形無く。代わりに、それはそれは大きな、4mはあるんじゃないかという、艶々とした、銀色の毛を携えた巨大な狼がいた。
それは一つ、足踏みをした。腹をずしんと揺さぶるように、地面を震わせる。そのまま、弾丸のように、あれほどの巨体を見失うくらいの速度で、こちらに向かって走ってきたかと思えば、馬車を悠々と飛び越えたので、それはもう、たまげるしかない。
慌てて、狼を追うように幌をめくると、見えたのは、馬と、手綱を握る、子供のような背丈をした人が一人。そして彼方まで広がる草原。
そして、先程の大狼が、五匹くらいの、見た事もないような、いや、あえて俺の知識に当てはめるとするなら……ガーゴイル?……と戦っている様子だった。
狼と争っているガーゴイル(とりあえずそう呼ぶ)は、だいたい1mほどで、毒々しい色をした翼が生えており、低空飛行をしながら、その鋭い爪で狼の身体を引っ掻いている。狼の毛皮が揺れ、血飛沫が舞う。見てるだけでも痛そうだが、狼はちっとも意に介してないみたいだった。
すると、鬱陶しい蠅を叩き落とすかのように、銀狼は、どんどんとガーゴイルを仕留めていった。ご大層に仕留める、とは言ったけど、その狼の動作が早すぎで、全く見えなかったのが、正直な所だが。
狼の身体が、ぶれた。残像みたいに、ぼやけた。そう思った瞬間には、ガーゴイルが、蚊取り線香にやられた蚊みたいに、情けなく地に落ちている。決着は、あっという間もあっという間。俺が瞬きを数回したくらいで、ガーゴイルは壊滅しかけていた。
僅かに残った数匹が、苦し紛れか、こちらに向かって高速で飛来する。が、俺が慌てる暇も無く響いたのは、雄々しき銀狼の咆哮。それは、まさに攻撃だった。俺たちが乗る馬車に届かず、狙った標的だけを仕留める、精度の高い、絶大な威力を誇る攻撃である。咆哮の衝撃により、敵であるガーゴイルは、塵と消えた。
「すっ…すげえ…」
俺は思わず、感嘆の息を吐いた。何というか、万金にも勝るような、気高さを感じるその銀狼は、猛々しく雄叫びをあげ、また俺たちのいる馬車へと向かって走ってくる。それにまた俺が驚き、惚けていると、先程膝枕をしてくれた、青空みたいに澄んだ髪をした女の子が、大丈夫です、心配しないで、と優しく手を握ってくれた。
彼女の手は、柔らかくて、それでいて、安物のガラス細工みたいに、今にも、パキン、と乾いた音を立てて壊れてしまうんじゃないか、と思うほどに、危うい予感がした。儚げ、と言えば聞こえはいいんだろうけど。
ごそごそ、と馬車の幌が揺れると、狼の口が、馬車の中に入ってきた。今度こそ食われるかも、と身体を強張らせていると、狼が眩く光った。物凄い光度だ。断じてソレを見せまいとする、カーテンみたいな光だった。
その光に、眩しい、と俺は目を瞑る。馬車の中の暗がりで、いきなり凄いフラッシュを食らったのだから、怯むのも仕方ない。何だ何だ、とぱちくりしながら、徐々に機能が戻ってきた目で、狼の口があった所を見てみると、そこには狼の姿は無かった。代わりにさっき馬車から飛び出した、目を閉じた女性の姿があった。
何となく、だけど。あの馬鹿でかい狼は、この女性なんじゃなかろうか、と思った。いやいや、そんな馬鹿な。だって人が狼に変わるなんて、あり得ない、とも考えたけど、ゴブリンやガーゴイルみたいに、とても信じられない存在を、この目で見てしまったわけで。ここでは何が起こっても不思議じゃないのかも、と疑り半分で、そんな事を考えていた。
そうやって俺が彼女の様子を伺っていると、何か彼女の口元に赤いものが見えた。間違いない、血だ。ふらふらとした足取りで、床に膝をつく。
「大丈夫?治療しようか?」
金色の髪をした、目付きの鋭い女の人が、口元の血を拭いた後、杖を求め床を手で探っていた女性に、そっと杖を手渡して心配そうに言った。
「ありがとう、問題ないよ。ボクより、彼を心配した方が良いかもね」
目を閉ざしている彼女は、クスッと笑った。彼。彼?……俺か。この馬車の中に、男は俺一人だもの。彼女は、慌てている俺を気遣ってくれてるみたいだ。その声色は、とても優しく、柔らかだった。
「問題ないって、傷は治してあるわ」
そういえば、ゴブリンに殴られ、割れんばかりに痛かった頭や足が、もう痛くなくなっている。目の前にいるこの人のお陰なのだろうか。
「それだけじゃなくて、内面的な意味でもね」
「あ、いえ、ありがとうございます。あの、傷を治して頂いたそうで。……ただ、現状がさっぱりで……。少し教えて欲しいな、と」
見栄を張ったものの、尻すぼみになる俺の語気。分からない事だらけの現状に、やや混乱している。なんとか分かるように頑張ろうとも、今は彼女達に聞くしかないと思う。他に手がかりもないし。
まあ、不安一杯な俺だったけど、青髪の少女は、何でも受け止めてあげますよ、と言わんばかりの、聖母みたいな笑みを浮かべ、分かりました、と返事をしてくれた。
現状はさっぱり分からないけど、ひとまず俺はホッとした。彼女達は信頼出来そうだ、と思ったからだ。
何より、先程の狼。気高く、強き力の持ち主。ああいった存在を体験した事に、俺の心臓は、感動からか、激しく、早く鼓動を刻んだまま、しばらく収まらなかった。恋にも似た、胸焦がす憧れを、俺はあの狼の力に、抱いていたのは、到底否定出来るものではない。叶う事なら、あれほどの力が欲しいと懇願して止まなかった。