人が居ない街-4
喉元に突き刺さった短剣。確かにそれは奇妙で気味の悪い感触だったが、意外なほどに痛みは少なかった。
一方の仇魔は、耳をつん裂く悲痛な断末魔をあげ、苦苦とした様子で命を乞い叫びながら、俺の口から飛び出してきた。
背を向けて逃げようとしている。そう簡単に逃がすものか。お前は俺に、人を殺した映像を見せたんだ。人肉を食ったと、思わせたんだ。それが本当だったにしろ、偽の映像だったにしろ、相手の怒りを買うのも当然の事をしたんだ。こんな結末、覚悟の上だろう?分かってるくせに、取り乱すのは止せよ。
「無様に死ねぇっ!」
俺は何か怒りをぶつけるように、逃亡する仇魔の背中に、首元から抜いた神具を突き刺した。仇魔は一層激しい悲鳴をあげ、のたうち苦しみ、やがて果てた。これだけ苦しんで死ぬという事は、よほど罪を重ねてきたと判断されたのだろうか。
それにしても、首元から短剣を抜くというのは、感触が良くない。穴が開いた喉も、弾けた目や手も、炎命者の治癒能力にかかれば直ぐに治った。が、どうにも頭がくらくらしている。長距離を全力疾走した時でも、こうは疲れない。何というか、魂が疲労している感じだ。僅かな時間では、疲れが取れそうにない。
疲れ果てた俺を見て、カレン達が心配そうに駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫ですか?」
「ま、これくらいはな……」
強がってみたが、身体は言うことを聞かず、まるで立っていられない。とりあえず傷は癒えたので、炎命者の力を解除した。ヤバい、また来た。凄まじい鈍痛激痛、ぎりぎりと締め上げ、捻じ切るような痛みが身体中を走り回る。そしてこらえきれず、嘔吐するように多量に吐血してしまった。
「うえぇぇ……。大丈夫じゃないじゃないの……」
ミカノは正直だ。引いたような様子で、しかし心配そうに俺の背中を撫でてくれた。ありがたい。人の温もりが苦痛を少し和らげてくれた気がした。しかしただでさえ血を失ってるのに、さらに血を吐いてしまうとは。洒落にならない吐血量に、少し冷や汗が出た。
「しばらく安静にする事だね。しっかり休んでしっかり食べれば、炎命者はどうとでもなるよ」
アーシエがそう言った事もあって、俺はごろんと横になって、空を見上げた。空は嫌いじゃない。たとえそれが太陽の光一つ無い曇り空でも、雲一つ無い快晴の空でも、空を見ていると、ちょっとだけ気持ちが落ち着く。
そうやって、気持ちも身体も落ち着くはずだった。しかしどうもそれは出来そうにないようだ。俺の目に入ったのは、空に浮かぶ巨大な影。あの影、見た事がある。それはこの街に入る前に見かけた、巨躯極まるドラゴンだった。
カレン達もそれに気づいた。まずい、奴め此方に向かってくるぞ。慌てて起き上がって戦おうとした俺だが、それはすぐさまカレンに止められた。
「無理をしないで。トキトさんは頑張りました。今度は、私の番です」
そう言って、きりとした目つきでドラゴンを見据えるカレンは、弱々しく儚い雰囲気の普段とは、まるで違って見えた。決意を秘めた凛々しい目だった。
ちり、と大気がひりつく感じがした。先程までとは、空気の質がまるで違う。どんなに強靭な猛獣よりも、さらに圧倒的な強者が纏う空気だ。その力の主は、当然カレンである。絶大な力の奔流がカレンの周りを渦巻いているようだった。
しばらく上空を旋回していたドラゴンだったが、突如弾丸のように俺たちの元へと急降下してきた。俺は思わず軋む身体を無理やり動かし迎撃体制を取ろうとしたが、カレンが穏やかで、そして決意に満ちた表情でこちらを見たので、俺も彼女に任せる事にした。
空を震わせ、一直線にこちらに向かってきているドラゴンは、ゆったりと口を開き、地鳴りのような咆哮をあげた。馬鹿でかい牙を立て、まさに俺たちを喰い殺さんとしたドラゴンだったが、しかし俺たちの眼前でぴたりと動きを止めた。
理由は明快。奴め、白色の美しい光を放つ、盾のようなものに衝突したのだ。トン単位の巨大な物同士がぶつかり合ったような衝撃が響く。地震が起きたように大地が揺れる。太陽の光煌く、広大で分厚い盾は、どうやらカレンの力によるもののようだ。ドラゴンが盾に激突した時、彼女は僅かに顔を歪めた。
ただ相手も、ひたすらに守って居なくなるのを待つ、という温い戦法が通じそうもない強敵である。ドラゴンは口から大地がどろりと溶けるくらいの灼熱を吐いた。攻撃自体からは守られているとはいえ、熱気までは完全に防げないようだった。サウナに居るよりさらに上の暑さに、皆音を上げそうになっていた。カレンも同様で、額から汗がこぼれ落ちている。
「なあ、大丈夫なのか!?」
俺はつい不安になって、カレンに聞いてしまった。本当なら黙って信頼してやるべきなのだろうが。しかしカレンは、心配ないと穏やかな笑みを浮かべ、そしてドラゴンに攻撃を開始した。
現れたのは、カレンの周囲を円を描くようにふよふよと動く光の玉。そこから眩い光と共に、ドラゴンの鎧のような翼をもぶち抜くレーザーが放たれた。じゅう、とドラゴンの硬そうな鱗という装甲が、抵抗なく焼け切れる音がした。
ああ、この光は見た事がある。穏やかで、優しくて……しかし敵に対しては苛烈な光だ。
深手を受け、たまらずドラゴンは大空へと飛び上がった。一度退き、態勢を立て直すつもりだろう。威嚇のような、火の粉の混じった唸り声をあげていることから、相手は戦意を失っていないのがよく分かる。ここで追撃しないという選択肢をとるなど、勝つ気どころか生き残る気があるかも怪しい。それ程にドラゴンはダメージを負っているし、そして依然として俺たちに敵意を向けてきている。
それはカレンも分かっているようだった。すぐに追撃をかけようとしている。しかし、翼に風穴を開けられてもなお、ドラゴンの飛行速度は相当速い。先程のレーザーも、もはや見切られ躱され、当たらない。やはり強敵だ。さて、カレンはどうするのだろうか。
そう、思い返せば、アーシエが力を解放した時の姿は、白銀の毛をした狼だった。炎命者は力を解放すると、契約した高位存在に近い姿になるんだったな。俺は解放しても人間の姿そのままだが、ラティアがその姿なのだからそうなのだろう。
カレンが炎命者としての力を解放した姿は、思わず目を奪われるほどに美しいものだった。純白の、巨大な6枚の羽が背中に生え、後光と形容するしかないような光が、カレンの輪郭をぼかしている。
その翼をはためかせ、カレンは空を飛んだ。翼の動きはゆったりとしたものだったが、しかしその速度は尋常ではない。手負いという事も勿論あるだろうが、しかしドラゴン相手にあっという間に追いつこうとしていた。
ドラゴンも、己の敵を迎撃しようとしている。しかし、カレンは構わず突っ込む。危ない、と慌てたその時の俺が、空気が擦り切れるような音を聞いたのは、おそらく勘違いではないだろう。
音の正体は、おそらくカレンの周りに現れた、五つの光の輪のようなものである。それは先程の光の玉のように、規律正しく、それでいて有機的な動きで円軌道を描き、宙に浮いている。俺はそれに見入っていた。何か聖なるものを見ている気持ちだった。
「五光天輪」
五つの光の輪は、カレンの言葉と共に、まるで魚の群れが一つの生き物の如くうねうねと動くように、鮮やかな光線となって、ドラゴンに襲いかかった。
それは逃れようと思って逃れられるものでは無かった。狙った獲物は確実に喰い殺す、猛獣の群れの狩りを見ているようだった。たとえ光線一つかわしたとしても、それはすぐさま向きを変え、再び照準を定め直し、そして猛然と襲ってくる。一つでも当たれば、ドラゴンの強靭な鱗などお構いなしに、焼き切り、貫く。
その凄まじさは比類ないものだったが、あえて何かに例えるとするならば、決して弾切れを起こさない、どんなものでも貫通する銃を、休みなく連射しているようなものだ。
ドラゴンに勝ちの目は無かった。ただただなす術もなく、屈強な身体に穴が開いていく。ドラゴンは苦し紛れに火炎を吐いたが、光の壁の前にそれも届かず、恨み言を唱えるような、低い唸り声を一つ上げた。
程なくして、カレンの攻撃は止んだ。敵はもはや息絶えていた。あれほど雄大に空を駆けていたドラゴンも、いまや見る影もなく地に伏している。死んだドラゴンを見下ろすカレンの複雑そうな表情が、鮮やかな太陽の日差しと相まって、やけに印象的だった。
カレンは墓を作った。他でもない、敵だったドラゴンのために。敵を弔い悦に入っているのではない。ただただ、そうせずにはいられなかった。そういう様子だった。
「行きましょうか」
そう言ったカレンは、いつにも増して色白で、死期が近いのかと思うほどに顔色が悪い。というのも、俺と同様、炎命者としての力を解除した時に、多量の血を吐いてしまったからだ。
それに加えて、生半可な言葉では言い表せないほどの凄まじい痛みも味わったのだろう。足元がおぼつかないようで、ふらふらと馬車に乗り込んで、死んだようにぱたりと倒れてしまった。
大丈夫かと慌てたが、アーシエは、きっと疲れて眠っているだけだ。君の方こそ大丈夫かい、と言って俺の事も心配してくれた。まあ、俺の方も体調が良いわけではない。
少し休ませてくれと俺が言ったら、いつまでやせ我慢してるの、いいからさっさと寝なさい、とぶっきらぼうにミカノが言った。心配してくれているんだな、と思うと、安心というか、嬉しかった。
疲れていたが、腹は減っている。気を失う前に食事を取っておこうと、馬車に保管してあるパンを食べた。リリィが割と贅沢品らしいジャムを塗ってくれたからか、かなり美味しかった。
それからはゆっくりと横になり、そして寝た。とにかく疲れていたのですぐ眠れた。