初陣-3
神具によって放たれた光が収まると、そこにはもう何も無かった。仇魔はバラバラの肉塊となり、びちびちと不気味に動き、やがて風に吹かれた灰のように、辺りに霧消した。
仇魔の拠点の暗闇は急速に晴れていき、眩しさに目がくらむような日光が、ぽつぽつと徐々に姿を見せ始めた。俺は、終わったのかと安堵の息を吐いた。仇魔から受けた傷は既に癒えていた。これもラティアの力だろう。
『はっはっはっ!いやあ、天晴れ!初陣にしてはやるではないか、少年!』
ラティアは何ともご機嫌であるが、勝てたのはラティアの力によるものだ。俺は何も出来てないよ、と自嘲気味に告げると、
『馬鹿を言え。良いか、そもそも。他者の力を、いきなり上手く使える奴があるか?初めてのマシンを上手く乗りこなす奴があるか?そうさな、カーレースを考えてみると良い。賞賛されるべきはマシンの性能だけか?
あるいはこう言おうか。人間の何百倍、何千倍もある獲物を、たとえそれを振るう腕力があったとて、当たり前のように上手く扱える者がどれほどいる?
その点で、お前さんは良かった。ワシの力を見事に使った。まあまだ完全ではないが、それも才能。お前さんはワシが見込んだ者なんじゃ。ただ雄大に胸を張れい』
そう言った。ラティアの発言は、いまいち腑に落ちなかったが、取り敢えず今はそれで納得する事にした。
火照っていた俺の心と身体が、急速に冷えていく。戦いが楽しくて仕方がなかった先程の俺が、嘘のように思えた。のめり込んでいた玩具への熱が消えたような、そんな気怠げな気分だった。思い返せば、さっきまでの俺は、浮かれに浮かれていた。そりゃあ物凄い力を行使出来たんだ。仕方ないのかもしれない。
太陽の光は、拠点の全ての暗闇を晴らした。辺りは荒涼とした荒原だった。木も石も、何もない。どうやら遠くの方からゆっくりと、リリィとミカノの乗る馬車が、こちらに向かってきているようだ。ミカノが機嫌良さそうに手綱を握っており、リリィは馬車から顔を出して、元気よくぶんぶんと手を振っている。
取り敢えず、炎命者としての力を解除し、普通の人間の状態に戻ろうとした。確かにラティアという高位存在の力は凄まじいが、その対価も大きそうだ。だんだんと息苦しくなってきている。
『しかし少年、力を抜くなら気をつけろよ― 』
ラティアの声が聞こえたが、残念な事にその忠告は手遅れだった。張り詰めていた力を抜いた瞬間、凄まじい鋭く鈍い痛みが全身を駆け抜けた。大きな咳が、身体の奥底から、血の気が引くほどの大量の血と共に出た。肺が、心臓が、めきめき、みしみしと軋んでいる。肺が動いていないようで、息が出来ず、立っていられない。
これまで経験した事のないような苦しみに、脂汗が出てきた。身体も痙攣している。1秒が永遠に感じるほどの地獄に、うめき声を上げる事も出来ない。頭がおかしくなりそうなほどの苦痛。死んだ方がマシと思うほどだ。
実際にどのくらいの時間、そうしていたかは分からない。1分かもしれないし、10秒程度だったのかもしれない。とにかく想像を絶するような苦痛は、しばらくして止んだ。
止んだ後、地面に広がっている自分の血を見て、俺は安堵と、疲弊が入り混じったため息をついた。炎命者の力を振り回し、はしゃぎ過ぎた代償ってとこか……。炎命者というのは、やはり中々厳しそうだ。
『大変そうじゃなあ、少年』
ラティアの呑気な声が響く。これが毎回続くと考えると、確かに大変そうだ。頭が割れるように痛いよ。今までで一番酷い吐き気もしてきた。
『しかし、見返りも大きかった。違うか?』
……まあ確かに、今までとは違う世界を見れたし、感じた。初めて飛行機に乗った時よりも、いいやそれとは全く比較にならないくらいに、わくわくとした気持ちだった。
戦っている最中、俺は幸せだった。かつてない程に。それで良い。それで充分。それだけで命を賭けられる。そんな確信と共に、俺は硬く拳を握った。
「大丈夫かー?」
背後から、リリィの声がした。振り返ると、リリィもミカノも心配そうな顔をしている。その視線は、地面にぶちまけられた血だまりに向かっていた。
「とにかく、ここらの仇魔は片付けたから街に戻りましょう。あんたはしばらく安静にしてなさいな」
ミカノの声は穏やかだった。俺は立ち上がって馬車に乗ろうとしたが、目まいが起きてフラついてしまう。やっとの事で馬車に乗った後は、気分も悪いので横になって寝る事にした。リリィは気を利かせてくれたのか、これまでと比べて随分大人しかった。俺の顔を心配そうに覗き込んでいる。おかげでゆっくり休めそうだ。
それからしばらくの記憶はない。多分、眠っていたか、気を失っていたのだろう。確かなのは、目を覚ましたら馬車の中に、カレンもアーシエもいつの間にか居たという事だ。
「……何時間気を失ってた?」
「丸二日ってとこかな」
俺の質問に、アーシエが答えた。そうか、丸二日……。……二日!?まさかそんなに目を覚まさないとは。さぞ俺の身体は悲鳴を上げていたのだろう。
「となると、もうあの街を離れたのか」
「はい。トキトさんが目を覚まされなかったので、既に。名残惜しかったでしょうか?」
「そうでもないよ」
カレンは心配そうな表情をしていたが、全くの杞憂である。あの街が良いなど、ちっとも思えない。陰気なのは別に構わないが、しかしそれにも限度がある。
まるで生きる事それ自体を諦めているような、あらゆる事を楽しんでおらず、ただ惰性で存在しているだけのような、重苦しい雰囲気を纏う街だった。前世で似たような人生を送ってきた俺が言えた事ではないが。
既に離れた街よりも次に向かう街の方が気になるのは、当然の事だと思う。俺は未だにギリギリと痛む頭で、次の街はどんなのだろうと考えていた。