初陣-2
悪鬼蔓延る拠点には、まだまだ仇魔が残っている。炎命者というのは、戦えば戦うほど寿命が急速に削れていくようだから、あまりぼけっとしていられない。兎にも角にも、殲滅だ。ここにいる仇魔は全て皆殺しにせねばならない。
こちらに数えきれないほどの仇魔が向かってきている。翼が風切る音、地鳴りのように大地が揺れる音が聞こえる。躊躇っている暇もなかった。
しかし先程俺を襲ってきたあの仇魔。自分達のテリトリーに忍び込んだ侵入者を排除する。それだけには感じなかった。何か人間への抑えきれぬ憎悪があった。心の底から人を嫌悪していた。多くの人間がゴキブリを見る時のような、何故かは分からないような、そんな嫌悪だったと思う。
果たしてそれからやってきた仇魔達も又、その瞳には言いようもない憎しみがあった。その仇魔の群れは、ガーゴイルだけではなく、体躯1mほどで小刀を持ったやつ(ゴブリンみたいな見た目と言えば伝わるだろうか)、3mを軽く超えたような巨躯に、醜悪な見た目で棍棒を携えたやつ(オークだとかトロールだとか、そんな外見だ)もいた。
俺は仇魔の数を、ひいふうみい……と数えようとして、すぐ止めた。連中、数が多すぎる。一万より多いんじゃないだろうか。俺がその量にげんなりとしていると、ラティアが話しかけてきた。
『ほれ、ぼーっとしているな。せっかくお前さんに力をやったんじゃ。存分にワシの力を使わんか』
どんな力だよ、と困惑する。
『今のように、お前さんの身体能力を上げる。それは確かにワシの力の一つ。だがな、当然それだけではないぞ』
ラティアは得意げに勿体振る。それに不快感は無いが、仇魔も迫ってきてるわけだし、さっさとしてほしいものだ。
『けっ、素直じゃないのう。まあいい。ワシは究極とも言える武具防具、そうさな、神具、というものを持っていてな。当然、ワシの力を得ているお前さんも扱える』
その神具とやらはどこにある?
『深く考える事はない。ただ願え。想起し、手中に収めろ。深淵から引きずり出すような、そんなイメージでな』
ラティアの説明だけを聞いても、ちっとも分からない。だが、俺には分かった。ラティアの話を聞いたからではない。ただ何となく、何をすべきか分かった。そう、無意識だった。考える事なく、感覚だけで動いていた。何か大いなるもの(おそらくラティアだろうが)に突き動かされていた。俺は無意識にこう言っていた。
「我が神具、今こそ顕現せよ!
《神剣ハーバルング》!」
そうして俺は、何もない空中を掴み、そして何かを引き抜く動作をした。そうだ、何も無かった。そこには何も無かったはずだった。なのに俺の手には、金色に輝く剣が知らずの内に握られていた。その剣の輝きには驚いた。ルビー、トパーズ、ダイヤモンド……。数多の宝石等、この剣の美しさに比べれば、月とスッポンである。次元が違う美しさであった。
少しの間見惚れた後、俺は神具をぶるんと振った。それは重さや抵抗を感じる事なく、実にアッサリと振れた。それだけで、神具は唸りを上げた。台風や暴風の比ではない、圧倒的な衝撃。唸るような轟音。さらには思わず目を瞑ってしまうほどの輝きを、神具は放った。
すると、 わらわらといた仇魔達が、見るも無残に、粉微塵になっている。いや、影響が及んだのは仇魔だけではない。今ここにいる空間が、仇魔の拠点が、真っ二つになったようだった。暗黒の帳が下りていたような、一寸先もまるで見えなかったような拠点に、空から太陽の光が差し込んできたのである。
思わず呆然とした。想像だにしていなかった威力である。自らの手にある神具が、先程よりもさらに美しく見えた。その名に恥じぬ、凄まじさに感服した。おそらく俺は、見入っていたのだろう。高い高い時計を手に取った時のような、詳しい事はよく分からないが何だか凄そうだ、という気持ちで。
すると、遠くでゆらりと黒い影が揺れた気がした。瞬間、その影は凄まじいスピードで、あっという間に俺の目の前に飛来した。
その正体は、丁度綺麗に半分に様相が分かれており、半分がごつごつとした筋骨隆々の男の体つきで、もう半分が柔らかな包容力を感じる女性の体つきをした仇魔であった。体格は3mほどで、男性の顔と女性の顔の、二つの頭を持っている。どちらの顔も美形だった。
「非道いな君は。我が同胞をあんなにも殺すとは」
「コわイなキミは」
男の顔と女の顔が、じっと俺を見つめ、交互に語りかけてきた。低く呻くような、がさがさに枯れた声だった。
「そうかい?」
「ああ、非道い」
「しュうアくダ」
神具の剣先を仇魔に向けたまま、俺は応答した。
「ふうん。まあ、どうでもいい事だ」
実際どうでもいい事だ。この仇魔は恋する相手でも友人でもない。何と思われようが、どうでもいいと言えばどうでもいい。しかしこの仇魔、存外話せる相手だったので、俺はぐいと顔を近づけ、聞いた。
「それより好奇心で聞きたいんだが、仇魔は人を襲うだろう?何故だ?」
「人は仇魔を殺す」
「ダかラきュうマはヒトをコろス」
「成る程、平行線だな」
どちらが正しいかも分からない。どちらが間違っているかも分からない。しかし答えは必要だ。こういう場合の答えの出し方は、シンプルが一番である。
「なら単純に行こう。負けて死んだ奴が間違ってる。勝って生きた奴が正しい。いつの世だって通じる最終手段だ」
「……我々は何もしていない」
「おダやカにクらシたイ」
仇魔は物憂げな表情を浮かべた。
「仇魔が近くの街を襲ってた。それで充分だと思わないか?」
「……成る程、やはり君は非道い奴だ」
「ゲどウめ」
「そりゃ残念」
そう言って俺が神具を構えると、仇魔は警戒してか俺から少し距離を離した。
「あんたは俺の質問に答えてくれた。感謝するよ。だから俺も、敬意を持ってあんたを殺す」
「……敬意を持っているなら殺さないでくれ」
「こワいネ、きミ」
「……かもな」
そう言い終わるや否や、俺は仇魔に猛然と襲いかかり、切り掛かった。俺も相当速いはずだが、仇魔も速い。紙一重で避け、大きく距離を取った。俺が続けざまに追い掛けて斬り伏せようとした時、仇魔のその身体が、何というか、闇へ溶けていった。さながら暑さに耐え切れず溶けゆくアイスのように、ドロドロと地に沈んでいった。
「こりゃ一体……」
俺が突然の事に戸惑った瞬間、首すじに悪寒が走った。反射的に身をよじると、首に温かなものが流れる感覚がした。血だ。どうやら攻撃されたらしい。仇魔の姿は見えない。この拠点の闇に紛れ込んだか、あるいは一体化したか……。いずれにしろ強敵だ。
どうしたものかと悩みながら息を吐くと、また攻撃された。今度は足をやられた。回避行動を取っていたので、致命傷とはならなかったが、しかし危なかった。足が鮮血に染まっている。悩んでいる暇は無さそうだ。俺はこの強敵の攻略法を、直感に丸投げする事にした。
「闇には……光だろ!」
俺は今一度神具を振るった。再び神具は唸りを上げた。腹の奥まで響く衝撃。そして、目がやられてしまいそうになる、強烈な閃光。仇魔の巣窟の暗闇が晴れ、太陽の光が差す。
「……よう、見つけたぜ」
「……ギ、ギィィィィ……!おのれェ……!おのれェェェ……!」
仇魔の身体が、白日の下に晒された。神具の攻撃がかすったのか、仇魔の男の方の脇腹は抉れ、恨みの乗った金切り声を、呪詛のように繰り返している。
「悲痛な声を出すじゃないか。おかげで良心が痛むよ」
余裕からか、俺は少し微笑んでいたと思う。戦いの最中だというのに、まるで遊戯をするかのような心持ちだった。炎命者の圧倒的な力に、夢見心地のようだったのかもしれない。
俺は仇魔を殺そうとしているのだ。当然向こうも抵抗を続ける。攻撃を受け、俺の身体から血が噴き出し、痛みが全身を駆け抜ける。だが、それが逆に俺を昂らせた。長年抑えて溜まっていた欲望が、一気に解放されている気がした。
血とともに、命の雫も流れ出ているように感じた。俺はそれが良い、と感じている。何故だろうか。一度死ぬ前の俺は、命を丁寧に丁寧に使ってきた。その反動かもしれない。
ああ、仇魔が襲いかかってくる。速い。鋭く長い爪を立て、俺の身体を突き刺し、抉り、殺そうとしている。避けなければ、などと悠長に考えている暇も無かった。ただ、反射的に身体が動いた。
かわす、のではなく、むしろその逆。俺は仇魔の一撃に向かって手を伸ばし、そして、仇魔の爪は俺の手を貫き、腹を突き破った。熱い。辺りに俺の血が乱れ飛び、激痛などという言葉では到底足りない、と感じるほどの痛みが走った。だが、それで良い。身体を貫通した仇魔のソレを、俺はがっちりとつかんだ。
「いい痛みだ……!死と隣り合わせの凄絶なまでの生を、俺に感じさせてくれる!俺は今、最高の生を味わっているんだって、実感させてくれる!全く、いい気分だよ……!あんたには、感謝しなくちゃな」
「クソが……!」
「ふザけテる……!!」
俺が神具を振り上げると、仇魔は焦った様子を見せたがもう遅い。躊躇いなく俺は神具を振るった。衝撃や閃光と共に、どう、と大気が揺れる音がした。