出発
街の外れの厩戸に、馬車を引く馬は居た。のんびりと草を食んでいた、栗毛色のその馬は、ミカノとリリィが近づいてくるのを見て、喜んでいるのか、勢いよくブルルルと鼻を鳴らした。
「良い馬だな」
思わず言うと、ミカノが好奇の目でこちらを見る。
「分かるの?」
「詳しくないけど、何となく。綺麗な毛並みと足だ」
素人目でも分かるくらい、格好の良い馬だった。乗馬だとか競馬で見るような馬とは一線を画すような、凄まじく大きな身体、盛り上がった筋肉を持っている。しかしそれでいて、高貴で穏やかな感じがする馬だ。
「旅の相棒よ。あんたもこれから世話になるんだから、仲良くしときなさいよ」
ミカノはそう言って、馬を優しく撫でた。どうやらこの馬、ラーハという名らしい。俺も便乗して撫でてみた。よろしく、ラーハ。馬を触った経験は無いので、新鮮だった。
ラーハは実に力強い。三人を乗せた馬車も何のその、実に軽やかに進む。街を出る時は入ってきた時と同様、ごつごつ鎧の門番と話をして、大きな門を開けてもらう。不機嫌そうな顔をしていたが、仇魔を退治しにいくと言ったら、すんなりと開けてくれた。
門から出ると、荒涼とした街の外。まるで焼け野原みたいだ。手綱を握るミカノが、猛々しい馬ラーハを仇魔の拠点へと進ませる。ラーハは凹凸激しい荒れた地形など物ともせず、まるでバギーカーのようにぐんぐん進む。
仇魔の拠点へは、そこまで長旅にはならないらしいが、それでも道中はやる事がない。どうしたものかな、と思案していると、リリィが懐から何かを取り出した。
「何だいそりゃ」
「お?トキト、知らないのか?」
にやにやと笑うリリィ。しかし、そうやってからかわれても分からないものは分からない。さっさと教えないかと不満を漏らすと、彼女は手に持ったソレを、頭に被った。
「キャスケット帽って言うんだぞ!……多分、そうだったはず……」
「曖昧とは…ほとばしる自信はどこから来てたんだ……」
「わっかんない!」
小さな花柄が可愛い、キャスケット帽を被ったリリィは、何故かそう言って胸を張った。ここまで堂々とされちゃ、逆に感服すら覚える。
この帽子はお気に入りでたまに被るのだ、とはリリィ談である。その帽子、どれくらい好きなのかと聞くと、トキトよりも!と元気よく返された。まあ確かに馴染みがあって愛着のある物だろう。しかしまさか帽子に負けるとは……。肩を落としながら、とりあえずそりゃあ残念だと返しておいた。
仇魔の巣窟までの道程、まだまだ長い。リリィに問いかけて、果たして良い答えが返ってくるかは不明だが、いちおう聞いてみる。何事も知ってる人間に聞いてしまうのが楽だ。
「なあリリィ。アーシエは仇魔と戦う時にさ、狼の姿になってた…よな?」
「そうだぞー。アレは契約してる高位存在によって、炎命者ごとに姿は違うんだ。言ってみれば、契約した高位存在の力の姿かな?」
うんうんと首を傾げながら、不安気にリリィは答える。合っているのかこっちまで不安になる。
「そいじゃ、リリィはどうなんだ?」
「ふっふっふっ……秘密だ」
唇に指を当て、意地の悪い笑みを浮かべる。別段隠す必要もあるまいに、と俺が指で頬をつつくと、サプライズは必要だろうと彼女は頬を膨らませ、こう呟いた。
「トキトの姿はどんなのになるのかなあ」
こいつ、自分は俺に力を解放した姿を見せんくせに、俺の炎命者としての力を解放した姿は見たいというつもりか。
今日の初陣は見るなよ、俺もお前にサプライズさせろと、むうと口を尖らせてみると、それじゃいつサプライズするんだよう!と大いに笑われた。ごもっともである。それに変な顔!とリリィは付け加えた。うるさい、放っておいてくれ。
しかしこのリリィという女、かなりの間笑っている。ツボに入ったのだろうか。彼女のげらげらとした笑い声を聞いてるうちに、なんだかだんだん腹が立ってきた。そりゃあ確かに(無意識的とはいえ)口を尖らせてた俺の顔は、なんとも面白いものだったかもしれない。
しかし人の顔を見てこんなに笑う奴があるか。底の浅いツボだ。持ち主の器が知れる。そう思う事にして、今度は俺がリリィを思い切り笑ってやると、馬車の外から、ミカノがうるさいと怒鳴ってきた。ごもっともである。二人して叱られた子犬みたいにしょんぼりと肩を落とした。
リリィには、お前のせいで怒られたじゃないか、という先生に叱られた時の小学生みたいな眼差しを送り(そっちも悪いんだぞという視線を返された)、ミカノには、はしゃぎ過ぎたすまないなと謝っておいた。彼女は、こっちこそ怒鳴って悪かったわねと萎んでいた。そっちが気にするもんじゃない。非はこちらにある。
楽しい時間だったと思う。周りを気にせず、騒いで笑って。でもそういう時間など、長くは続かなかった。不意に、何かが腐敗したような匂いが鼻をつく。息を吸ってみる。どうも空気が濁っている。リリィもミカノも、その空気には耐えられないと咳き込んでいる。
それはそのまま、仇魔の拠点へ近づいている事を示していた。この空気の悪さ、仇魔の瘴気によるものだ。もう、すぐそこだ。俺の初陣。炎命者としてラティアの力を借り、何もかもをも吹き飛ばすような凄まじい力を行使する。その時はすぐそこだ。俺はごくりと唾を飲み込んだ。