最初の街-5
それから、夜になった。周辺の空気は大分良くなった。アーシエ曰く、原因は仇魔の瘴気と呼ばれるものらしい。結界次第では、瘴気が街中に入ってくる事はないらしいが……
兎に角この街は活気というかやる気がない。何もかもに気怠げな姿勢で向かう。ここら一帯の仇魔が集う拠点を潰せば、少しはやる気を出してくれるだろうか。
そんな事を考えながら、俺はシャワー室の方に耳を傾けた。この宿、浴槽は無いが(狭いながらも)シャワー室はある。どうしたって、人間汗をかく。その汗を洗い流したいと思うのは、当然の話である。今、カレンがシャワーを浴びていた。
「おいっ!トキト!」
「うおおっ!?」
背後から、中々の強さでリリィに背中を叩かれた。いきなりの事だ。俺は驚いて、思わず叫んだ。
「何だよリリィ」
「いやぁ…トキトはやーらしい奴だなあって」
ニヤニヤと笑うリリィ。成長しないだのなんだの言って、こいつ案外ませてやがる。今まで味わった事のない、ときめきを感じる行為を邪魔された気分の俺は、ムッとした表情でリリィを睨んだ。それを見てリリィは噴き出した。
「よせよう、トキト。これから一緒に旅する仲間を、そんな目で見ようだなんて」
「わ、分かってる、分かってる。そういうのは無しだ。分かってるって」
自分に言い聞かせるように呟いた。ミカノは疑いを含んだジトッした目つきでこちらを見ている。そんな目で見ないで欲しい。良心の呵責を感じる。
カレンは魅力的だ、そんな気持ちになるのもしょうがない、思うだけならタダさ、とアーシエが鼻歌混じりに囁いた。それで終わるなら良いけどね、とミカノが苦々しく返した。まあ確かに、万が一、いや億が一、俺が興奮を抑えられないという事もあるかもしれない。警戒するのは当然だろう。
ただ彼女達からは、警戒とはまた別に、絶対的な自信を感じた。たとえ俺が襲ってきても反撃出来るという自信が。そりゃまあ、炎命者、言い換えれば神に近しい力を得た人間なのだ。力任せにされるがままなんてあり得ない話だろう。
しばらくして、カレンがシャワー室から出てきた。一瞬で目を奪われた。僅かに濡れた髪が、水気を含んで鮮やかに光を弾く肌が、まこと艶かしい。彼女は、じいっと自分を見てくる俺の視線に気付いたのか、何故そんなに凝視するのだろうと小首を傾げた。なんだか申し訳ない気持ちになった。
自分の気持ちを抑えつけないように生きようとは思ったが、性欲くらいは抑えよう。彼女達は純粋だ。ひどく純粋な目で俺を見る。そんな彼女達の純粋な好意を、裏切るわけにはいかない。
皆魅力的な女性だが……。いやいや、いかんいかん。俺は炎命者として生きていくと決めたんだ。同じ炎命者の皆を裏切ってどうする。俺は気持ちを落ち着かせる事にした。申し訳ないけれどなんとか頑張ってくれ、とアーシエが俺に頼んできた事もあって、深く自分を戒めた。
だが残念無念、それも長くは続かない。それもそのはず、寝床が同一の部屋なのである。カレンと、ミカノと、リリィと、アーシエと、同じ部屋で寝るのだ。皆タイプは違うが、それぞれ凄い美貌を持っている。そんな皆と相部屋。なかなかに眠りにくい。
リリィが眠れないのか、とからかってきた。うるさい仕方ないだろう、ほっといてくれよと寝返りをうつ。カレンはそんなリリィを諌めてくれた。有難い事だ。
そんなカレンに安心したのか、存外早くに瞼が重くなる。そうだ、そう言えば異世界に来てまだ初日。慣れない環境に疲れたのだろう、俺はそのまま眠りについた。
それから目を覚ましたのは、太陽(この世界でもそうなのかは知らない)が僅かに顔を出した時だった。早朝も早朝。ただでさえ賑やかでないこの街が、一層静寂である。早起きし過ぎたかな、と欠伸を一つして辺りを見ると、皆既に起きていたようだ。ミカノが熱心に寝癖を直しているのも見えた。
「おはようございます」
カレンがにこにこと話しかけてきた。
「何だ、起こしてくれたらよかったのに」
「ふふ、焦る必要ありませんから。寝不足は大敵ですよ」
カレンはくすりと微笑した。
その後宿から出て、街にある食事処で朝食を済ませると(昨日の昼食夕食もそこで食べた。宿で食事が出ないので仕方ない)仇魔の拠点には、少ない人数で向かうとの事をアーシエが俺に告げた。
「炎命者というのはね、あまり集団戦に向いていないんだ。仲間と協力して敵と戦うなんて事になったら、仲間に攻撃が当たらないようビクビクしながら戦わなくちゃならない。だから別に仇魔討伐も少人数でオッケーなのさ」
「成る程……」
「ローテーション的には私とリリィが最有力候補かしらね」
ミカノが気怠げにパンをかじった。この炎命者一向には、ローテーションというものが存在するようだ。戦闘の際、誰かが連続して戦う事のないようにするためだとか。炎命者は戦えば戦うほど寿命が削れていくので、共闘出来ないのに炎命者同士、徒党を組んでいるのも、ローテーションを設けているのも、少しでも長生きするための秘訣らしい。
当然ながら、俺も行きたいという事を伝えた。多分初陣になるだろう。俺は期待に胸を弾ませた。ミカノから情けない真似はしないでよと釘をさされたが、俺が同行するという事に、ミカノとリリィは概ね肯定的だった。
仇魔がこの街を襲ってくる前にカタをつけようというので、皆で温いコーヒー(味とか見た目が同一だったのでそう呼称する)を飲み干し、味が微妙な硬麺パスタ(これもコーヒーと一緒。見た目と味は間違いなくパスタのソレだったから、俺の基準で便宜上そう呼ぶ事にする)を食べると、早速出発する事になった。