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「小説家になろう」のポイント制に物申したかった。

作者: 蒼原悠


※本エッセイは、お読みくださった方々の意見などを元に現在、再構成を検討中です。

不完全でお見苦しい点もあるかと思われますが、どうかご容赦の上、ご覧ください。





 突然ですが、ここでこのエッセイを読んでいらっしゃるあなたに、一つの質問をしてみたいと思います。

 あなたはこのエッセイをどこで知りましたか?


1、作者のページから飛んだ ……ありがとうございます大感謝します!

2、作品の新着通知に名前があった ……まさに一期一会の出会い。ぜひブックマークを!

3、ツイッターの宣伝リンクをクリック ……残念ながら宣伝の予定はありません。

4、活動報告に挙がっていた ……これも実施するかどうかわかりません。

5、ジャンル別ランキングに載っていた


 現実には、一番多いのは1番であると思います。

 しかしおそらく公開から数日間くらいは、5番のルートでこのエッセイを読んでくださっている方もいらっしゃるでしょう。

 というのも、エッセイのランキング入りって意外と簡単だからです。例えば、このエッセイが書かれた二〇一六年二月五日のランキングを確認すると、二人の方がブックマークを入れてくださっただけでも、ジャンル別であればいきなりランキング三十位近くに跳ね上がります。このくらいの順位であれば、十分に読んでいただける可能性は上がるのです。もっとも、このエッセイを執筆している時点で、評価をしていただけるのかということは作者にも分かりはしないのですが……。

 タイトルがタイトルですから、お読みになっている皆さんの多くはなろうで作家活動をしておられる方だろうと思います。であれば、経験はありませんか? ランキング入りしている間ほど、アクセス数が伸びる! などという経験は。


 評価ポイント数は、そしてアクセス数は、実質的には外部から見た作品の評価に直結します。どんな優れた作品も、読まれなければ日の目など見ないのです。

「優れた作品には相応のポイントが入るし、それで評価されたって事になるだろ」と思ったそこのあなた! 作者もそれには同感です。

 しかしそこにこそ、評価ポイント制の大きな欠陥があると作者は見ています。


 小説家になろうにおける地位を築き、読まれるという機会を与えてくれ、そして作者にとって大いなるモチベーション向上につながること請け合いの「評価ポイント制」。

 でもちょっと、その実効性を疑ってみませんか?




 ここで閑話休題、たとえ話を。




 某A君「ボクの新作、ツイッターで宣伝したら読者さんがいっぱい来てくれたよ!」

 某B君「へえ、いいなぁ。オレは全然だよ。アクセス数なんて微塵も伸びない」

 A「でも、誰も評価も感想もレビューも置いて行ってくれないんだよね……」

 B「マジ? じゃあお前の新作、今の総合評価いくつなんだよ」

 A「180(ブックマーク70件、評価ポイント計40)」

 B「なんだ、オレと同じか……」

 A「そう言うBはどうなのさ?」

 B「180(ブックマーク10件、評価ポイント計160)」

 AB「はぁ……」




 いわゆる「非テンプレ」民の作者からすれば、このポイント数でため息をついているAB両方とも成敗したいところなのですが……それはさておき。

 この問答で表現したかったのは、「ブックマークと評価ポイントには同質の価値がある」ということ。つまり、ブックマークがつかない(≒読まれていない)作品でも評価ポイントがあればランキングに上る可能性が開けるということです。

 これがどのくらい大きいことか、きっとお分かり頂けるでしょう。極端な話、選挙に例えるならば、

 「A候補は頑張って広報活動に徹し、四人の支持者を集めた」

 「しかしB候補は『一人が五人分の有効票投入能力を持つ人』に対してのみ働きかけ、A候補の四分の一の努力で勝った」

 ……ということになります。何かおかしいと思いませんか? あ、「選挙を例えにするのがおかしい」という突っ込みはなしの方向でお願いします。


 要は、評価ポイントのおかげで「読者がいなくともランキングに上がれる」という奇妙な状況が生じているということです。

 一般常識に照らして考えれば、読まれないのにランキングが高いというのはどうにもおかしいことになります。それはつまり、展望台が無くて誰も登ることのできない田無の「スカイタワー西東京」が、スカイツリーよりも人気を博しているようなものなのです! ……地元ネタ失礼しました。

 話を戻しましょう。では、上に挙げたような状況が、具体的にはどのように奇妙なのか? それを考えるうえで重要なのが、ランキングの目的です。なろうのランキングは、いったい何を目的として作られているのでしょうか。何気なく受け入れているランキングの存在ですが、冷静になって考えるとかなり不思議な存在であることに気付きます。

 読者数でしょうか? それならばブックマーク数やアクセス数のみで勝負をすればいいだけのこと。では、作品の価値そのものなのでしょうか? 多くの方々の意見を聞いている限りでは、作者はランキングを「作品の価値判断基準」と捉えている方が多いように感じます。

 であればやはり、おかしいのです。作品の価値とブックマーク数は関連性を見せません。そして、だったら評価ポイント数で競えばいい、というのもまた間違っています。




 みなさんは、評価ポイント投入時にどのような基準を持っていらっしゃるでしょうか。

 ここでまた少し、たとえ話をしてみましょう。



 さっきのA「ねえ、この◆◆って作品読んだ?」

 さっきのB「おー、オレも読んだよそれ! 面白かった!」

 A「だよね! やっぱり面白いよねー、これ。特に言葉遣いの巧妙さがいい!」

 B「そうそう、作者の語彙力を感じさせるよなぁ」

 A「Cなんか、『こんなカタいのの何が面白いの?』って言って、評価2・2しか入れなかったんだってよ?」

 B「えー。好みに合わなかったからってそりゃねーなぁ。オレだったら4・4くらいは入れるよ」

 A「え? 普通に5・5入れるでしょ? 面白かったんでしょ?」

 B「オレは満点付けるの嫌いなんだよ。それに、芥川賞作品に比べたらさ──」

 A「…………。(ジト目で見る)」

 B「え、悪いのオレ!?」




 ……ここに、評価ポイントの抱える欺瞞が浮かび上がってきます。


 まず、作品の評価は恣意的であること。

 そもそも評価って何でしょうか。「他人の作品と比べて」の相対評価でしょうか? 「小説とはこうあるべきだという判断基準に照らして」の絶対評価でしょうか? そこのところがまず、ポイントを投入する人々の間で食い違っているのです。つまり重みも意味もまるで違うポイントが、同じ顔をして積みあがっているということ。この時点でもはや「『評価』ポイント制には何の価値もない」と言い切ってしまっても間違いはありません。評価基準が違うのですから。

 次に、評価ポイント制を「気に入った / 気に入らない」という評価基準で利用している人がいるということ。これは好みの問題のみにとどまりません。

 『ナニコレ珍百景』という番組がテレビ朝日系列で放送されています。ご存知の方も多いと思いますが、この番組内には紹介されたさまざまの『珍しい光景・現象・人物』を、スタジオのキャストたちが『珍定』するというシステムがあるのですが、問題はその基準です。「気持ち悪い」「見たくない」「怖い」という理由で却下される事例が、多いこと多いこと。珍しいものを登録すべきであるのに、そこには個人の趣向や感受性が出入りしてしまっています。作者はあの番組が大好物ですが、正直「珍定ジャマじゃね?」と思うことしばしばです。

 そして同様の「評価」が、ここ小説家になろうのポイント投入時にも生じています。もはや彼らは「評価ポイント」というものの存在する意味を完全にはき違えているのです。

 ちなみに、以上のことは全て『ポイント評価』の説明欄で、なろう運営様自身が認めています。どんなやり方で評価しようと勝手だよ、というのが運営スタンスということでしょう。


 烙印と呼ばれるにも等しい「1・1」の評価を、五十人もの読者から受けてしまった作品。

 書籍化希望の感想ともども、「5・5」の評価を十人から受けた作品。

 誰にも「評価」すらしてもらえず、ただただ五十人分のブックマークだけが累積した作品。

 これらは全て、なろうのランキングでは同じ価値のある作品として扱われます。

 ランキングとは一体なんなのでしょうか?




 ……とは言っても、やはりランキングというのは気になってしまうもの。

 ランキングは作者の心を満たしてくれるだけでなく、「読んでもらえる」という可能性を限りなく開いてくれるものですから。日本人がランキングをいかに愛し、いかにそれを絶対的な基準だと信じ込んでいるかは、世に山とあふれるランキング紹介の数々を見れば自ずと明らかです。

 ランキングを滅ぼすべきだという考えには、作者としても賛成できません。「テンプレ作品」であろうと「非テンプレ作品」であろうと、ランキングは読んでもらえない作品が日の目を見るために必要な存在なのです……ああ書いてて悲しくなってきた。


 もっとも上記のように、現状のランキングには問題が多すぎます。

 かと言って、ブックマークだけを評価基準にするというのもいかがなものか。ブックマークには登録上限があるので、それを超えてしまった人は登録したくても出来なくなってしまうことになります。これでは機会不均等です。

 よって、評価ポイントをランキングに使用するのは、どう頑張っても回避不可能でしょう。

 そう考えた場合に真っ先に思い付くのは、評価ポイントの基準を絶対化すべきだという考え方ですね。たとえば「文章力5の基準は◆◆が満たされている場合のみ」のようになると思います。現代国語の記述問題の採点で行われているのと同じことです。

 でもそれって、ぶっちゃけめんどうくさいですよね。評価ってもっと気軽にやるもんでしょ、だったら評価なんてしない! ……となってしまったら、哀しいです。

 そこでこういうのはどうでしょうか。みなさんに提案です。



 『評価ポイントは「好き嫌い」でつけよう!』



 これなら、評価ポイントの意味するところははっきりとしてきます!

 ランキング上位に君臨するのは、良い作品かどうかではなく「好まれる作品」「売れる作品」! 表示されるのはポイント累計ではなく、各ポイントの評価者1人当たりの平均点!

 これなら出版社も大喜びです、だって賞を開催するまでもなく人気作品が分かってしまうのですから! そりゃ出版社だって「1・1」×五十の作品よりも「5・5」×十人の作品を選びたいに決まっています! 嫌われ者を出版したって、出版社には何の旨味もありません!!








 ……などと考えてみるのは、いかがですか?

 上に書いたものは作者の本音ではありません。本音ではまだ、迷っています。




 オンライン小説サイトの存在が、昨今では各種メディアで取り上げられるようになってきています。つい数日前には朝日新聞でも記事を見かけました。小説サイトの持つ存在感は、ついに現実の大手メディアにまで及び始めています。

 角川書店主導の新小説サイト「カクヨム」は、なろうの比ではない規模で二次創作を許容し、角川書店直結の小説賞の新設を目論んでいます。「E☆エブリスタ」には書籍販売プラットフォームが設置され、その所属作品数はなろうの数倍。他にも多数の小説サイトが開設され、様々な魅力を振りかざして日夜なろうの立場を脅かしています。

 「小説家になろう」自身もいわゆるテンプレ問題などを抱え、ついに変革期を迎え始めました。この際、評価システムについても一から再検討してみるべきではないでしょうか。

 そして願わくは、そこに作者勢の参画する部分があってほしい。評価に一喜一憂するのは誰でもなく、作者なのです。我々が議論に参加し、どのようにあってしかるべきかを真面目に議論することは、よりよいサイトになっていく上で不可欠だと思います。










 でもやっぱり、ポイントはほしいなぁ。(つい本音)






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