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テオとエナの異界巡り  作者: P男
8/26

ジレンマ

 テオとエナがその小さな雪国に着いた時、外はすっかり暗くなっていた。

 しんしんと降る粉雪が、ガス灯の明かり中に浮かび上がり、幻想的な雰囲気を醸し出している。積もり始めた雪は音を吸い込み、街に静寂の帳<とばり>を下ろしていた。

「冷え込んで来たな」

 テオが白い息を吐いて言った。

「ええ、今日はもう湯浴みをして休みたいわ」

 エナは赤い鼻を啜りながら頷く。

 二人は身を寄せ合い、宿を探して、物寂しい通りに消えて行った。


 翌朝。

「うわあ!」

 窓を開け、鎧戸を開けたエナは、感嘆の声を上げた。

 国中に雪化粧が施され、一面が真っ白に染め上げられていた。積雪の白と建物の煉瓦の黒が、見事な対比を成している。空からは以前として雪が降り続けており、それにあらがうかのように、煙突はもうもうと煙りを吐き出していた。

「おい、寒いから閉めてくれ」

 エナが外の景色に見とれていると、ベッドのテオから苦情が飛んできた。

「あ、おはよう」

「ああ、おはよう」

 二人はそっけない挨拶を交わすと、顔を洗い、寝巻を着替えた。


 宿を出た二人は、向かいのレストランで朝食を注文した。

 ウェイトレスが皿の乗ったトレーを運んで来る。

 メニューは黒パンとボルシチ、温野菜サラダにヨーグルトだった。

 暖炉には薪がくべられ、店内をほどよく温めていた。

「たまにはこういうのも、悪くないわね」

 エナはピアノのレコードに耳を傾けながら、くつろいだ表情で言った。

「そうだな」

 そういってテオがスープを啜った時ーー

 ーー突然、雷のような怒声が上がった。

 

 窓際の席で、うなだれた男が身体を小さくしていた。。

 その向かい側には、顔を真っ赤にさせた女が、仁王立ちしている。

「ええ? よく聞こえなかったわよ! もう一度言ってごらん!」

「だから、えっと、......その、無理だよ」

 男は弱々しい声で首を振った。

「だからなんでよ!? あたしを愛してないの!?」

 女性が身を乗り出し、男の胸倉を掴んだ。

「だって両方なんて不可能だよ......君とずっと一緒にいれば仕事ができないし、出世のために仕事に勤しめば君といられる時間は少なくなるし」

 男が視線をさ迷わせて弁解する。

「フィルマの夫は彼女と四六時中一緒にいるけれど、ちゃんと出世もしていると言っていたわよ! あなた、私に恥をかかせる気!」

「あ、あいつは自由業じゃないか」

「みっともない! 男の癖に言い訳なんて!」

 女がカッと目を見開き、男の頬をひっぱたいた。


「朝っぱらからよくやるわねえ。人目もあるっていうのに」

「あの男、すっかり尻に敷かれているな」

 テオとエナが窓際の男女を見て感想を言い合っていると、隣のテーブルから一人の老貴婦人がやって来た。

「あなたたち観光客? この国は初めてかしら?」

 細い鎖付きの老眼鏡を鼻にかけた、品の良さそうな人だった。

「ええ」

「ああ」

 と二人は頷く。

「急に驚いたでしょう? でもこの国では、珍しくない光景なのよ」

「そうなの?」

 エナが意外そうな顔をした。

「そうよ。新婚夫婦はああして絆を深めていくの。私も若い頃は、無能な夫を調教するのに苦労したものだわ」

 労貴婦人は懐かしそうに遠い目をして言った。

「......」

テオが怪訝そうに小首を傾げる。

「この国は女性が強いのね」

 エナが感心したように言うと、労貴婦人は含みのある表情で首を振った。

「いいえ。ただ自由になっただけよ」

「どういうこと?」

「昔、この国では女性は不当に虐げられていたの。男尊女卑という悪習によってね。男も女も本来平等なはずなのに、男というだけで優遇され、女であると言うだけで不遇な扱いを受けるなんておかしいでしょ。それを数十年前になってようやく、是正しようという声が上がったの。男女平等運動が始まって、ちょうど私たちの世代がその中心を担ったわ。デモ活動を行ったり、法律を改正させたり。あの頃は私も随分やんちゃしたっけね」

「じゃあ、おばあさんは歴戦の戦士なのね」

 エナがニカッと笑う。

「あなたもこの国で、男の手綱の締め方を学ぶと良いわ」

 そう言い残し、労貴婦人は自分のテーブルに戻って行った。

「だってさ」

 エナがニヤニヤ振り返ると、

「冗談じゃない」

 テオはくしゃりと顔を歪ませた。


 朝食を終えた二人は、目抜き通りに足を向けた。

 何軒か店を梯子し、靴下やインクなどの雑貨を新調していく。

 塩や香辛料を補充し、露店を冷やかした帰りのことだ。

 ドンッ

 テオの肩に若い女がぶつかってきた。

「痛ってえな!」

 女はその場でしゃがみ込むと、目を細めて睨んでくる。

「ぶつかってきたのは、そっちじゃない」

 エナがあきれたように指摘すると、

「お嬢ちゃんは黙ってな!」

 女が見下した口調で吐き捨てた。

「何々?」

「男がぶつかってきたんだって」

「うわー、可愛そう」

 騒ぎを聞き付け、わらわらと通行人が集まって来る。


「こりゃ骨が折れちまったかもな」

 女が大声で周囲に見えるよう腕を掲げてみせた。

「そこの男、慰謝料払いなさいよ」

 野次馬の一人が責めるように言った。そうだそうだ、と加勢の声が上がる。おそらくは女の仲間なのだろう、揃ってだらし無い格好をしていた。

「そうさね。銀貨四枚で許してやるよ」

「断る」

 テオが即答すると女が気色ばんだ。

「こいつ! あたいを舐めてんのかい!」

 腕を伸ばして胸倉を掴んで来る。よほど力が入っているのか、シャツの第一ボタンがはじけ飛んだ。

 テオがその手を振り払おうとすると、見知らぬ男が間に割って入った。そのままテオの手を引っ張り、女から引き離す。

「いけない。彼女に手を出してはダメだ!」

「俺は捕まれたから、手を払おうとしただけだ」

 テオは心外そうに答える。

「この国では、女性に手を触れれば、性犯罪者として裁かれてしまうんだ」

「そんな無茶苦茶な」

「事実だ。暴力を振るえばもっと酷い、最悪死刑になることもある」

 男は真剣な顔で忠告した後、

 バキッ

 忌ま忌ましそうな表情の女に蹴り飛ばされた。

「邪魔すんじゃないよ!」

「女性が男性に手を挙げた場合はどうなるの?」

 エナが当然の疑問を口にすると、女はフンと鼻を鳴らした。

「女が腕力を振るったところで、何の問題もないよ。か弱い乙女を野蛮な男から守るための法律なんだから」

「か弱いねえ......」

 テオは地面に伸びた男を眺めながら呟く。

「さあ、豚小屋にぶち込まれたくなかったら、とっとと金を渡しな」

 女とその仲間たちに迫られ、

「......」

 テオは釈然としない顔で銀貨を支払った。


「さっきは災難だったわね」

 エナが励ますように言うと、テオは軽く肩を竦めた。

 二人は停留所で路面電車を待っているところだった。

 雪の積もった屋根の下で、二人肩を寄せ合っている。互いを風よけに見立て、すこしでも暖を取るためだ。

「なんだか、はっきり別れているわねえ」

 エナがぽつりと呟いた。

 目抜き通りをよく見ると、女たちの集団が肩で風を切って闊歩し、その両端をこそこそと肩を丸めた男たちが歩いているのが分かる。まるでそこには、見えない境界線が設けられているかのようだった。

 カップルの男女の場合は、女が先を歩き、その三歩後ろを男がついていく。テオとエナのように肩を並べている男女は皆無だった。

「......」

「安心して。あたしは、ああはならないわよ」

 テオが黙っていると、エナが見透かしたように言った。

「お前は良い女だな。悪魔だけど」

 そんなやり取りをしていると、停留所に路面電車が滑り込んできた。

 前後の扉が開き、前方の扉から客が下りていく。

「帰るか」

 テオが後部の扉のステップに足をかけると、

「キャアアア!」

「変態!」

 車両の中にいた女たちが悲鳴を上げた。

「ちょっと、これは女性専用車両よ!」

「男女共通車両はこの三十分後よ!」

 ヒステリックに叫ぶと、無数の足が伸びてきて、ゲシゲシとテオを蹴り落とした。

「ふざけんな、空席ばっかなんだから乗せろよ!」

 車両の中を見て、尻餅を突いたテオが声を荒げる。

「これは決まりなのよ!」

「警察を呼ぶわよ!」

 しかし女たちはとりつく島もなかった。

「......」

 しばらく無言でそのやり取りを見ていたエナは、ストーブの効いた車両とテオの顔を見比べーー軽い足取りでステップに飛び乗った。

 扉が閉まり、路面電車がゆるゆると走り出す。

 寒風の吹き荒ぶ停留所に、一人残されたテオは、

「この国は、男に厳しすぎるぞ!」

 空に向かって雄叫びをあげた。

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