悪魔
村に悪魔がやってきた。
その日、僕はマルタやルーツにイジメられていた。
「このノロマ!」
「役立たず!」
二人はそう言って僕をぶつ。僕は丸くなってそれに堪える。
大人たちは止めてくれない。だって僕が役立たずなのは紛れもない事実だから。
僕は仕事の手伝いもできないし、物覚えも悪かった。相手の気持ちが分からず、気も遣えない。何をやっても失敗ばかりで、良く物を壊しては怒られた。
僕は村のお荷物だ。
食事と居場所をもらえるだけでも、ありがたいと思わなければいけない。
そんなわけで、いつものように嵐が過ぎ去るのを待っていると、急に身体を打つ拳の雨が止んだ。
もう飽きたのかな?
今日はやけに早いな。
不審に思って顔をあげると、
「「......」」
マルタとルーツは、村の入口を呆然と見ていた。
そこには二匹の悪魔がいた。
一匹はノッポで、もう一匹はチビだった。
もっとも、この時点では悪魔だと分からず、正体不明の怪しいよそ者でしかなかった。
二匹は人当たりの良い笑みを浮かべ、僕らの村を訪れた。
村長たちと談笑を交わし、子供達の遊び相手になったりした。すぐにみんなと仲良くなり、僕よりもずっと村に馴染んでいるように見えた。
奴らがその本性を現したのは、お昼のことだった。
「ちょっとお腹が空いて来たわね」
チビ悪魔がそういうと、
「そうだな」
ノッポ悪魔は頷いて、袋の中から見たこともない物体を取り出した。
無数の好奇の視線がノッポ悪魔の手に集まる。
「なんですかな? それは?」
みんなを代表して村長が質問した。
するとノッポ悪魔は「見たことがないのか」、と少し意外そうな顔をした後、謎の物体について説明を始めた。
結論から言うと、それは死体だった。
それも赤子の惨殺死体を原型も留めないくらいグチャグチャにしたもの。奴らはそれをうまそうに、実にうまそうにムシャムシャと頬張った。
村人たちはすっかり恐慌に駆られた。
気の良い訪問者だと思っていたら、相手の正体は恐ろしい悪魔だったのだ。
悪魔たちが食事をしている隙に、村長の家にみんなで集まり、緊急会議が行われた。
みんな必死で頭をひねったが、名案は浮かばなかった。もちろん、僕に何の考えも浮かばなかったのは言うまでもない。
「私たちも皆殺しにされるぞ!」
「食べられる!」
「そんなのは嫌よ!」
恐怖と混乱に彩られた怒号が飛び交い、会議は中身のないまま紛糾した。
そんな中、誰かが冷静な意見を言った。
「いまも大人しいし、機嫌を損ねなきゃ、害はないんじゃないか?」
「何悠長なこと言ってんだ! 夜になったら凶暴化するかも知れないだろ!」
しかしすぐに大声で否定される。
すべては憶測でしかなかったが、夜中に凶暴化するという意見は、あっという間に真実であるかのように浸透した。
「静かに!」
パニックに拍車のかかったみんなを、村長が叫んで鎮める。
「私たちが助かる方法はひとつ、夜までに悪魔を村から追い出せばいい。問題は誰がそれをやるかだ」
途端にみんなが口を閉ざした。重苦しい沈黙に包まれる。うっかり口を滑らせ、自分に白羽の矢が立つのを恐れたのだ。
「誰か勇気ある志願者はいないか?」
村長が尋ねるが、
「......」
みんな無言で目をそらした。
「では仕方ない。多数決で決めよう。私はコブが良いと思う」
村長はそう言って僕に指を向けた。
「!」
さっきまで置物みたいに息をひそめていたみんなが、一斉に指差して来る。
多分、僕は真っ青な顔をしていたと思う。
「よし、コブに決定だ。彼の勇気を讃えよう」
でも村長はお構いなしに僕の片腕をとり、天に掲げてみせた。
「俺達のためにも、しっかりやれよ!」
「コブなら万が一ということがあっても、誰も困らないな!」
「家族も親戚もいないしな!」
「むしろ無駄飯食らいが減って助かる」
マルタやルーツは笑いながら、僕の背中をバンバン叩いた。
僕はすっかり憂鬱になりながら、広場に向かった。
二匹は例のおぞましい食事を平らげ、地面に寝転がっていた。
「あれ? 一人だけ戻ってきた」
チビ悪魔が僕を見て首を傾げる。
「みんな大事な会議中なんだ」
僕はとっさに取り繕った。全くの嘘ではないーーはずだ。
「ふーん」
チビ悪魔は興味なさそうな声で相づちを打つ。
「お前は良いのか?」
ノッポ悪魔に鋭く指摘され、僕は思わず心臓が止まりそうになった。背中に汗が流れるのを感じながら、声が震えないよう気をつける。
「僕は役立たずだから、いてもいなくても同じ」
これも全くの嘘ではないはずだ。無償に悲しくなって来るが。
「それより家に来ない? こんなところにいても退屈でしょ」
勇気を出して誘ってみると、
「え、いいの?」
チビ悪魔がニカッと笑みを浮かべた。その拍子に獰猛そうな犬歯が覗いて、身の毛がよだつのを感じた。
「どうしよう......」
二匹を家に招いたものの、僕は途方に暮れていた。
奴らの不興を買えば、僕も殺されて食べられてしまうだろう。何と言って話を切り出せば良いのか分からなかった。
やがて必死に頭を働かせ、ひとまず食事を振る舞うことにした。誰しもご馳走を食べている時は、そうそう機嫌が悪くなることはないと思ったのだ。
僕は早速、村長の家にとって返し、ご馳走を用意してもらった。
普段なら相手にもされないところだが、いまは非常事態だった。誰も文句を言うことなく、すぐに大皿いっぱいにご馳走が盛られた。
僕はそれをもって家に帰ろうとしてーー途中で転んだ。
皿をひっくり返し、ご馳走をぶちまけてしまう。
「くそっ......」
つい悪態をついてしまう。
自分のマヌケ加減には呆れるばかりだった。
仕方なくご馳走をかき集めて大皿にの上に戻す。少し土が混じってしまったが、これ以上悪魔を待たせる訳には行かなかった。
僕はそこからは慎重に歩いて帰宅し、二匹の前に大皿を置いた。
芳しい匂いが室内を漂い、僕のお腹がグーっと鳴る。
しかし、
「えっと、これは?」
ノッポ悪魔は困惑したように顔をしかめた。
「歓迎のご馳走だよ。遠慮せず食べて」
地面に落としたのがばれたのだろうか?
僕は内心でビクビクしながら笑顔を作った。
「ここの村人は、みんなこれを食べているの?」
チビ悪魔が確かめるように聞いてくる。
「毎日は無理だけど、お祝いの時になんかに」
僕が頷くと、二匹はくしゃりと顔を歪ませた。
そしてこちらに背を向けると、ヒソヒソと何か話し合い、引きつった笑みを浮かべて向き直った。
「あたしたち、ちょっと急用を思い出したから、もう失礼するわ」
「せっかくのご馳走なのに申し訳ない」
そういうと逃げるように家を飛びだし、村を去って行った。
その日の晩。
村では宴が開かれた。悪魔を追い払ったお祝いだ。
広場の中心で車座になって座り、ご馳走が振る舞われた。石を削って作った楽器のメロディに合わせ、陽気な歌が歌われる。
「よくやったな、コブ!」
「前からお前には一目置いていたんだ!」
「お前からやれると思っていたよ!」
「お前は村の誇りだ!」
みんなひっきりなしに、代わる代わる僕を褒めてきた。
悪魔を追い払った僕は、すっかり村の英雄になっていた。
「流石は俺たちの親友だな!」
「鼻が高いぜ!」
マルタとルーツも親しげに肩を叩いてきた。
「あ、ありがとう......」
僕は村人たちの変わりように戸惑いながらも、なんとか愛想笑いを返す。
そして、パンという残酷なものを食べる悪魔たちを思い出しながら、トレントの好物である肥沃な土に舌鼓を打った。