契約
そこは完全な密室だった。
窓もなければ扉もなく、外部との繋がりが断ち切られている。
しかしどこからともなく風が吹き込み、四隅に置かれた松明は、ゆらゆらと揺らめいていた。炎があおられる度に、壁に映った影も身を震わせる。
中央には朽ちかけた祭壇がもうけられており、その傍に二つの人影が並んでいた。
一人は黒い外套をまとった男で、手には樫の杖を握っている。
もう一方は年端の行かぬ少女で、床にゴロリと横になっていた。
「おい、悪魔。願いを叶えてくれるんじゃないのか? 無理ってどういうことだ」
男は蠢く影を睨みながら、絞り出すように言った。
「だから、死人を生き返らせるなんて不可能なのよ」
怒りの言葉を向けられた悪魔は、特に悪びれた様子もない。
「もちろん確率的にはゼロではないわ。でもそれには魂を探す必要があるの」
「だったら探せ。それも願いに加える」
「馬鹿を言わないで。魂は何ものにも縛られずに循環しているのよ。どの世界のどの時代にいるのか特定するなんて、いくらあたしでも無理。しかも次元によって時間の流れは異なるから、いまこうして話している最中にも死んで生まれ変わっているかもしれないわ」
悪魔がまくし立てると、男は悔しそうに歯を噛み締めた。
「......」
「それに見つけたとしてどうするの? 殺して魂を引き抜く? 大切な人の生まれ変わりに、あなたそんなこと出来るの?」
情け容赦のない、鋭い言葉だった。
「......全部、徒労だったのか」
男が白い息を吐き出した。
切り石積みの室内は、凍てつくような冷気が漂っていた。
失意に膝を折った男が、床にしゃがみ込む。
パチパチと松明の燃える小さな音が、やけに大きく感じられた。
長く、重苦しい沈黙が流れる。
「話の続きだけど」
やがて悪魔が口を開いた。
「他に何か願いはないの? あたしに出来ることなら、叶えてあげるわよ」
「......」
「ちょっと、無視しないでよ」
「......ほっといてくれ。あいつのいない世界なんて、もう何の興味もない」
男が投げやりに言うと、
「じゃあ、別の世界に行きましょ」
悪魔はそんなことをのたまった。
「別の世界?」
「ええ、苦悩も悲哀もない楽園を探すの」
男はふん、と鼻を鳴らす。
「あいつのことを忘れられるとは思えないな......」
「舐めてもらっちゃ困るわ。あたしは悪魔よ」
「もしあいつを忘れさせることができたら、俺の魂をくれてやってもいい」
「言ってくれるじゃない。じゃあそれで契約するわよ」
「ああ、勝手にしろ」
男が頷くと、肉の焼ける音と共に、その手の甲に赤い印が刻まれた。
死ぬまで決して解けることのない、悪魔の呪いだった。
「ところでその抜け殻はもういらないわよね? もらっちゃっていい? 受肉しないとここから出られないのよ」
そういうと祭壇の上で蠢く黒い影は、男の返事も待たずに、少女の遺体に入り込んだ。