弔い2-1
草原の真ん中に小さな街があった。
キャンパスに垂らした一滴の絵の具のように、ポツリと所在なさげに佇んでいる。
周りを背の高い柵にがぐるりと囲い、害獣の侵入を防いでいた。
その入口の前に、二つの人影が立っている。
一人は覇気のない男で、もう一人は垢抜けた少女だった。
「なあ、エナ。これってどう思う?」
男が困惑した声で尋ねると、
「もう勝手に入っちゃっていいんじゃない?」
少女はあっけらかんと言った。
街の門は外に向かって大きく開かれていた。しかし付近に門番の姿はなく、さきほどから二人はその場で二の足を踏んでいた。
「とりあえず中に入るか。何か言われたらその時はその時だ」
男が吹っ切れたように一人頷く。
「そうね。その時はテオを差し出して許してもらいましょ」
エナもさらりと恐ろしいことを言って同意した。
無断で侵入した二人は、しばらく街の通りを歩いていたが、それを咎める者はいなかった。
それもそのはずだ。
「誰もいないわね......」
エナが小さく呟いた。
門から街の広間に着くまでの間、誰ともすれ違うことがなかった。
「ずいぶん前に放棄された街なのかもしれないな。さもなければ滅亡したかのかもしれない」
テオがそう結論づけようとすると、
「でもそれにしては不自然よ」
エナが小首を傾げた。
街の建物はまだ真新しく、とても長期間ほったらかしにされていたようには見えなかった。中には骨組みが剥き出しの建築途中とおぼしき物件さえある。
「確かにそうだけど、ならこれはどう説明するんだ?」
テオが顎でしゃくった先には、民家の屋根を突き破る一本の大木があった。
その幹は大人二人が手をつないだよりも太く、優に樹齢数十年は経ているだろうことが想像できた。同じような木々が、あちこちで家屋を破壊し、石畳をめくり返しながら生えている。人の手で植えられたものでないのは明らかだった。
「そこが謎なのよね」
エナは腕を組んで、うーんと唸る。
「けどまあ、何をすべきなのかは分かっているわ」
その日の夕方、二人は木の被害から免れた空き家にお邪魔し、一泊することにした。
ほこりを被った釜戸に鍋をかけ、手早く夕食の支度をする。
メニューはカボチャのポタージュと干し肉、クラッカーが数枚だった。
「「......」」
二人は無言でもそもそと味気ない食事を終えると、
「「......」」
これまた無言で家捜しを始めた。
クローゼットをかき混ぜ、タンスをひっくり返し、金目のものを物色する。居間のテーブルには、二人が日中にかき集めた戦利品が、小山のように詰まれていた。
やがて懐が温まり、くたびれたブーツを取り替え、真新しいシャツに着替えた二人は、ほくほく顔でカビっぽいベッドに横になった。
翌朝。
日の出とともに目を覚ましたエナは、裏庭の井戸へ向かった。
ロープの結ばれた桶で冷たい水を汲み上げ、顔を洗う。
そしてふと視線を上に向け、それを見つけた。
「ねえ、起きて! 起きて!」
エナは空き家に取って返し、就寝中のテオを揺すり起こした。
「何だよ......朝から騒々しい」
「いいから、早く付いてきて!」
「分かったから、腕を引っ張るな。この怪力女」
テオは指の跡がついた二の腕をさすりながら、もぞもぞとベッドを抜け出した。新しいブーツを履いて、エナの背中をついていく。
「どう? すごいでしょ」
裏庭で見せられたのは、空に立ち上る一筋の煙だった。
「......驚いたな」
テオの寝ぼけ眼が見開かれる。
煙が立つということは火が焚かれているということであり、それは誰かが炊事をしている可能性を示していた。
「早速行ってみよう」
エナが朗らかに笑って歩き出した。
煙は一件の屋敷の煙突から上っていた。
この小さな街の中では、比較的大きく、住民がそれなりの地位にいるーーあるいはいた人物であると知ることができる。
飛び石を伝って荒れ果てた庭を渡ると、
「すみませーん」
エナがドア脇のノッカーを鳴らした。
しかしいくら待っても反応はない。
「居留守かな?」
再びノッカーを鳴らすと、しばらくしてか細い返事が聞こえてきた。
「......だ、誰かそこにいるのか?」
驚きと喜びの入り混じったような声だった。
「昨日、この街を訪れた者たちだ」
テオが差し障りのない範囲で正体を明かす。
「そ、そうか」
「もしよければ、この街で何があったか聞かせてもらえないかしら?」
「もちろんだとも! 鍵は空いているはずだ、上がって来てくれ」
「それじゃあ、失礼しまーす」
二人が遠慮なく屋敷に入ると、雑多な器具が散らかる小部屋で、汚れた前掛けを身につけた高齢の老人が、椅子に座って待ち構えていた。片手に象牙のパイプを持ち、紫煙をくゆらせている。
壁際の暖炉では、パチパチと薪が燃やされていた。
「やあ、こんにちは。私はルマンだ。よろしく」
「エナよ」
「テオだ。よろしく」
三人は簡潔に自己紹介を交わした。
「迎えに行けなくてすまなかったね」
ルマンは軽く会釈をすると、二人にも椅子を勧めた。
テーブルの水差しからグラスに水を注ぎ、各人の前に並べる。
「早速だけど、何でこの街には住人がいないの?」
エナは椅子に腰掛けるなり、待ちきれないとばかりに質問した。
「その原因は、これだよ」
ルマンはゆっくりと汚れた前掛けを外して見せた。
「「!」」
テオとエナが息をのむ。
「未知の病気だったんだ」
そういうルマンの足は、膝から下が硬そうな樹皮のようなもので覆われていた。波打ち節くれ立ったその様は、まるで木の根のようだ。
「住民は次々と感染していった。患者は体の末端から細胞が作り替えられ、末期になると意識も失い、ただの植物に成り果てた。街中で木が乱立しているのを見ただろう。あれはこの街の住民たちの墓標だよ。私は医者として原因の解明に尽力した。しかし、ついぞ完治させる方法は見つからなかった。何とか進行を遅らせる薬の開発には成功したが、最後の患者も救えなかった。そしてその時には私自身も病に侵され、歩くこともままならなくなっていた」
長い告白を終えるとルマンは深いため息をついた。
「もう私は疲れたよ」
「......」
それを聞いたテオは口を閉ざし、
「大変だったのね」
エナは緊張感のない声を上げた。
「ここで会ったのも何かの縁だ。話を聞かせた代わりに、一つ私の頼みを聞いてくれないか?」
その日の正午。
ルマンの頼みを了承したテオは、彼を担いで丘を上っていた。
バスケットを抱えたエナがその周りをフラフラしながらついていく。
ルマンの願いは妻の墓参りだった。
「すまないな」
ルマンは申し訳なさそうに言った。
「気にするな。死にかけの老いぼれなんか大して重くもない」
テオは額に汗を滲ませながら、ぶっきらぼうに答える。
「素直じゃなーい」
それを見たエナがクスクス笑うと、テオは小さく舌打ちした。
丘の頂上には白い小さな墓石がポツリとあった。
ルマンはバスケットから花束と酒瓶を取りだし供えると、手を合わせて黙祷を捧げた。やがて二人を振り返ると、深々頭を下げた。
「ありがとう。ようやく家内の墓参りができた」
「どういたしまして。奥さんも病気でなくしたの?」
エナが聞くと、ルマンは首を横に降った。
「家内は若い頃に馬車の事故に巻き込まれたんだ」
そしてずっと口にくわえていたパイプを懐にしまうと、ルマンは墓石に視線を戻して囁くように言った。
「悪いが、しばらく一人にしてくれないか」
テオとエナは無言で目配せすると、静かに丘を下りていった。