小人王国
歪みを抜けると、そこは荒野だった。
黄褐色の大地が一面に広がっている。
「何もないぞ」
テオが周囲を見回して言った。
「うーん、おかしいわね」
エナもぐるりと首を巡らし、あっ、と声を上げた。
「見てあそこ」
人差し指をピッと突き出す。
遠くの緑が茂る一帯の中心に、石壁に囲まれた城がちょこんと建っていた。城壁に沿って、乱雑な城下町もへばり付いている。
「やっぱりね。あたしが間違えるはずないもの」
「......でもやけに遠くないか?」
テオは眉をひそめて指摘した。
二人のところから眺めると、お城はミニチュア模型のように小さく見える。つまりはそれだけの距離があると考えられた。
「大丈夫。目の前にあるんだから、歩いていればそのうち着くわ」
そういってエナが歩き出す。
「気長な話だな」
「だってあたしは悪魔だもん」
「へいへい」
テオは気のない返事をすると、不承不承エナの後をついていった。
結論から言うと、二人はそれからすぐ城に到着した。
城は遠くにあるから小さいのではなく、元からそのサイズだった。八つの尖塔を伴った姿は、さながらロウソクを立てたバースデイケーキのようだ。
精密なジオラマのように、こまごまとした道が区画を分け、これまたこまごまとした家屋が立ち並んでいる。
そこに住む小指ほどの小さな住民たちは、皆一様に空を仰ぎ、何の前触れもなく現れた二人を呆然と見上げていた。
「小人だな」
「ええ、小人ね」
テオとエナが何とも言えない顔で頷き合った。
直後、
「きゃあああ!」
「巨人だぁ!」
「この世の終わりじゃあ!」
「悪魔の使いか!?」
「いや、きっと神様だ!」
我に返った小人たちが、口々に好き勝手なことを叫びはじめた。パニックはあっという間に伝染し、蜂の巣を突いたような騒ぎになる。
程なくして城門が開きくと、ラッパの音とともに、馬に乗った小人の騎兵隊が飛び出してきた。
「この馬鹿デカい怪物め! 槍の錆びにしてくれる!」
「王国には指一本触れさせんぞ!」
「総員かかれーっ!」
先鋒陣形を組み、爪楊枝のような馬上槍を掲げ、突撃を始める。
エナはちくちくとブーツを突く騎馬隊を見下ろしながら、
「どうする?」
「どうするもこうするも......」
テオは途方に暮れた顔で肩をすくめた。
突撃から数刻後、
「誠に申し訳ない!」
神輿に乗ってやって来た国王が、二人に向かって会釈していた。
「通りすがりの旅人とは露知らず、我が王国の騎士団が無礼を働いてしまった。しかしなにぶん、我々は巨人と遭遇するのは初めてのことだったのだ。勘弁してやってほしい」
「気にしてないわ。特に実害もなかったし。ねえ、テオ」
「ああ、こっちこそ驚かせて悪かったな」
「そう言ってもらえるとありがたい」
国王はホッとしたように胸を撫で下ろす。
「安心して、別にあたしたちは暴れたりしないわ」
エナが見透かしたように言うと、国王は困ったような笑みを浮かべた。
誤解が解けてからは早かった。
襲われる心配がないと分かると、小人たちは二人を歓迎し、王国郊外での逗留を許可した。
そのお礼に、テオも潅漑や開墾などの土木作業を手伝い、夜になれば旅の話を面白おかしく語って聞かせた。
エナは若い町娘たちを集め、恋話に華を咲かせたり、コソコソと胡散臭いまじないを広めたりした。
小人の世界は時間の流れが早く、まるで太陽と月が徒競走でもしているかのように、ぐるぐると昼夜が入れ替わった。
その間、二人は持ち歩いていた干し肉やクラッカーで小腹を満たした。二人の一回分の食事は、王国の食糧庫にも匹敵する量だったので、彼らを当てにするわけにはいかなかった。
小人たちの時間で八日が経ち、テオたちの体感で一日とちょっとが過ぎた頃のことだ。
南の荒野から、禍禍しい黒甲冑に身を包んだ小人の大軍がやって来た。
最初に見つけたのはエナだった。
「何かこっちに来るみたいよ?」
その言葉にみんなが振り返ると、黒い点の集まりが、砂煙を上げて向かって来るところだった。徐々に近づき、その輪郭があらわになると、
「うわあああ!」
「帝国軍が攻めてきた!」
「捕まったら奴隷にされるぞ!」
「財産を持って逃げろ!」
「ダメだ、今からじゃ間に合わない!」
小人たちは再びパニックに陥った。
でたらめに駆け出した町民が正面衝突し、母親と離れ離れになった赤子が大声で泣き叫ぶ。馬車が転倒して市場のオレンジが宙を舞い、火事場泥棒が商人の家に忍び込もうとした。
「鎮まれぇ!」
そこで国王が一喝した。
「案ずるな! 我々には巨人殿が付いているではないか!」
「!」
小人たちが動きを止め、一斉に頭上を振り返る。
無数の希望のこもった眼差しに晒されたテオとエナは、
「「......」」
気まずそうに身じろぎした。
国王に言いくるめられたテオは、単身、帝国軍と対峙することになった。
エナは相棒を贄に、独りでまんまと逃げおおせた。
王国の鼻先まで進軍した帝国軍は、三つに隊を分けて半包囲網を形成した。
「諸君、まずは話し合いをしよう。争いなど虚しいだけだ」
その中心に立つテオが、遠くから手を振るエナを睨みながら説得を試みた。
「なぜこの国を攻める必要がある? 小人同士仲良くできないのか?」
すると、
「黙れ、巨人め!」
「こんな怪物の言葉に耳を貸すな!」
「こいつを討ち取れば末代までの栄誉だぞ!」
「総員かかれーっ!」
聞き覚えのある号令とともに、帝国軍は突撃を開始した。
テオはため息をつくと、なるべく平和的な手段を考え、小さく呪文を唱えた。
ひゅううう
その直後、荒野に少し強めのそよ風が吹いた。
しかし、
「ま、前に進めん!」
「なんだこの暴風は!?」
「ぐわあああ!」
帝国軍はの兵士たちは、綿ぼこりのようにコロコロと地面を転がった。そこかしこで馬がいななき、陣形を保てずに崩れていく。
指揮官とおぼしき将軍は、軍の立て直しに叱咤を飛ばしたが、吹き止まないそよ風を前に、撤退を余儀なくされた。
「なんだか弱い者イジメみたいだね」
トボトボと退却する帝国軍の背中を見て、エナがぽつりと呟いた。
その日の夜は戦勝祝いの宴が開かれた。
国の食糧庫が解放され、葡萄酒の酒樽が住民たちに振る舞われた。
「巨人、万歳!」
「国王、万歳!」
「王国に繁栄あれ!」
通りのあちこちで乾杯の音頭が上がる。
広場の中心には、テオたちが融通した干し肉の塊やクラッカーの束が、でんと巌のようにそびえていた。家よりも大きな肴に、小人たちは大はしゃぎだ。
早々にできあがった者たちは道端で寝転び、興が乗った酔客たちはてんでバラバラに楽器を弾いている。
「これは上等な葡萄酒だな」
テオが酒樽を指でつまみ上げ絶賛する。
「味はともかく、もっとお腹いっぱい呑みたいわ」
エナはポイポイと酒樽を干しながら言った。
この日ばかりは特別に、二人も御相伴に預かっていた。その足元には豆粒ほどの酒樽や料理の皿が、ところ狭しと並べられている。
「お前、何もしてないくせに図々しいぞ」
テオが呆れた視線を送ると、
「あたしはいざという時の予備兵力を担ったよ」
エナはそんなことをうそぶいた。
宴も終わりに近づいた頃、ザルのように酒樽を干していたエナが、急にその手を止めた。そわそわしはじめ、おもむろに立ち上がる。
「どうしたんだ?」
テオが不審そうに尋ねた。
「関係ないでしょ」
「ああ、トイレか」
「大声で言わないでよ! デリカシーのない男ね!」
「でもどこにトイレがあるんだ?」
テオが何気なく呟き、
「......っ!?」
二人はそろって絶句した。
周辺は見渡す限りの荒野だ。遮蔽物などなく、どこへ行こうと体の大きな二人は目立ってしまう。排泄はもちろん、着替えや水浴みもまる見え。これではプライバシーなど皆無だ。
「......」
二人は無言で頷き合うと、引き留めようとする国王たちに別れを告げ、逃げるように歪みを開けて飛び込んだ。