平和の使者
帝都はパレードで賑わっていた。
ラッパや太鼓のマーチに合わせ、兵隊たちが目抜き通りを行進していく。その両脇には市民が集まり、歓声を上げながら、カラフルな紙吹雪を舞わせていた。
空は出陣にはもってこいの快晴で、青いキャンパスには、これでもかと大量の花火が打ち上げられている。
「華やかねえ」
人込みに紛れていたエナが、しみじみと言った。
「今だけだろ。戦場に着けば、あとは死体の山だ」
テオは無愛想に皮肉る。
「上辺だけの虚飾でも、綺麗なものは綺麗なのよ」
「蓋だけを見ろっていうのか?」
「そうすれば、少なくとも表面的には、心穏やかに生きられるわ」
「悪魔の囁きにしか聞こえないな。現実から目を逸らしているだけだ」
テオが頑なに反論すると、エナは肩を竦めた。
「それの何が悪いっていうのよ」
市民から割れんばかりの喝采が上がる。
軍隊の花形である騎馬隊が登場したのだ。手入れが行き届いているのか、軍馬は色つやが良く、毛並みは淡い光沢を放っていた。無骨な鞍に跨がった下級将校たちは、背筋を伸ばして泰然としている。蹄鉄の石畳を叩く音が重複し、一つの楽器のようにハーモニーを奏でていた。
「この人たちは、どこへ行くのかしら?」
エナがふと呟くと、
「お前ら、そんなことも知らねえのか? この非国民め!」
隣にいた男に聞き咎められた。
「違う。俺たちは観光客なんだよ。余所から来たんだ」
テオが慌てて弁護する。
「何だ、外国人か。それならそうと最初に言え」
「そっちが早とちりしたんだろ」
「紛らわしい発言をする奴が悪い」
「無茶苦茶だぞ、このオッサン」
テオは頭を抱えて髪をかき乱す。
エナはそんなことお構いなしに、親しげに疑問を口にした。
「ねえ、これからこの軍隊は、どこの国と戦うの?」
「モルト公国さ。大麦くらいしか特産品のないチンケな小国だ。戦いっていうよりは、一方的な虐殺になるだろうな。まあ、新兵の調練にはちょうど良いんじゃないか?」
男はからからと大声で笑った。
「何でその国を攻めるの? 外交問題でもあったの?」
「いや、何も」
「じゃあ、どうしてだ?」
テオが首を傾げる。
「俺もお偉方の考えてることは分かんねえけどよ。『そこに国があるから』、じゃねえのか。戦争の理由なんざ、それだけで十分だろ」
「......」
テオは黙り込み、
「好戦的な国なのね」
エナは可笑しそうに言った。
「そうとも、この国は一年中戦争をしてるんだ。俺も若い頃は近隣諸国を蹂躙したもんさ。こう見えて大尉だったんだぜ? 村人たちを全滅させたり、都市を焼いたり、そりゃあ暴れ回ったもんさ」
男は遠い目をして懐かしそうに言った。
「そうだ。開戦と終戦の直後は、どこの店も大盤振る舞いするから、欲しいものがあったら買い揃えると良いぜ」
パレードが終わると、テオとエナは店を梯子した。
服を新調し、雑貨を買い替え、両手が荷物がいっぱいになると、馬車を捕まえて宿に戻り、エステサロンで疲れを癒した。それからレストランに入って一番高いメニューを片っ端から頼んでいく。
「戦争最高!」
「特需万歳!」
テオとエナは葡萄酒のグラスを打ち鳴らした。
テーブルにはところ狭しと、豪華な料理が並んでいる。
どこの店も捨て値同然の金額で、無計画な買い物をしたにもかかわらず、ほとんど財布は痛んでいなかった。
「たまには上っ面だけってのも悪くない」
テオはロブスターにかぶりつきながら、満足げに言った。
「そうよ。夢の世界で生きたって良いじゃない」
エナもケバブの塊を食い千切りながら同意する。
二人は鯨のように飲み、馬のように食べた。その食べっぷりに周囲の客たちはドン引きし、店主は半ベソをかいていた。
やがて大皿が塔のように、うずたかく積まれた頃。
満腹になったテオとエナが楊枝をくわえていると、それまで軍歌の演奏を中継していたラジオが、臨時ニュースを流しはじめた。
『本日未明、モルト公国の使者が和睦を求め、皇帝陛下に謁見しました。しかし公国の使者は、立場を弁えない発言を繰り返し、会見は破談に終わった模様です。なお、寛容な陛下は、使者の度重なる無礼も、お咎めにはなりませんでした』
放送が終わると店内は静寂に包まれ、次いで怒号が飛び交った。
「陛下を愚弄しただと!?」
「モルトの身の程知らずめ!」
「ただじゃおかん!」
「ぶっ殺してやる!」
口汚く罵ると、客どころか店員までもが外に駆け出した。テオとエナは嵐の過ぎ去った店内で、二人ぽつんと残された。
「おいおい、使者の奴、大丈夫か?」
テオは呆れたように呟き、
「こうなると分かっていたから、皇帝は手を下さなかったのね」
エナは納得顔で頷いた。
「それにしてもまあ、血気盛んな国民性だ」
「本当に殺しちゃいそうね。どうする? 助けてあげる?」
「とりあえず、様子だけでも見に行ってみるか」
そういってテオは立ち上がる。
「この場合、食い逃げにはならないわよね?」
エナは無人のレジを見て言った。
皇帝の居城の前には、人だかりができていた。
その中心には、ぽっかりと小さな空間が残され、モルト公国の使者とおぼしき男が、ガス灯の柱に縛りつけられている。おそらくは出待ちした市民に包囲されてしまったのだろう。割れた額からは血が流れていた。
「小国風情が調子に乗りやがって!」
「弱いくせにイキがるんじゃねえ!」
「次期亡国が和睦だと! 笑わせるな!」
「間抜けな使者め、死ねえ!」
罵声を浴びせながら、市民が次々と石を投げつける。
体を打ち据えられた使者は、ぐったりとうなだれていた。
「こんな感じだけど、どうするの?」
エナがテオを振り返って尋ねた。
「助けるに決まっているだろう。明らかにやり過ぎだ」
「そう言うと思った」
テオは杖を握りしめると、韻を踏んで呪文を唱えた。
杖を構えた瞬間、暴風が吹き荒れる。
「うわああ!」
「何が起こったんだ!」
石を投げていた市民たちが、左右に吹き飛ばされ、道ができた。
「荒れてるわねえ」
エナがテオを茶化しながら、使者に近づき、ガス灯をへし折って解放した。そのまま崩れ落ちそうになる使者の体を、片腕でひょいと担ぎ上げる。
「あいつら、モルトの畜生を逃がす気だぞ!」
「させるかあ!」
「お前らもまとめて死刑だあ!」
市民たちが殺到して、押し潰そうとすると、テオが再び呪文を唱え、二つの巨大な火壁を生み出した。それらは間にテオたちを挟んだまま、平行に帝都を横断し、郊外の平原にある丘まで続いた。途中にあった建物は消し炭となり、城壁は高熱で溶解した。
「こんな喧嘩っ早い国とはおさらばだ」
テオはそう吐き捨て、炎の道を歩き出す。
「盛大なブーメランね」
エナが小声で吹き出し、その背中を追った。
平原の丘からは、帝都の姿が一望できた。
ちょうどその中心を縦断するように、黒い二本の線が引かれている。テオの火壁に巻き込まれ、焼け焦げた跡だ。
「ちょっと大人気なかったか?」
冷静になったテオが、顔を引き攣らせて呟く。
「そうね」
エナが頷くと、テオはくしゃりと顔を歪めた。
「無抵抗な人間相手を殺そうとしていたんだぞ」
「それでも過剰防衛よ。もっと他に方法はあったはずだわ」
「......」
テオは言い返せずに黙り込む。
そこでモルト公国の使者が目を覚ました。ガバッと跳ね起きると、キョロキョロ辺りを見回し、テオとエナに視線を止めた。
「あなたたちが、私を助けてくれたのですか?」
「ああ」
「まあね」
「危ないところをありがとうございます。何とお礼を行ったら良いか」
使者が深々と頭を下げようとすると、テオが片手でそれを止めた。
「気にしなくていい。あんたのおかげで食費が浮いたからな」
「ねえ、あなたは皇帝と謁見した時、どんな風に和睦の説得をしたの?」
エナがふと思いついたように尋ねる。
「私は『戦争など野蛮で愚かなことは、直ちに止めてください。悲しみと憎しみの連鎖を生むだけです。今ならまだ間に合います。共に平和に暮らしましょう』、とそう告げただけです。それなのに、彼らは何故怒ったのでしょう?」
使者は不可解そうに首をひねった。
「......」
「......」
テオとエナは、何とも言えない顔で口を閉ざす。
使者はそれに気付かず、携帯端末を取り出して本国に連絡し、会見の失敗を報告した。そして眼下の帝都を見下ろし、その惨状に歎息する。
「私を救うために、ずいぶん無茶をして下さったようですね」
「反省はしてるんだ」
テオは苦虫を噛み潰したような顔でうなだれる。
「あのくらい、気にすることはありませんよ」
「どういう意味だ?」
「まあ、見ていてください」
使者は思わせぶりに言った。
半刻後、雲を貫いて飛来したミサイルが、帝都を焦土に変えた。




