金
満月の晩。
山の中腹に、一件の粗末な小屋があった。
長年の風雨によるものか、木板の外壁はめくれ上がり、錆びた釘が剥き出しになっている。藁葺きの屋根は毛羽立って、所々から雑草が伸びていた。
一見すると廃墟と見紛う酷い有様だ。
しかし、割れたガラス窓からは明かりが漏れ出していた。
「ごめんくださーい」
エナは大声で扉をノックした。
しばらく待ってみるが、反応はない。
「やっぱり、やめた方がいいんじゃないか」
テオがランタンを手持ちぶさたにしながら言った。
「こんな辺鄙な場所にいる奴だ。よっぽどの変わり者か、訳ありに決まってる」
「リスクを恐れたら、リターンは得られないわ。この小屋からは、美味しそうなご馳走の匂いがしてくるのよ」
エナが頑なに扉をノックし続けると、やがて返事があった。
扉が開き、身なりの良い初老の男が姿を見せる。
「やかましい! 今何時だと思っとるんだ!」
「夜分遅くにすみません、旅で難儀している者です。食事を恵んでください」
険しい口調で怒鳴られたエナは、億せず要求を述べた。
「おい、宿はどうした?」
テオが横から口を挟む。
「あと、ついでに一晩の宿も」
小屋の中には、大きな円卓がおかれ、身なりの良い三人の男たちが席に着いていた。時計回りに、扉を開けた初老の男、小柄な男、恰幅の良い太鼓腹の男が、丸椅子に腰掛けている。それぞれの背後には、武装した従者たちが、数名ずつ控えていた。
「お招きありがとう」
エナがスカートの裾をつまみ、
「おかげで野宿せずにすんだ」
テオも軽く会釈した。
小柄な男が探るような視線を寄越し、恰幅の良い男が微笑みを浮かべる。従者たちは置物のように微動だにせず、口を閉ざしていた。
「ところで、あなたたちは何の悪巧みをしているの?」
席に座るなり、エナは爆弾発言を投下した。
テオがすかさず肘で突くが、覆水は盆に返らない。
「何故そう思う?」
初老の男が、探るように問う。
「だってみんな裕福そうなのに、こんな人里離れた山小屋に集まっているんだもの。オマケに、とても堅気には見えない従者まで連れているし」
エナが理由をあげていくと、恰幅の良い男が苦笑いした。
「参ったな、ご名答だよ。私たちは闇商人なんだ」
「おい、部外者に教えて良いのか?」
小柄な男が神経質そうに、貧乏揺すりしながら言った。
「構うもんか。どうせ通報なんてできないし、証拠もないんだ」
「ここで見聞きしたことは忘れる」
「その通りよ」
テオとエナが頷くと、小柄な男は爪を噛みながら荒い鼻息をつく。
円卓の中心におかれた蝋燭の火が、ゆらりと揺れた。
「私はトルマ、奴隷商人なんだ」
恰幅の良い男が、テオとエナに向き直って告白した。続けて初老の男サウロが麻薬を、小柄な男ビーンが盗品を扱っていると紹介していく。
「私たちは、自国で表に出せない商品を持ちより、それぞれを売買して持ち帰ることで、まっとうな商品として洗浄する算段なんだ」
「それでこんな場所に集まっているわけね」
エナが納得したように手を叩いた。
ほどなくして料理が運ばれてきた。
春野菜のマリネ、ポタージュ、白パン、鴨のソテー、カスタードプディング。
専属の調理人に作らせたのか、どれも出来立てで、食欲を誘う匂いを漂わせていた。
「いっただっきまーす」
涎を垂らしたエナが、さっそく料理に取り掛かろうとする。
するとその目の前に、サウロが小袋を差し出した。
「えっと、これは?」
「一人につき銀貨二枚だ」
「お金とるの!?」
「高過ぎるだろ!」
テオが思わず本音を漏らす。
「山の中でまともな飯が食えるんだ。ありがたく思え。そもそもここを用意したのはワシだ。当然の対価だろう」
「まあ、いっか」
エナは開き直ったように銀貨を払い、
「......」
テオは釈然としない顔で銀貨を払った。
小袋はテーブルを一周してサウロの手に戻る。ジャラジャラと銀貨の重みを楽しむように弄び、
「ああ、それから宿泊費は銀貨一枚だ」
思い出したようにつけたす。
二週目に突入する小袋を見て、
「なんて、がめついんだ......」
テオはあからさまにため息をついた。
食事が始まってしばらくした後。
「さて、そろそろ互いの商品を紹介しようじゃないか」
トルマが、闇商人仲間を見渡して言った。
テオも興味を惹かれて注目する。
一名を除く全員が、揃って食事の手を休めた。
「それじゃあ、まずはワシからだな」
サウロが、足元から革のトランクを持ち上げた。ダイヤル錠を開けると、中にはパッケージされた白い粉が、みっちり敷き詰められている。
「コカの葉を抽出したものだ。混ぜものはなし。全部で三キロある」
トルマが口笛を吹いた。
ビーンも食い入るように見つめている。
「すごいな」
テオも驚愕の色を浮かべた。
「一番の大物を持ってきたのは、まずワシじゃろうな」
サウロが誇らしげに胸を張った。
「次は私の番です」
そう言ってトルマは懐から封筒を取り出した。
中には数枚の写真が入っている。
「これは?」
ビーンが怪訝そうに眉をしかめた。
「奴隷たちの写真ですよ。どれも亡国の王族、上級貴族の血筋の者たちです。オークションにかければ、蒐集家たちが喜んで大枚をはたきますよ」
それを聞いたサウロが眉間にしわを寄せ、表情を険しくさせた。その目には明らかに不審の色がちらついている。
「何故、実物を連れて来ない? こんな紙切れだけで商品を判断しろというのか? まさか、私たちを騙す気じゃないだろうな!」
サウロの従者たちが、無言で剣の柄に手を添えた。
「奴隷なんて顔と体格と健康状態しか見ないだろう。だったら写真だけでで十分じゃないか、何でそんなに怒るんだ」
「信用問題に関わるからだ! 最初の取引がこれでは先が思いやられる!」
「だってしょうがないだろう! 奴隷を連れて来れば運搬に費用がかかる! 食費だってかかる! 監視に護衛を増やさなきゃいけなくなる!」
むきになったトルマが唾を飛ばすと、
「なんてケチなんだ」
サウロが呆れたように呟いた。
「最後は僕ですか」
ビーンは自信なさげに、コソコソと小さな木箱を取り出した。
「サウロさんやトルマさんに比べると、少し地味ですけど」
ゆっくりと、もったいぶるように蓋を開ける。
「うわあ!」
それまで食事に専念していたエナが、急に手を止めた。
木箱に入っていたのは、色とりどりの宝石だった。
蝋燭の火に照らされ、七色にきらめいている。
「きれい!」
「地味なものか! 十分ではないか!」
「そうとも、良くこれだけの量が一度に集まったものだよ」
サウロとトルマも、口々に誉めそやした。
「一体いくらあるんだ?」
テオもまじまじと宝石を凝視した。
「いや、それほどでもないよ」
ビーンが照れ臭そうに頭をかいた時のことだ。
突如、円卓がカタカタと揺れだし、木箱が床に滑り落ちた。
宝石が散乱し、軽い音を立てる。
続けて、
グゴゴゴゴッ
腹の底に響くような音が轟いた。
「地震だ!」
テオが強張った声で叫ぶ。
その場にいた誰もが、我先にと円卓の下に潜り込んだ。
皿が割れ、スプーンが転がり、料理が床に染みをつくる。柱が悲鳴のように軋んだ音を立て、歪んだ窓からガラスが抜け落ちた。ひっくり返った丸椅子は、床で痙攣したように激しいダンスを踊っている。
やがて地震がおさまり、山は不気味な静寂で包まれた。
円卓の下から這い出ると、倒れた蝋燭が表面に引火していた。焦げた煙りの臭いが、料理の残滓に混じっている。
「また余震が来るかもしれない。今のうちに避難しよう」
テオがそう提案し、皆を扉へ誘導した。
しかし一人だけ、床にへばり付いて逃げる気配のない者がいた。
「おい、ビーン! 早く逃げるぞ!」
トルマが焦燥を滲ませながら促すと、
「そんなことを言って、火事場泥棒するつもりだろう! そうは行くか! これは僕の宝石だ! 誰にもやるものか!」
ビーンは鬼気迫る形相で怒鳴り返した。
「自分の命より金の方が大事だなんて、とんだ拝金主義者だ!」
トルマは信じられないとばかりに、目を見開いた。
ビーンを除く全員が、山頂付近の開けた場所に避難を終えた頃。
再び地震が起こり、大地が激しく蠢動した。
野鳥が一斉に飛び立ち、満月に黒いシルエットを浮き上がらせる。方々で地割れが起こり、崩れた土砂が地面を流れていく。遠くの方では、メキメキと樹木が倒れていた。
それから何度か余震が続き、長い夜が開けた。
「生きてまた太陽が拝めるとはな」
サウロは疲れた顔で、乾いた笑みを浮かべた。
「ええ、本当に。生まれて初めて、心から神に祈りましたよ」
トルマもぐったりとしゃがみ込んだまま、しきりに頷く。
従者たちも顔を青ざめさせ、中には寝込んでしまっている者もいた。
「ビーンの奴は、助からなかっただろうな」
「残念ですけど、おそらく......」
「馬鹿な奴だ。命あっての財産だろうに」
サウロが呆れたように呟いた。
山の中腹は、いまだに土煙がモウモウと立ち込めている。
「さあ、そろそろ行くか」
「そうね」
おもむろにテオとエナが立ち上がった。
「お前たち、どこへ行くんだ?」
サウロが声をかけると、テオとエナはニッコリ笑った。
「決まってるだろ」
「宝石を掘り返しに行くのよ」
それを聞いたサウロとトルマは、後ろ指をさして叫んだ。
「「この守銭奴め! 金のために人を見殺しにするなんて!!」」




