暗殺2-1
なぜか全文書き直す羽目になり、予想外に時間を食いました。
明日、休日なので、今日の分は持ち越します。
すみません。
「そこの二人、止まれ!」
テオとエナが森を歩いていると、突然、声をかけられた。
がさがさと草むらをかき分け、軍服を着た青年が姿を見せる。どうやら新兵らしく、まだあどけなさの残る顔は、緊張で強張っていた。軍服を着ているというよりも、軍服に着せられている、という印象だった。
「動くなよ。両手を頭につけて、腹ばいになれ」
青年は小銃を突きつけながら、二人に命じた。
「どうする?」
エナがテオを振り返り、
「さあ」
テオは肩をすくめた。
そんな呑気なやり取りに苛立ったのか、青年はテオの頭に銃口を向けると、ボルトハンドルを操作して、初弾を装填した。
「早くしろ! 頭を吹き飛ばすぞ!」
「いったい俺たちが何をしたっていうんだ?」
「黙れ! 隠しても無駄だぞ、貴様らの正体は分かっているんだ!」
青年はそう叫ぶと、引き金に指をかけた。
「え、そうなの? 上手くごまかしたつもりだったのに」
エナが自分の身体を見回し、傷ついたようにうなだれる。
「そうか。魔女狩りか」
テオは小さく呟くと、おもむろに杖を構えた。
口の中で呪文を唱え、青年を睨みつける。
「だとしたら、見逃す訳にはいかないな」
次の瞬間、杖の先が光ったかと思うと、突風が巻き起こった。
「うわああ!」
青年の身体が、見えない拳で殴られたかのように、後ろに吹き飛んだ。
その拍子に小銃の引き金が引かれ、あらぬ方向に弾丸が飛んでいった。楓の幹に当たり、コンッと小気味良い音を立てる。
「何だ今のは!?」
青年は地面から起き上がりながら、目を白黒させた。
「教えてやる義理はない」
テオは再び杖を振るった。
ゴウッ
先程よりも強めの風が吹き荒ぶ。
ゴロゴロゴロ
青年は地面を転がされるが、
「ぐっ、何のこれしき!」
歯を噛み締めて立ち上がった。
「しぶといな」
テオは休みなく杖を振る。
ゴウッ
ゴロゴロゴロ
吹っ飛ばされた青年が、むくりと起き上がる。
「アトラ軍人を舐めるなよ!」
「頑丈な男だ」
ゴウッ
ゴロゴロゴロ
「祖国のためにもおおおおおおお、負ああけられるかあああああああああ!」
「いい加減にしろお!」
耐え兼ねたテオが、珍しく感情をむき出した。
何度、暴風で吹き飛ばそうとも、青年はその度に起き上がり、立ち向かってくる。そのアンデッドじみた生命力はまるでーー
「まるでゴキブリみたいな人ね」
エナが呆れたように言った。
青年は小銃をなくし、軍服もボロボロにに破けていたが、それでも諦める気配を見せなかった。近くの木に寄り掛かりながら、
「まだまだあ!」
よろよろと立ち上がった。
「もう倒れろよ」
テオがうんざりした表情で杖を持ち上げる。
そこで乾いた発砲音が響いた。
「何をしている!」
騎乗した三十人ほどの兵士たちが、慌ただしく駆け寄って来る。
テオとエナはあっという間に包囲され、無数の銃口を向けられてしまった。
「『一匹いたら三十匹はいると思え』。あれって本当だったのね」
エナは両手をあげてしみじみと言い、
「『噂をすれば現れる』。お前が余計なことを言うからだ」
テオはふて腐れたように八つ当たりした。
「おい新兵、報告しろ。この二人は何者だ?」
壮年の部隊長らしき男が、青年に命じた。
青年はふらつきながら直立すると、敬礼しながら答えた。
「はっ、クルツ軍の放ったスパイと思われます」
それを聞いたテオとエナは、目を丸くして顔を見合わせた。
テオとエナは、森の中にある城塞に連行され、地下牢に入れられた。
誤解に気づいた二人は、すぐ部隊長に事情を説明したが、身の潔白を証明できず、身柄を拘束されてしまった。警戒線付近を歩いていただけでも疑わしいのに、巡回の兵士をコテンパンにしてしまったのだから、ある意味では当然の処置だった。
「仮にお前たちが、洗い立てのシーツみたいに真っ白だったとしても、この非常時じゃ自由は認められんよ。敵に情報を流される恐れがあるからな」
部隊長はそう言い残すと、二人を置いて牢屋を出て行った。
「元はと言えば、あの新兵の早とちりが原因じゃないか」
テオは出口を睨みながら悪態をつく。
「それはお互い様でしょう」
エナは固いベッドに横になりながら、固いパンをむしっていた。
牢屋は狭く、冷たかった。家具は古びたテーブルと椅子、薄い毛布を敷いたベッドだけで、シャワーはなく、トイレも床に瓶が埋めてあるだけだった。
「だからって、この扱いはないだろ」
テオが鉄格子を拳で叩くと、鈍く重い音が響いた。
「お前ら、ツイてなかったな」
牢屋の前に立っていた見張りの兵が、同情するように言った。上官がいなくなったのを良いことに、引き出しから細巻を取り出して火を付けている。
「ねえ、どうしてみんなピリピリしているの?」
エナがパンを頬張ったまま、気安く尋ねた。
城門から牢屋に着くまでの間、すれ違った兵士のほとんどが、浮足立っているように見えたのだ。
「これから戦争が始まるからな。不安で仕方ないんだ」
牢番は苦笑を浮かべる。
「戦争?」
「ああ。一週間前、隣国のクルツ帝国が一方的に宣戦布告してきたんだ。ここしばらく平和が続いたから、兵士の多くは実戦経験に乏しい。しかも相手はかつてない大軍を編成しているそうだ」
「じゃあ、負けちゃいそうなんだ」
「端的に言うと、そういうことになるな」
「その割には、あんたは冷静みたいだけど」
テオが指摘すると、牢番は美味そうに煙を吐き出した。
「この国にはルーカム将軍がいるからな」
「どんな人物なんだ?」
「前回の戦争の英雄さ。大勝利をもたらした功労者だ。元々は流れの行商人だったらしいが、この国が気に入り、義勇軍に志願したんだ。そしてクルツ軍が侵攻して来ると、精鋭五十を率いて街道の脇に身を潜めた」
「それでそれで?」
エナが起き上がって相づちを打つ。
「街道を通るクルツ軍をやり過ごし、新月の晩に、夜襲をかけて兵糧庫に火を放ったんだ。連中は回れ右して、慌てて国に逃げ帰ったよ」
「えーと、それだけ?」
エナが拍子抜けしたように言うと、牢番はやれやれと首を振った。
「嬢ちゃんは分かってねえな。動けないってのは、それだけでとてつもないストレスなんだ。しかも味方は少数で、すぐ傍には完全武装の敵軍だ。一歩間違えれば全滅は必至。十分称賛に値するよ」
「ふーん」
エナは気のない返事をすると、再びベッドに寝転ぶ。
「ところでお前たち、新兵と争った時に、おかしな術を使ったんだって? 風を手足のように操ったって、噂になってたぞ」
そこでふと思い出したように、牢番が言った。
吸い指しを灰皿に落とし、テオに視線をやる。
「おかしな術じゃない。魔法だ」
テオはむすっとした表情で答えた。
「へえ、そいつは良いや。まるでお伽話みたいだな。......なあ、俺にもちょっとだけ見せてくれよ」
「杖を返してくれたらな」
「そりゃ、できねえ相談だ」
その日の晩。
テオとエナが無言で一つしかないベッドの占有権を争っていると、地下牢の扉がノックされた。牢番が慌てて細巻の火をもみ消し、手を振って煙を散らす。
「どうぞ」
澄まし顔で扉を開けると、驚きで身を硬直させた。
「失礼するよ」
そう断って入ってきたのは、明らかに高い地位にいると分かる軍人だった。
上等な生地の軍服には、しわ一つなく、胸元には無数の勲章が輝いている。頭には白いものが目立っていたが、その体躯は巌のようにどっしりとしており、精悍な顔つきをしていた。
背後に控える二人の護衛は、男の威容に霞んでいるようだった。
「やあ、君たちがテオくんにエナさんだね。私はルーカムだ」
男は気さくに自己紹介すると、軍帽を小脇に抱えて会釈した。
「例の将軍閣下のお出ましだ」
テオは小さく口笛を吹き、
「『噂をすれば現れる』って奴ね」
エナは軽口を叩いた。
護衛たちが咎めるような視線を向けるが、二人は得に気にした素振りもなく、興味深げにルーカムを観察した。
「兵士たちから君たちの噂を聞いてね、謝罪もかねて挨拶に来たんだ」
「ようやく俺たちを解放する気になったのか?」
テオが皮肉っぽく言うと、ルーカムは首を振った。
「その件については保留だな。まずは君たちの魔法の真偽を確かめることが先だ。もし本物であれば、我が軍は大幅な増強が見込める」
背後からテオの杖を取り出し、軽く振ってみせる。
「戦争の片棒を担ぐなんてゴメンだぞ」
「そうよ。こっちにも都合があるんだから」
テオとエナは、気乗りしない様子で抗議した。
「まあ、そう慌てるな。いま結論を出すのは早急だ。じっくり話をしてからでも遅くはあるまい」
ルーカムはそういうと、手を振って人払いを命じた。
護衛の二人は少しためらったが、「上官命令だ」と睨まれると、しぶしぶ退室していった。牢番の方は、これ幸いと逃げるように出て行った。
「さて、それでは本題に入ろうか」
ルーカムは居住まいを正すと、そう切り出した。
「え、さっきの話は?」
エナがきょとんとした表情を浮かべる。
「あれは三人だけになるための建前だ」
「誰にも聞かれたくない、秘密の話ってことか」
テオの言葉にルーカムが頷く。
「......君たちは、私のことを知っているかね?」
「前回の戦争の英雄だろ? 牢番に聞いたよ」
「義勇軍に参加して、敵の兵糧を奇襲で焼いたのよね」
「表向きはそうことになっているな。だが事実は違う。結論から言うと、私はクルツ軍のスパイだ」
ルーカムは新聞の記事を告げるように、あっけらかんと告白した。
「何だって?」
テオは思わず聞き返し、
「ああ、なるほど」
エナはぽんっと膝を打った。
「おいエナ、何が分かったんだ?」
「簡単なことよ。前回の戦争でクルツ軍を追い返したルーカムさんは、その功績でこの国の中枢に潜り込んだの。警備が厳重なはずの兵糧庫を奇襲できたのは、本当の味方が情報を流していたからだわ。高い機密性が求められるから、多分、味方でも事実を知っているのは少数ね。そして今回の戦争で、クルツ軍を懐に導き、完全勝利をもたらす」
「ずいぶんと気長な計画だな」
テオは納得したように頷いた。
「確かに時間はかかるけど、遠い目で見れば愚直に攻めるよりも効率的よ。兵糧の赤字に目をつぶれば、人的資源の損失を減らせるし、戦費も節約できるもの」
「でも、何でこのタイミングで、俺たちに正体を明かしたんだ?」
「それは、あたしにも分かんない」
エナは答えを求めるように、ルーカムを見やった。
「計画を遂行させる訳にはいかなくなったからだよ」
ルーカムは意味深に呟くと、壁から鍵を取り、牢の扉を開けた。そして困惑しているテオの腕に、杖を押し付けた。
「おい、無用心じゃないか。それとも魔法を信じてないのか?」
「疑ってる訳じゃないよ。君たちは牢に繋がれたにしては落ち着きすぎている。ただ、警戒する必要がないだけだ」
ルーカムは懐から酒瓶を取り出すと、最後の晩酌を楽しむように、ゆっくりと味わった。
「私はこの国に長く居すぎた。初めは偽装結婚だったが、今となっては妻も息子たちも、愛おしくて堪らない。友人や知人もたくさんできた。彼らは祖国で教わったような、野蛮な悪魔ではなく、温かい血の通った人間だと気づいてしまったんだ。彼らを死なせるわけにはいかない。しかし私が裏切れば、故郷の両親が見せしめに殺されてしまうだろう。自殺しても同じことだ。私は二つの祖国の間で苦悩した。そんな時に、君たちが現れたんだ」
ルーカムは姿勢を正すと、深々と頭を下げた。そこには初めのような威厳は微塵もなく、疲れ果てた男の哀愁だけが残されていた。
「頼む。私を殺してくれ」
予想外の展開に、テオとエナは絶句した。
「第三者の犯行となれば、両親に危害は加わらないだろう。私が死ねば、今回の計画も失敗するだろう。それどころか第三勢力の介入を恐れて、侵略戦争を中止できるかもしれない」
ルーカムは畳みかけるように力説した。
「私を暗殺し、城門から外に逃走してくれ。困難だろうが、クルツ帝国の密偵を納得させるには必要な処置だ。......もちろん報酬は弾む」
ポーチから小さな巾着袋を取り出し、テオに放り投げる。
中には大粒のダイヤが入っていた。
「わあ、太っ腹」
覗き込んだエナが、黄色い声を上げる。
「もし断ったら?」
テオが挑発するように言うと、ルーカムは不敵な笑みを浮かべた。
「その時は、お前たちを殺して死体を利用させてもらうさ。最悪、相打ちに見えればそれで構わない」
腰のホルスターから拳銃を引き抜き、激鉄を起こした。




