第三章【豊穣】-3
世界には龍と呼ばれる生物がいる。龍がどのように生まれたのか知る者はいない。
何故か、それは龍がこの世界で最初に目覚めた生物だからである。目覚めた龍は五匹いた。五匹の龍は互いに干渉せず大地を見守った。次に生まれた生物は植物である。龍は海岸に苔が付着しているのを見つけた。それは龍以外で初めてマナを内包するものであり龍は直ぐに生命だと気付いた。
――マストア王国法術研究所第一回祖龍聞き取り調査記録より――
龍信仰は帝国において最も一般的な宗教である。古教会と呼ばれているが未だ帝国、あるいは帝国外においても支配的な宗教であり、各地の習俗と密接な係わりを有している。また、正教会との大きな違いとして古教会には教義がない。正確に記すならば統一された教義がない。
厳格な古教会もあれば穏和な古教会も存在する。ここ東方の古教会は祖龍信仰と祖先崇拝を混ぜた帝国各地で良く見つける事の出来る系統のものであった。
ウラジオストックを後にした三人はタケヒサを仲間に加え帝国街道をさらに東に向かっていた。目指すはタケヒサの故郷、帝国東の国境となるウォルダーチ山脈の麓に位置する町タニトゲである。
「タニトゲってどんな意味なんですか?」
「谷峠です」
馬車に揺られながら質問するエリザに何と言ったら良いのか御者台から困惑気味にタケヒサは答える。帝国人の、ここの地名は何か、との質問に当時の通訳が間違えて谷峠(谷間の峠です)と答えた事が由来である。
「ワ人の意味もおもろいで、当時の帝国人がお前誰や、ゆうたら。ワ(我)、ワレ(我)て、まあ自分?自分?て聞き返してもうたから帝国人がワ人ゆうのかって勘違いしてもうたんや」
「ほんとですか?」
「本当です、ここでは結構有名な話です。まあ当時我々を指す単語は持っていなかったそうですからちょうどよかったのではないでしょうか」
「ああ!エリちゃん、うちのこと信じてない」
「普段嘘ばっかり言うからでしょう」
州都から続く道は石畳みから段々と土に代わっていき所々に泥濘が出来ていた。デキウスは変わりゆく道の様子をじっと見つめている。
「ここから先は泥濘が多く、揺れが酷くなりますご容赦下さい」
「あまり轍(馬車の車輪跡)が無いな」
「道がこんな状態です。重量物を積んだ馬車では直ぐに足を取られてしまいますので、普段は徒歩か騎乗して通ります」
「商人は良くそれで利益が出せるな?」
「商人は来ませんよ、商人にとって州都から先は割に合わない仕事だそうですから。もっぱら冒険者か軍の輸送隊が頼りです」
「納税は?」
「軍が代理で回収します。おっと、すみません車輪が泥濘に。少々お待ち下さい」
「手伝おう」
「ふれー、ふれー」
「テアちゃん私達も降りるのよ」
その後も何度か泥濘に車輪が取られてしまったが幸いにも車体に影響はでず。昼前には目的地に付くことが出来た。到着した町は異郷情緒あふれる趣で、木製の家の屋根に煉瓦(瓦)が敷き詰められていた。
「馬車の置ける宿はあまりないので私の実家に止めさせてもらいます。後、あまりここでは公用語(帝国公用語)は使えないので何かあったら私を呼んで下さい」
「温泉あるんか?」
「山を登ったところの教会(古教会)にあたっはずですが馬車では無理ですね。後ほど案内しましょう」
しばらくするとタケヒサの実家に到着する。門は私兵が警備しておりタケヒサの実家がこの地域の有力者であることが伺えた。
『しばらく』
『若様!お早いお戻りで、如何なされました?』
『帝国の客人よ、父上と爺様に伝えてくれ。私は馬小屋に寄ってからいく』
『賜りました』
「使者殿こちらの者について行っていただけますか。私は馬車を置いてから参ります」
「助かったわ。ありがとうな」
『帝国のお客人、こちらでございます』
「なんて言ってるのかな?」
「付いて来て言うとるんやないかな?さて行こか」
私兵の案内で三人は屋敷の門をくぐる。中は木と岩が所々に設置された庭と木造の一階建ての屋敷で構成されていた。屋敷の裏にまだ何かありそうだがここからでは伺えない様である。
玄関に通されるとエリザが靴のまま入ってしまう事故があったものの応接間と思われる植物の茎で編まれたカーペット(畳)が敷き詰められている部屋に通される。部屋からは庭を良く見ることが出来、通された三人は背の低い机の前に並べられたクッションに腰を下ろした。
「畳や、クンカクンカ」
マギステアは畳の上に寝っころがるとゴロゴロと転がり回る。
「ちょっとテアちゃん。はしたないよ」
「はっはっは、ずいぶん気に入って貰えた様で」
部屋に老年の男性と年配の男性が入ってくる。
「どうですかなここは、帝国のお客人」
流暢な帝国公用語とその姿から、タケヒサの血縁者か相応に関係の深い間柄だろうと推測される。
「ええとこやな、自然と一体になる様な感じや。マナも満ちてる」
「マナの事は良く分かりませんが、気に入って貰えてなによりです。スズナ、挨拶しなさい」
年配の男性が少女を紹介する。年のころはマギステアより1~2歳ほど上だろうか、長く伸ばされた黒髪と少しきつめの瞳が特徴的である。
少女の愛らしい口から拙い帝国公用語が流れる。
「ハジメまして、テイコクのオキャクサマ。」
「初めましてや、スズちゃん」
それまでうつ伏せになっていたマギステアは飛び起きてスズナの目を覗き込み挨拶をする。突然の行為にスズナは驚き年配の男性の背に隠れてしまった。
「スズナ、申し訳ありませんお客人」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。テアちゃん驚かせちゃダメでしょう」
「ごめんな、驚かせてもうて」
その後、老年の男性と年配の男性はスズナを下がらせると三人と机を挟んで相対するように座る。独特な座方である正座にデキウスとエリザは真似をする。
「ああ、帝国の方にこの座り方は慣れぬでしょう。どうか楽にしてください」
「すみません、お言葉に甘えさせてもらいます」
二人は元の座り方に戻るが、マギステアはちゃっかり正座をしていた。
「ここいらは昔ほど公用語は通じません。昔はいくらか帝国人の観光客も居りましたが、今ではほとんど来ません。僅かに冒険者が山の幸を求めて来る程度でして」
「やっぱり道なんか?」
「それが大きいかと」
「お客人方どうですかな、良ければ家に滞在なされては?この家でしたらいくらか公用語も通じます」
「助かりますわ、甘えさせてもらいます」
老年の男性の誘をマギステアは感謝と承諾の言葉で答える。町の様子や帝都の情勢について情報交換していると、郷土衣装に身を包んだタカヒサが現れ三人を客間へと案内した。
「この後はいかがなさいますか?」
「そやな、出来たら温泉行きたいんやけど」
「でしたらご案内しましょう。細い山道を通りますので注意して下さい」
「そんじゃ着替えとか用意するわ。少しまっとてや」
「テアちゃん、温泉ってなに?」
「湯船の事や、浸かると気持ちええで」
荷物を置き、支度を済ませた三人はタケヒサの案内の元、山の中腹に位置する古教会を目指す、町から古教会に続く山道は細く急であったが途中で幾人かの参拝客に出くわし、古教会が町の多くの人にとって重要な場所だと言うことが理解出来る。
また、山道からは山の斜面に沿って階段状に築かれた畑に、青々とした植物が植えられている様子も見受けられた。
「この教会には曰くがありまして、帝国成立よりも昔、それも神魔大戦よりも前に遡るそうです。当時、この地に傷ついた龍が現れ此処の温泉で傷を癒したのが始まりとか」
「その後龍はどうしたんですか?」
「ウォルダーチ山脈に飛んで行ったと聞きます」
きつい山道を登りきるとそこには小ぢんまりとした教会が姿を現す。木造のそれは町を見守るように建てられていた。門前では頭を剃り豊富な白眉毛と白髭を生やした老人が箒で石畳みを掃き清めている。
『雪斎様、ご無沙汰しております』
『おお、藤井の所の子倅か。息災か』
『お陰様で、将軍閣下にも良くしてもらっています』
『善哉、善哉』
「彼がこの教会の司祭、セッサイ様です」
『よろしゅうな、本当に雪みたいな眉毛とお髭やな』
マギステアの口から流れる和語に雪斎とタケヒサは目を向ける。
『おや、そちらの方は和語が分かりますか』
『少しやけどな』
「なんと言っているんだ?」
「ただのあいさつや。温泉入れてもらいたいんやけど」
『雪斎様、帝国の方々を温泉に入れてもよろしいですか?』
『昔は良く帝国人も入とった。入れてやりなさい』
「使者殿こちらです」
タケヒサに案内され連れて行かれた温泉は周囲を人の背丈を少し超える位の柵で囲まれていた。
「中は男女で別れていますが」
「うちがある程度わかるから、デッキーをよろしゅうな」
「は、はあ……」
マギステアはエリザの腕をつかむとずんずんと中へ向かって行き、残された男二人は顔を見合わせると苦笑をして、後に続くのであった。
中は、帝国の技師が手掛けたのだろうか、煉瓦で整えられた湯船と足を滑らさないための配慮か薄い溝が掘られた石畳みが敷き詰められていた。
「温泉や!まずは桶でお湯をすくって体を清めるんやで」
温泉はかけ流しになっており、湧き出す湯量が豊富であることが伺える。身を清めた二人は温泉に浸かる。
男側は分からないが二人以外に温泉を利用している者は居らず、恐る恐る足を踏み入れたエリザは芯から体を温める温泉の効果に僅かに酔いしれ、顔は血行が良くなったために頬に赤みがさす。
「ええ気持ちやろ」
「これはいいわね、癖になりそう」
帝都にも風呂屋はあるがこの様な浸かる物ではなく、部屋の隅で水を沸かす事でサウナ(蒸風呂)状態にしたものである。
「ただでさえすべすべのエリちゃんの肌が、もっとすべすべになってまうな。ぐへへへ」
「ちょっ、テアちゃん。どこに手を、そこはだめ」
「良いではないか、良いではないか」
「あっうん、だめ、声が、あっああん」
「おっぱい大きいなあ、うちもこんぐらいになるんかな。今後にこうご期待やな」
「知らないわよ、ちょっ、さすがに下は、ちょと冗談に、だめそんなところ撫でられたら、あぅ、んんん」
「ここが弱いんか、ここがええんか。ぐへへへ」
女湯より流れ出る、うら若き乙女の息遣いに男湯では。
「「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時……」」
女湯から流れる天使の奏でる響きを遮るかのように呪文の詠唱が行われており、聞こえた者にはそれが呪詛の様にも感じられただろう。
『おや、帝国のお客人』
『温泉、追い出されてもうた』
『それは、残念でしたな。少し時間はありますかな?』
雪斎の申し出にマギステアは小首を傾げる。雪斎はマギステアを教会の奥に連れて行くと、周囲から目立たない、木々に隠れる様にそれはあった。
『御蛇地山脈調査隊此処に眠る』
古惚けた石碑にはその様に書かれていた。
『読めますか』
『これはなんや?』
『爺の昔話に付き合ってもらえますかな?』
かつてこの地が帝国に編入されて間もなくの頃、多くの帝国軍人がこの地を訪れた。観光ではない、当時からこの山脈の先には大陸東部、魔族達の故郷があると推測されており、訪れた帝国軍人達は祖国の防衛の為、敵情を入手するため山脈の走破を幾度となく試みていたのである。
その前途ある郷土愛に溢れた若き帝国人達はこの教会で一時の休息を得ると山脈の奥へと挑んでいった。そして多くの場合それは死地への旅立ちに他ならかった。
帰って来る事のなかった彼らが山脈を走破し、魔族領域に到達したか如何かを確かめる術はなく、この石碑は帰って来る事のなかった帝国人達への墓標であったのだ。
『かつて頻繁に行われていたそれも、再統一戦争で中断してから今では行われておらんが。ここに訪れたのも何かの縁じゃて、手を合わせて貰えんかの?』
『そうゆう事なら、喜んで。むしろこっちからお願いさせてもらいます』
マギステアは目を瞑って手を合わせると、この地に散っていった若者達に思いを馳せるのであった。