第一章【悪才】-2
破天荒な少女が帰った執務室でガイウス宰相は改めて『五ヵ年計画』の計画書に目を通す。先ほどの金融政策に始まり、帝国街道再整備計画、殖産興業計画、貿易事業改革、税制改革、軍政改革と内容は多岐に渡り、とても成人に満たない齢十一の少女が考えたとは思えない内容である。
思えば初めて会った時からそうであったとガイウス宰相は思い出す。この世界に生きている人間では決して思いつかないような知識、思想。しかし、その知識は自分で考えたにしては明らかに不自然であり、まるでそう習った、教えられたから知っていると言う様に理論整然としていた。
正教徒ではないがまるで帝国の危機に神が遣わした英雄の様ではないか。そこまで考えてガイウス宰相は己の思考が馬鹿らしくなったのか吹き出す。神が本当に居るとしたらそいつはどうしょうもなく無能であると、愚かで私腹を肥やすことにしか興味のなく、それこそ飛ぶハエが鬱陶しいから払うように民衆を傷つけ、殺し、その尊厳を踏みにじる、そんな愚か者共をこれほど放置するはずがないと。
さあ仕事を始めよう、何とか月が変わる前に家に帰らねばならない。そこまで考えると扉がノックされ、ガイウス宰相は計画書を机に仕舞うと扉に向かって声をかける。
「入れ」
「「失礼します」」
入ってきたのは若い神経質そうな軍人風の男と、どこか怯えた表情をしている尖った耳が特徴のエルフの女性である。男の名はデキウス、巡回史長という役職で、地球で言うところの憲兵に当たる。地球の憲兵ほど軍人に対する優位性はないが宰相直属の軍に対する調査機関であり、本業は各地の帝国軍を調査し、その実態を宰相に報告することである。
「お呼びとの事ですが?」
デキウスが相変わらず神経質そうに話しを切り出す。その見た目の通り神経質で融通が利かない男であるが、だからこそ相手の粗を探し出せる注意力と、賄賂や脅しに負けない強い心を持っているとも言える。
「そう急くなデキウス、まず二人に見てもらいたいものがある」
予め用意していた紙を二人に渡す。二人は怪訝な表情を浮かべながら受け取り、内容に目を通した。
「帝国街道再整備計画?」
「読んで字の如くだ。帝国はかつて整備した帝国街道の再整備を計画している」
ガイウス宰相はエルフの女性の疑問の声に答える。このエルフの女性、名はエリザと言い、宰相府の書記官を務めている。書記官とは会議等の場で話された内容が後に解るように記述して残すための役職である。エリザの場合この書記官としての本業以外に書類に不備や不審な部分がないかを調べる監査官の仕事もしている。
「私共は如何すれば?」
デキウスが率直に尋ねると、ガイウス宰相はテキパキと話が進むのは有難い、こちらは早く家に帰りたいのだと顔には出さず内心喜ぶ。
「国家法術士一人を伴い、各地の帝国街道及び各種の情報収集をしてもらう」
「情報収集ですか?」
「各地方軍団、警邏隊、地方行政官、貴族領の内偵だ。他に質問は?」
「私共と法術士の三名ですか……部下の随伴は?」
「これはあくまで内偵だ、三名で行動してもらう。表向きには帝国街道の調査、言わば観光だ、嬉しいだろう……他には?」
おずおずとエリザが質問する。
「その、法術士はどの様な方なのでしょうか?」
「喜べ、女だ」
デキウスはガイウス宰相と同じ表情を浮かべるのだった。
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帝都、工房街
「ちょっと、納期は過ぎとるんやで。ええかげん早よう準備してや」
熱気と騒音の渦巻く工房の中、幼い少女の声が響く。
「かぁあ!分かっとるわい!」
工房の代表であるドワーフの男は少女の声に答えながらも、その手を休める兆しはない。
「親方、やっぱり車体をもう少し下げた方が良かないですか?」
「あまり下げると坂道で腹を擦るぞ」
「人が乗るんだ、重心もその分上がるぞ」
少女の焦りもなんのその、工房の職人達はああでもない、こうでもないと話始める。
「もうええから!必要なんは信頼性や!これから長旅するんやから、そう言うんは帝都内用の馬車にして!」
少女の何気ない一言は職人達の琴線に触れ議論を白熱させる。
「帝都内用の馬車か、そう言う考えもあるか」
「オフロード用とロード用、必要に応じて車輪を変えるとかか?」
「起伏の大きい場所では幅広で大型の車輪を使い、都市内では小回りの利く幅狭で小型の車輪か」
「そうなると、馬と車体を繋ぐ軸も動かせた方が良いな」
少女は火に油を注いだ事を理解すると天を仰ぐのであった。
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帝都、東門
この時代、帝国に住む人々にとって世界とはパンテルラ帝国であった。パンテルラ自体、意味合いはパン“一つの”テルラ“国家”を意味する言葉である。もちろん一般民衆の間でも大内海沿岸諸国の存在が広まっており、帝国がこの世界唯一の国家でないことは知識として知られている。が、やはり実感としては未だに帝国が世界そのものであった。
行政区分として帝国は大きく5つに分けられている。皇帝の居城がある帝国中央部、古都や多くの自治州がある帝国西部、比較的新しく(とは言え、服属したのは再統一戦争以前であるが)帝国領に編入された帝国東部、近年大内海沿岸諸国との交易により経済発展著しい帝国南部、そして最後に帝国建国以前の神魔大戦から戦乱の中心地であり続けた帝国北部である。その帝国東部、南部、北部に続く街道の出発点、帝都東門に二人の男女が三頭の駄馬(長距離の移動に適した馬、持久力が高く粗食に耐える)を伴って佇んでいた。
日が登り昼に近い時間帯であり、帝都の玄関口である東門には人々が忙しなく行き交っている。
彼ら行き交う人々をつぶさに観察すれば多様な人種が見て取れるだろう。帝国の広大な国土では多くの人種が生活しており、彼等は互いに干渉し、刺激し合う事で社会を、歴史を刻んでいる。
帝都を警邏する軍人に目を向ければ頭部に獣の耳を生やし獣の尻尾を腰からぶら下げており、獣人種である事が分かる。獣人種は帝国西部の国境地帯に存在する高原を主な生活圏としており、総じて身体能力に秀でている。その優れた身体能力から軍人や冒険者として働く事が多い。
エリザの様に特徴的な長い耳を有する者はエルフ種と呼ばれ、帝国西部の外海に面した地域に自治州を有し、人族の中で最も早く国家を形成しとされる。古代においては法術研究の中心地として、その技術を独占し栄えたものの、神魔大戦以降、急速に技術は流出して行きフェアリアル開発では帝国の後塵を拝し続けている。また総じて優れた音感と発声能力を有している。
工房の中で声を荒げている低い体躯と豊かな髭が特徴的なドワーフ種、帝国中央部と西部の間に存在するピレネス山脈に自治州を有している。極めて集中力、持久力、耐久力が高く、日の光が差さない劣悪な環境下でも長期間に渡り活動を行える。また、自尊心が高い事でも有名である。
そして帝国の支配種族である人種、突出した能力は無いものの多様性に優れ、多彩な才能を見せる事が多い。最大多数を占めるだけはあり、人種の中にも多くの種が存在している。特に帝国で知られているのが北部の蛮族であるペゲルス人、東部の蛮族であるワ人、南部の蛮族であるアーフェルス人等である。(語源的にはルスが人々の意味に当たるため記述としてはペゲルス、アーフェルスが正しい)
夜の酒場で酔っ払い客が落日の帝国と嘆く姿が見られるが、この帝都の活気を目にする限りとても落ちぶれているとは思えない。
暇を持て余して女はチラリと横に立つ男を観察し直ぐに後悔する。とても苛々した様子であり、ただでさえ小さい肝を更に小さくする結果となった。行き交う人々は横目でそれを見ながらも君子危うきに近寄らずとばかりに通り過ぎていく。
「遅い」
ぼそっと男の口から漏れた言葉に隣に立つ女はビクッと肩を震わし黙っているのも如何かと思った為、当たり障りのない言葉を口に出す。
「そうですね、どうしたんでしょうか?」
「遅すぎる、約束の時間は当に過ぎている」
当初の予定では早朝に出発する予定であった。帝国中部の治安状況は比較的良好ではあるが野宿は避けたいのが旅行者の思いであり、そのため通常早朝に出発し、日が傾き始める前に街道沿いの宿場で宿を取るのが常識である。
「それがどうだ!日は既に登り切っている!」
そういえば小腹が空いてきたなと女、エリザは思うのであった。
「そんなカリカリしてどうしたん?」
間延びした少女の声に顔を向けるとそこには法術士風の衣装(ゆったりとしたポケットの多い服)に身を包んだ子供が居た。着ている服の質から上流階級の子供だろうか、エリザが視線を子供と合わせるためにしゃがむと、さらっとした金髪が羽毛のように遅れて落ちてくる。くりっとした愛らしい瞳から少女が活発で好奇心旺盛な様子が見て取れた。
「どうしたんですか?ご両親とはぐれてしまったんですか?」
「迷子やないで、これからお仕事や。宜しゅうエリちゃん、デッキー」
にかっと笑みを浮かべるマギステアにエリザとデキウスは度肝を抜かれる。法術士の女性と聞いていたが、それが年端もいかぬ子供とは聞いていなかったからだ。
「……何かの間違いでは」
デキウスが普段の様子からかけ離れた、唖然とした表情で聞き返した。
「嘘やのうで、これが証拠や」
マギステアは未だ発育不十分な胸の谷間、正確に記すならば胸と服の間からネックレスに繋がった指輪を取り出し見せつける。地方に派遣される帝国官史に支給される宰相府の紋章入りの指輪である。
「そんな馬鹿な」
「これ以上はガイウスのおっちゃんとこ行かんと証明できへんで」
「おっちゃん……」
マギステアの発言にデキウスは絶句する。偉大なる皇帝の血族にして帝国宰相をおっちゃん呼ばわりである。自分がデッキーと呼ばれた事などすっかり頭から抜け落ちていた。
「遅れてほんますまんかたわ。頼んでたやつがなかなか出来んでな、急いでるゆうに後ちょっと、後ちょっと、てな。おぉい!こっちや!」
マギステアは人混みに向けて背伸びしながら大きく手を振る。その動作だけを見れば年相応の子供の姿である。しばらくすると古の賢者が海を割ったが如く人々が道を作り、二頭立ての馬車が姿を現す。十分軍用に耐えれそうな体格の良い雌馬二頭に引かれた一風変わった作りの馬車であり、御者台にはこの馬車を作ったのであろうドワーフの親方が乗っている。
「時間はかかったが、性能は要求以上を自負してるぞ」
御者台からドワーフらしい厳つい言葉が飛んだ。
「デッキーは御者出来るんか?」
「デッキー?……御者はできるが」
「なら問題あらへんな。おっちゃん、こっちの兄ちゃんに説明したってや」
混乱するエリザとデキウスを置いて話はどんどん進んでいく。御者台から降りたドワーフは身長はエリザ位だろうかドワーフの中では高身長の部類である。
「色々新機軸の技術を採用しているがまず、既存の馬車との大きな違いだな。車輪にワーム(帝国南部の砂漠地帯を生息域とする魔物)の筋繊維を束ねた物を巻いている。その上からワームの皮を巻いているから強度は十分あるはずだが、定期的にワームの皮は巻き直してくれ。後車軸に使われているスプリングだが、既存の木製の物から金属製に変えてある。結果として馬車の重量は増加しているが、車輪の回転効率は著しく向上している。馬にとってはむしろ軽く感じるはずだ、つまりスピードを出しやすくなっている。だが重くなっている分加減速の変更は難しい、急激な加減速はせずにゆっくり時間をかけてくれ、馬の足を痛める事になる。それから交換部品だが幾つかは油樽の中に入っている。入っているもの以外は現地の鍛冶屋でも作製可能なはずだ、無理なら既存の部品も流用できるが、その場合全体の重量に歪みが生じて車体の重心が変わるから荷物の場所を置き換えて対応するのが良いだろう。後、通常一体化している車軸を左右別々にしてあり、車体を下げて重心が車軸に来るように調整してある。急勾配の道を行く場合車体と道との隙間に注意が必要だ、場合によっては腹を擦ってしまうかもしれん。帝国街道からなるべく離れないで運用してくれ、組み立ての容易な竹竿も積んであるから雨が降りそうなら、車体の四隅に設置してある取り付け用の穴に差し込んで簡易な幌馬車にも出来るしテントを張るときの骨格にも使える。布の長さの問題で幌馬車にするときは御者台までの長さは無いから諦めろ。使われている金属だが最新の鋼鉄を使っている。鋼鉄を作れる炉を持っているのは帝都ではうちのギルドだけだから、防具や剣を新調したい時にはぜひ贔屓にしてくれ、鎌と鎚が交差した看板が目印のギルド・スターリン(鉄人の意味、鉄人組合)だ、よろしくな」
「待ってくれ、一度に言われても解らん」
「まとめるとだな」
「うちが知っとるから大丈夫やで、スピードにだけ注意してや」
「と、言うことだ」
デキウスは肩を落とし、天を仰いだ。これからの事を思うと自然目頭が熱くなってくるのが感じられるのだった。
彼等がこれから向かう大地には隙間なく地面に石が列をなして一直線に敷き詰められており、その石の表面は綺麗に磨かれていた。帝国の血管、帝国街道の姿である。
帝国街道の建設が始まった時期は正確には記録されていない。多くの貴重な文献が再統一戦争で消失した影響である。僅かに残った文献から、帝国街道その一歩を築いたのは初代皇帝アウグストゥス帝による西部と北部を結ぶ軍用道の建設であるとされる。
祖帝は魔族により破壊された街道に砂利を引き、その上に石を敷き詰め西部の列強国から兵糧を戦場に運ぶ為の街道を建設したとされるが当時の街道は軍用のみを考えて建設された為、現在ほどの広さは無く馬車がすれ違う広さすらなかったと考えられている。
現在の帝国街道の形になったのは五賢帝の時代にまで待たねばならない。ネルウァ帝より帝国の黄金時代を引き継いだトラヤヌス帝が最初に取り組んだ課題は如何に帝国の平穏を維持するかであった。そこでトラヤヌス帝は反乱が発生しても直ぐに鎮圧すれば被害も少なく、他に反乱を考える勢力への抑止力にもなると考えた。
また、平和と繁栄による人口の増大に対して人口の捌け口、開拓地の必要性が叫ばれ各地の開拓が進んでいた事も街道建設を後押しする事になる。
様々な要因が絡み始まった街道建設はマルクス帝没後の再統一戦争まで続けられる事となった。しかし、帝国中に血管の如く張り巡らされた帝国街道はその後、再統一戦争により、そのほとんどが土に帰って行く事となる。
帝国街道の再建は再統一戦争がマクシミヌス英雄帝により帝国再統一がなり、英雄帝の子であるゴルディアヌス再建帝によりなされていく。しかし、再建帝没後、帝国は街道建設に対する興味を急速に失っていった。最大の理由は帝国財政を長年支えていたラ・ドゥス鉱山の枯渇である。
現在では威容を誇っていた帝国街道の多くが草に覆われ土に帰っていた。マギステア達はこの街道を本来あるべき姿に戻すべく調査を行う事になっている。帝国各地を回る事になるのであろう旅で何を見て、何を感じるのであろうか。
これにて第一章は終わりと成ります。
帝国を旅する事になったマギステア達三人はこれからどんな出会いや事件に遭遇するのでしょうか?
「インペリアル・サーガ」についての疑問、質問、ご指摘等ありましたら宜しくお願いします。
感想はなるべく返信するよう心がけますが、リアルの都合等により返信が遅れる事が多いかと思います。
そんな時は寛大な心で許して頂ければと思います。
それでは、引き続き「インペリアル・サーガ」をお楽しみ下さい。