第一章【悪才】-1
「インペリアル・サーガ」
直訳すれば“帝国伝”分かりやすく言えば“帝国史”
今回の講義、第一部は帝国歴334年から始まったとされるグラックスの改革を軸に当時を生きる帝国の人々を、ある少女の視点を通して見て行きたいと思います。
帝国歴334年、皇居、会議室
「……でありまして、この様に極めて高密度のマナが長期間に渡り特殊な環境下に存在し続けた場合、結晶化を開始します。この時ミスリルの欠片等、マナ伝搬効率の良い触媒を使用すると、結晶化の速度は著しく増大します」
腰近くまである濃い栗色をしている絹の様に細く艶やかな長い髪は後頭部において無造作にリボンで縛られており、くりくりとした大きめの瞳と帝国人にしては堀の浅い顔が印象的である少女が自身の身の丈の半分ほどに達する特殊な調べを奏でる装置の前で説明を行っている。
マナ、この世界に生きる全ての生命が持つ力とされ、龍言語と呼ばれる特殊な音に反応し超常の現象を引き起こす物質である。その原理を利用した道具が一般的にフェアリアル(妖精の道具)と呼ばれている。
少女が説明している装置もフェアリアルの一種であり、装置が奏でる調べが龍言語である。この龍言語をある程度理解し、活用できる者は法術士と称されており、その中でも特に帝国から正式に認められた者が国家法術士と呼ばれている。
マナについては帝国内でも多くの研究が行われているがはっきりとしたことは判明していない。一般においては、マナ濃度の濃い場所では比較的魔物や妖精、特殊な効力を有する薬草等の発見例が多いことが経験則的に理解されている程度である。
「どの程度の速度なのかね?」
少女の説明に対して質問しているのは鍛えられた体躯と鋭い眼差しを持つ背の高い男性、ここパンテルラ帝国(この大陸に他の帝国が存在しないため一般にはただ帝国と呼ばれている)の現皇帝、ティベリウス・センプロニウス・プリンケプス・パンテルラである。
「はい陛下、マナの濃度に大きく左右されますが、現在この装置で実現可能なマナ濃度、空間あたりのマナ存在量が三割であれば、おおよそ1年で直径10分の1インチ(2.5mm)程度の法石が生産可能です」
「10分の1インチ、これほどの装置を使って僅かにそれだけとは……」
少女の返答に対して落胆の声が漏れる、鍛えられた体躯と短く切りそろえた赤毛をした男性、皇帝の側近にして近衛軍団長のガルバ将軍である。
近衛軍団とは平時において帝国に存在する五つの軍団の一つであり、帝都の存在する帝国中央部を守護する存在である。他に東方軍団、西方軍団、南方軍団、北方軍団が存在し、帝国の四方に睨みを利かせている。
「待って下さい、現在の装置は無駄も多く改善の余地があります。理論上マナ存在量が五割を超えた当たりで結晶化の進行は加速しますし、直径20分の1インチ(1.25mm)程度のミスリルの触媒を用意すれば現状の装置でも1年間で直径5分の1インチ(5mm)の法石を生産可能です。そもそも法石の出力はその大きさではなく純度に比例します。この装置により生成される法石は純度七割と極めて高く、従来の最も純度の高いピレネス産の法石を大きく上回ります。つまり現状の装置でも大量に揃えれば十分採算が取れます」
「ピレネス産以上の純度だと、ドワーフ共が黙っていないぞ」
少女の答えにガルバ将軍は驚きの声を上げる。法石その物は帝国各地で産出され、また魔物を討伐した際にも体内から摘出されるが、それらは総じて不純物を多く含み帝国中央部と西部を隔てるピレネス山脈に自治領を持つドワーフ族が産出する物に数段以上劣る物であった。
不純物を多く含んだ法石はその出力に対して極めて大きく、それを利用したフェアリアルは当然の事として大型化する。そのため軍用のフェアリアルは莫大な金貨を払いピレネス産の法石を使用している。
「生産量そのものに限界がある以上棲み分けは可能だと考えます。法石需要は将来増えこそしますが減少する事はあり得ません」
「高級フェアリアルはこの法石で、庶民用はピレネス産か。あの堅物のドワーフが納得するか?」
ピレネス山脈のドワーフは総じて堅物、職人気質、酒豪として知られている。その彼らが誇りとする法石が高級品に一段劣る低級品用に使用されると知られれば反発は必須であろう。
「それは宰相府の方々にお任せする他ありません」
「確かに、そこからは我々の仕事だ」
ガルバ将軍との会話に割り込んで来たのは恰幅が良いが、不機嫌そうな顔を隠しもしない男性、皇帝の弟にしてグラックス大公位を持つガイウス宰相である。
「軍としては一刻も早く導入したいが」
「何処と戦う気ですか?帝国財政を預かる身としては到底許可出来ません、コストが高すぎます」
ガルバ将軍の要請を若い切れ目の男性、フルギウス財務官が切り捨てる。その瞳には軍人に対する僅かな侮蔑の思いが見受けられる。
「それは初期投資だろ、整備してしまえば十分元は取れるはずだ」
「その初期投資が出来ないと言うのです。軍備の削減をしていただかなければ」
売り言葉に買い言葉で将軍と財務官の論争は激しさを増していき、会議に同席していた他の面々の顔には呆れの表情が浮かぶ。
「軍縮には十分貢献しているだろうが!これ以上は通常の治安維持にすら問題が生じる!」
「西部と北部の動員を解除すれば宜しいではないですか」
「出来る分けがないだろう!」
軍としては今まで十分に軍縮に貢献しているとの思いがあり、財務官としては未だ不十分との考えがある、そのため両者の論争は平行線を辿っていく。呆れた皇帝は弟であるガイウス宰相に目配せするが、当のガイウス宰相は我関せずと相変わらず口をへの字に曲げ眉間に皺を寄せ不機嫌オーラをこれでもかと発していた。
「止めないか財務官、西部と北部の動員解除はしない、今回の初期投資は帝室から出す。これで良いか?」
「陛下、それでしたら」
「皇帝陛下、感謝いたします」
見かねた皇帝が両者の仲介に入り、帝室主導で今回の人工法石生産が進められることが決まる。
「すまんな、マギステアよ」
皇帝は疲れた顔を普段のキリッとした表情に戻すと、この会議の主役である少女に向き直る。
「いえ、問題ありません陛下」
「この度の功績に対し、多くを知る者、マルトスカイアの称号を与え帝国法術士に任命する。これからも帝国への変わらぬ忠誠を期待する」
「御意」
これまで、理論上は可能とされていた人工法石の製造法を編み出した少女。彼女はかつてこことは違う日本と呼ばれる国で生活していた。何故この世界に生を受けたのか、これから何を成すべきか、解らないことは多いがその瞳にはしっかりとした強い意志が宿っていた。
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宰相府、執務室
「堅苦しかったわぁ」
先ほどマギステアと呼ばれていた少女が間延びした声で訴える。先ほどとは打って変わって飄々とした態度である。話し相手は、相変わらずこの世の全てを憎んでいるかの如く不機嫌顔、帝国宰相様である。
「ふん、相変わらず兄上は面倒事をワシに押し付ける。昔からそうだ、何とか帝位から逃げ出せたと思ったら宰相を押し付けられる。そして今回もだ……いったい何の用だ魔女め」
「こんな可愛い子捕まえて魔女はないわ」
不機嫌そうに頬を膨らませるマギステアの表情は歳相応であり、先ほどまで皇帝陛下相手に講義をしていたとは思えない。
「御託は要らんから話を進めないか、いったい何日家に帰っていないと思っている。兄上には既に子供が居るのにワシには一向に出来ん、それは何故だ!」
「夫婦の危機ですね解ります」
帝国を危機から救わんとする男には家庭崩壊の危機が迫っていた。
「他に仕事任せられる人おらんの?」
「任せられる奴はいるが、それに従う人間がおらん」
長い平和により帝国には血縁主義が蔓延しており、生まれの地位を重視する考えがはびこっている。
「お前のところの父親を宮廷に出仕させられんか?」
「うちのオトンも大概貴族主義やで」
「あれでも遥かにマシだ」
「苦労しとるんやな……」
付き合いの長い気心の知れた友人の如く話に花が咲く。それもそのはずで彼らの付き合いは六年前に遡る。皇帝就任と宰相赴任を祝う宴席に当時五歳だったマギステアは自身の作成したフェアリアルの時計を皇帝に献上するため参加した。多分に父親であるカッシウス伯の思惑が絡んでいたとは言え、挨拶をしたガイウス宰相と幼いマギステアは意気投合、政治談議に花を咲かせ周囲から大顰蹙を食らうのだった。
当たり前である祝いの席で多くの貴族が参列している中、貴族制の大批判をしていたのだから。TPOを弁えてほしい。皇帝は終始頭を抱えていた。ちなみにマギステアの父親、カッシウス伯はメイドを口説いていたが娘が大いに目立っていた為に見つかる事は無かった。
「五ヵ年計画か」
「そうや、金融政策と公共事業を柱とした帝国再生計画や」
「公共事業は解る。しかし金融政策が解せん」
「そんな難しいことやない、簡単に言うと帝国内に流れる金貨の数を増やして貯めとくより使った方がええようにする事や」
「それは解る。だがそのための金貨をどうやって用意する気だ?ラ・ドゥス鉱山の産出量はかつてほどないぞ」
帝国設立以前からこの大陸の経済を支え続けたラ・ドゥス鉱山は度重なる開発によりその産出量を著しく低下させていた。
「一つはドワーフから輸入する」
大地の神から祝福を受けているとされるドワーフは極めて優秀な鉱山技師でもあり、ピレネス山脈からは多様な鉱石が産出され、その中にはもちろん金も含まれている。
「もう一つは改鋳や、今国内にある金貨を鋳潰して金の保有量を現状の三割から二割に減らす」
ガイウス宰相の顔が驚愕に歪む。
「幾つも問題があるが一番の問題はどうやって回収する気だ?自分の持つ金貨の価値が下がると知って提出する人間がいるものか」
「帝国公債を発行するんと、税率を変更しない事、それから必要なら旧金貨と新金貨の交換に応じる事や」
「旧金貨と新金貨の交換に応じる?」
「そや、問題なのは新金貨の価値そのものや、それを帝国が保証する」
「それでは折角回収した金貨を鋳つぶせないではないか」
「そやな、説明するとまず帝国公債を発行して市場から金貨を集める。ここまではええか?」
マギステアはそう言うと無造作に置かれた書類を一枚裏返し何事か書き込んでいく。
市場<返せよ絶対だぞ 帝国<数年後に返すよ
旧金貨100枚 ←→ 公債(110枚)
「帝国はこの時、数年後には金貨110枚にして返すと約束するんや」
市場<返ってくるのかな 帝国<しめしめ
公債(110枚) 旧金貨20枚→国庫
旧金貨80枚→改鋳:新金貨120枚
「そんで返す」
市場<返って来たがこれは!! 帝国<金貨が金貨を生む錬金術やで
新金貨110枚 ←→ 公債(110枚)
新金貨10枚(税収増)
国庫 旧金貨20枚
「……詐欺だな、これほどの詐欺は見たことない」
駄目になった書類を見ながらガイアス宰相呆れ顔で呟く。
「照れるわぁ」
「褒めてないからな。しかし、本当に旧金貨との交換を迫られたらどうするのだ、これだと国庫には20枚の旧金貨しかない。とても110枚の交換には応じられんぞ」
「なんで、交換する必要があるん?」
「は?……しかし、まさか実際には交換に応じない気か!!」
「そや、帝国がその価値を保障する以上、交換する必要はないんよ。あくまでの国庫の旧金貨は見せ札、皆さんの新金貨の価値を保障してますよっていうパフォーマンスや」
「なるほど、万一があっても全ての旧金貨を一度に交換することはあり得ないか……しかし、これなら金貨でなくとも、それこそ紙に金貨100枚とでも書けば良くないか?」
「それだと模倣される可能性が高いやろ、それに現物の価値が大きく変化すると不安も大きくなる」
「なるほどな……この絵だと回収した旧金貨の5分の1が国庫だが実際にはある程度の量が国庫に納められれば残りは全て改鋳して良さそうだな」
「そこら辺の塩梅は宰相閣下に任せますわ」
「……面倒事を押し付けよって」
「適切な役割分担や」
「なるほど、役割分担良い言葉だな」
ガイアス宰相はにやりと笑みを浮かべる。悪役にふさわしい見事な悪魔のほほえみである。
「ふぇ?」
「帝国街道再整備計画か、誰かが実際の状況を見に行かないといかんなあ」
「子供に行かせる気か、横暴や!児童労働反対!」
「帝国宰相が命じる、国家法術士マギステアは、帝国各地を巡り帝国街道の実態を調査せよ。同行者は追って伝える」
「鬼!悪魔!あんぽんたんのすかぽんたん!……インキン」
「最後の言葉は取り消せ!!」
後世においてリフレーションと呼ばれる政策である。リフレーションとは通貨の再膨張を意味しており、貨幣とモノ(物資や住宅、設備、サービス、賭博等)を交換する市場において貨幣流通量を増大させる政策の事である。
今回の場合においては理論上、帝国内の最高額貨幣である金貨の存在量を五割ほど増加させる事になる。一度に改鋳した場合は急激な貨幣量の増大に市場が耐え切れず貨幣の信用崩壊による貨幣価値の暴落(貨幣価値=実価値+貨幣需要であり、この場合、実価値=金保有量である実価値まで下落する事を言う)に陥るものの、物理的にそうなるほどの改鋳は不可能である為、そこまで考える必要はない。
そもそも何故この様な政策が必要となるのだろうか。それの答えは貨幣価値に存在する。一般に経済の物差しとなる貨幣価値は理解され難く、理解するには物差しをモノの側に変える事が必要である。つまる所、金貨一枚で買えるモノの量が増大する現象の事である。
それだけを捕えた場合、一見良い事の様に感じられる。事実、特定の状態、一定の収入が将来に渡り保障されている場合にのみ限り極めて良好な状態である。
問題はモノの価値の低下、即ち、サービスに代表される労働価値の低下にある。同一の労働であっても貨幣価値の高騰により労働価値が貨幣に対して低下する。多くの場合、税金等は貨幣価値に対して変動しない為そのままとなり、実質的な増税となる。この為、結果的に労働収入の低下と言う形で市場に現れるのである。
では、この現象は何故起きるのであろうか。一般的には変動性の高い貨幣需要の高騰によるものである。単純に誰も彼もが貨幣を沢山欲する状態を表す。モノより貨幣を市場が欲した場合、モノと貨幣の取引量に対して貨幣が不足し始め、市場における貨幣の希少性により価値が緩やかに上昇を始めていくのである。
帝国においては、大内海沿岸諸国に対する慢性的な貿易赤字による帝国内からの金貨流出及び帝国内の開発が進み豊かになった事による流通促進に伴う貨幣需要の増加が主な要因となっている。
貨幣を無限に発行し続ける事が出来れば問題とならないのであるが。現実は非情であり、古来より帝国経済を支え続けたラ・ドゥス鉱山からの金の産出量の低下が帝国経済に重くのしかかっていた。
マギステア達は事態の打開の為、貨幣流通量の増加、金本位体制への転換を進めようとしているである。
金本位体制とは、国家の保有する金の総量を基準に貨幣を発行、管理する制度である。今回の場合は旧金貨を基準通貨として国家の旧金貨保有量を基準に貨幣を発行しようとしているのである。
極論すれば国家的な詐欺により市場の貨幣流通量を管理する政策である。国家が発行する貨幣の価値を保証する、今回の場合、旧金貨=新金貨といった価値になる。本来であれば金保有量の違う二つの貨幣価値は同一ではなく、旧金貨>新金貨となるはずである。
これを=にする方法には複数あるが代表的なのは税金である。旧金貨=税=新金貨といった形にするのである。次に法による手段である、旧金貨>新金貨となる取引に罰則を与える事で旧金貨+罰則=新金貨といった形にするのである。
これらの政策により国家は本来の金保有量以上の通貨を発行する事が可能になるのであるが結局は、貨幣を作る為の金が足りない事に対する国家的な詐欺以外の何物でもないのであった。
さて、始まりました「インペリアル・サーガ」
帝国に生きる人々が織りなす歴史の物語を感じて頂けたら幸いです。