第9話 幽閉された少女
「なんだか気味が悪いわね。息苦しいというか、重苦しいというか……ジャンは何か感じない?」
クリスティーヌ・クラウスは、魔女の疑いをかけられたオデットを救うために友人でありローヴィルの町の実力者、エリック・フォンティーヌの一人息子、ジャン・フォンティーヌに助力を求めた。クリスは一度断られたものの、ジャンからの申し出で、もう一度話し合いを持つことにした。クリスは急患を診察に行くような用意をして町の人に怪しまれないようにフォンティーヌ邸にある使用人の小屋に通されていた。
「確かに何か嫌な感じがするね。でも今はともかく、オデットのことだ。慎重に事を進めないといけない」
「そうね。助かるわ。ジャン」
「僕はいつだって君の味方さ。クリス。だから無茶はしないでくれ。このままだと君まで魔女だと疑われてしまう」
「そうね。そういう可能性は十分にあり得るわね。でも、よく考えればわかることよ。魔女狩りなんてもう何年も、いえ、何十年もこのあたりでは行われていないはずよ。お父様も知らないといってたわ」
「確かにそうさ。でも、この町を襲った凶事は、悪魔か何かのせいにしないとやり切れないという町の人たちの声もわかる」
「それはそうよ。でもジャン。それとオデットが魔女だって話は全然関係がないわ。それなのにどうしてこんなことに」
「それなんだけど、これはやはり裏に何かありそうなんだ。僕だってオデットが魔女だなんてこれっぽっちもおもちゃいないさ」
「誰かオデットに恨みがあるとか、そういうこと? でもあのオデットに限って、優しくて、明るくて誰よりも世話好きなあの子が、どうして人の恨みを買うというの?」
ジャンは、座っていた椅子の背もたれに体を思いっきり預けて目ををつむり考え事を始めた。クリスはテーブルに両肘をつき、頬杖をしながら自分が感じた疑問の答えを探そうと町の人の名前と顔を思い浮かべては、何かオデットに恨みを持つような人物がいないかどうか考え込んだ。少しばかりの沈黙のあと、ジャンが目をつむったまま口を開く。
「あからさまな恨みを買うような子じゃないからね。僕が知る限り、彼女に好意を持っている人間は何人か思い浮かぶけど、恨みを持っている人間はまったく思いつかない」
その言葉にクリスが何か思いついた。
「そうね。きっとそうだわ。彼女が――あのオデットが誰かに恨まれるなんて想像できない。むしろ彼女に好意を持っていた人間の……たとえばその好意がオデットに受け入れられなかったとしたら」
「だとすれば、それはやはり同性ではなく男、とりわけオデットに好意を抱いていた人間の逆恨みか」
「ジャン。誰か思い当たる人はいて? 私はどうもそういうことには疎いというか、わからなくて……」
クリスはジャンを見つめ、ジャンは思わず噴き出した。
「そうだね。君はどういうわけだか、そういうことにはあまり関心がないというか……くっくっくっくっ」
クリスはジャンの意地悪そうな笑いを満面の笑顔で受け止め言い返した。
「ジャン。私ったらどうやらとんでもない道化を演じてしまっているようだけど、あなたの笑顔を見たら安心したせいかのどが渇いたわ。お水を一杯いただけないかしら?」
「わかったよ。ちょっと待っててね。ここには水がないから、外で水を汲んでくるから」
ジャンは席を立つと何かぶつぶつ言いながら部屋を出た。クリスは一人部屋に残されオデットをどうやったら救い出せるかを必死で考えようとした。クリスは魔女狩りがどのようにされ、どのような結末をむかるのかよく承知していた。
「疑われたら最期、どんなに否定しても信じてもらえないし、どんな卑劣な拷問を受けるか考えただけでも恐ろしいわ」
オデットのことを考えるとクリスはじっとしていられなくなり、部屋の中を歩き始めた。本宅からは少し離れており、石造りの頑丈な小屋のつくりは、もともとが倉庫かなにかだったのではないかと思われた。外の様子を見ようと窓のそばまで行ったとき、クリスはあることに気が付いた。
「鉄格子ね。もともと倉庫か何かなのかしら。ジャン、まだかしら」
窓の外には人の気配がないし、植木が邪魔であまりよく見えなかった。クリスはジャンが出て行った扉に向かって歩きながら、ふと、一つの考えにたどり着いた。
「嘘でしょう? ジャン。あなたまさか!」
クリスは扉を開けようとしたが、外からカギがかかっているのか、びくともしない。クリスは扉を叩いた。
ドンドンドンドン! ドンドンドンドン!
「ジャン! ジャン! お願い開けてちょうだい! お願い返事をして!」
クリスは確信していた。扉越しに人の気配を感じる。ジャンが扉の前にいる。
ドンドンドンドン! ドンドンドンドン!
「お願いジャン! どうしてこんなことを……そこにいるんでしょう」
ドンドンドンドン! ドンドンドンドン!
クリスは思いっきり木の扉を叩き、押し、引っ張ったがびくともしない。おそらく外から閂のようなもので完全にあかないようにしているのだ。うかつだった。まさかジャンがこんなことをするなんて。
ドーン! ドーン!
不意に外から扉を強く叩く音がした。クリスは押し黙った。そしてジャンの声が聞こえてきた。
「ごめんよ。クリス。お願いだ。許しておくれ。僕にはこうするしかないんだ。君を守りたい。君を魔女狩りの犠牲者なんかにしたくないんだ。いまオデットを救おうとすれば奴は間違いなく君も貶めようとする……だから、僕は……ごめんクリス」
「待って!ジャン。あなた今、なんて、奴っていったい誰なの? ジャン! あなた心当たりがあるのね」
クリスはようやく事態を把握した。ジャンはこの魔女狩りのことの顛末をある程度知っていたのだ。知っているからこそ、ジャンはオデットを助けることができない。そしてオデットを助けようとすれば、その人間も魔女や悪魔の使いとして処断されることをジャンは知っていたのだ。
「クリス、君がもし、今回の事件の首謀者が誰であるかを知っていたら、あるいは気づいていたら、僕にはどうすることもできなかったかもしれない。でも、君にはそれがわからない。わからないのならわからないままでいいんだよ。わからなければ、奴にも目をつけられることはない。僕はね、クリス。君を守るためなら、なんでもできる。僕は君を……」
「お願いジャン。その先は言わないで。そしてどうかわたしをここから出してちょうだい。オデットが、オデットが殺されちゃうのよ。そんなこと、そんなこと私が耐えられると思って?」
クリスは泣いていた。冷たく閉ざされた扉に持たれ、膝から崩れた。
ジャンは泣いていた。扉に背を向け、もたれかかり、そして力なく座り込んだ。
二人の間の冷たく閉ざされた扉は、二人の体も、心も隔てているようだった。そのまま二人は何も語ることなく、ただ、ただ泣き続けた。空の星は少しずつ輝きを失い、やがて失意の朝が訪れようとしていた。




