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朔夜~月のない夜に  作者: めけめけ
第4章 光と闇と
85/85

第85話 朔夜

とうとう最終話です

長い道のりでした



 老練なハンターは、人狼との決着をつけるために森の中に入った。ジャンやハインリッヒにはそう説明したが、エーベルハルトにはもうひとつ、どうしてもやっておかなければならないことがあった。それは死んだアベルから託されたある物を娘であるクリスティーヌに渡すことであった。姿を消したクリスも、おそらくは人狼と接触を試みるのではないか。エーベルハルトはそう考えていた。そしてそれは的中したのだったが、思惑とは少し違っている現実に戸惑っていた。


「ここで途絶えておる。どういうことじゃ」

 森の奥、エーベルハルトとジャンは大きな木の根元に銀の獣毛と血溜まりと真っ黒な金属の塊を眺めていた。

「クリスがここにいた。それは間違いないようじゃな」

 エーベルハルトは近くの枝に引っかかった美しい金色の長い髪の毛を見つけた。


 老練なハンターは、昨日の激しい戦闘があった場所から、足跡や獣毛、血痕などを頼りに、銀の狼、グスタフの後を追っていた。グスタフの傷は決して浅くなかった。もしかしたら途中で息絶えているかもしれない。そうでなくとも、おそらくは動ける状態ではないだろう。ならば自分の手でとどめを刺すことで、一連の事件に決着をつける――そう考えて森に入ったのだった。しかし人狼の痕跡を追っているうちに、別の痕跡を見つけた。それは老練なハンターのよく知る人物に違いなかった。


「クリス……、アベルの娘はやはり闇に魅入られたのか」

 クリスはここで人狼と会い、そしておそらく銀の弾丸を取り出したのだろう。血痕の状態から、まだそれほど遠くまでは行っていないと判断した老練なハンターは、注意深くあたりを探し回ったが、クリスの足跡が消えていた。それはまるで魔女がほうきに乗って空を飛んで行ってしまったかのように思えたが、エーベルハルトは首を振りながらつぶやいた。

「我ながら呆れるわい」


 少し離れた場所で大きな獣の跡を見つけた。その歩幅はあまりに広く、ものすごいスピードで疾走していることを物語っていた。エーベルハルトは、銀の狼の背にまたがり、森の中を疾走する金髪の少女の姿を頭に思い浮かべ、次に枢機卿のことが浮かべた。

 はたしてこの事態は枢機卿の予測した状況なのか。こうして自分が勝手な振る舞いをしていることも含めて、枢機卿の手のひらの上で踊らされているだけなのか。

「これ以上の追跡は無理かもしれんなぁ。なにより無駄かもしれん」

 エーベルハルトは上着の内ポケットから一通の手紙を取り出し、天に向かって語りかけた。

「わが友アベルよ。お前に託されたこの手紙。その身に万が一のことが起きたときに娘さんに渡すという約束だったが……、すまない。どうも果たせそうにないようじゃ」


 それはアベルがクリスに宛てて書き記したアベルの過去について書かれた手紙であった。いったんはアベル自身から手渡そうとしたものであったが、結局アベルは手紙をエーベルハルトに託したのであった。アベルの死後、すぐに渡すのはかえって酷だと思ったエーベルハルトは、帝国に向かう道すがら、これを渡そうと考えていたのだが、クリスは何か特別な力に目覚め、夕べのうちに姿をくらましてしまった。


 足跡はフランスの領土内に向かっている。エーベルハルトは馬に乗り、手紙を再び懐に仕舞い込んだ。

「しかし、ハンターとしての仕事は、全うせねばな」


 人狼の跡を追って、森のさらに奥へと消えていった。



 森の奥深く、疾走する銀の狼の姿あり。

 その背には、金髪の長い髪を風になびかせ、少女がしがみついている。


「呪われし、我が血に触れたそなたにも、この忌まわしき呪縛から逃れることはできない」

 それは声ではない。少女の頭の中に直接話しかけてきた。

「いいの。私が望んだことなのだから」

 少女も声に出さずに答えてみる。

「望みか……」

 意思疎通ができたことに、少女は安堵したが、その安堵したという心境まで、相手に伝わっているのかということについては、今は考えないことにした。

「人の子よ、今夜は朔にて、月の力がこの身に及ばない夜だ。異国の地より闇に導かれ、ここにたどり着き、そなたと出会った。我が名はグスタフ。かつて異国の地の守り神として畏れられ、奉られ、崇められ、忌まれた存在だ。時は流れ、人の世は狭まり、争いが耐えぬようになった。人は我にこう祈るようになった。どうか敵を撃つ力を与えたまえ、敵から身を守る力を与えたまえ、見方を救う英知を与えたまえと」

 少女は銀の狼を救った時に頭の中に映りこんできたヴィジョンを思い出していた。


「私は、クリスティーヌ・クラウス。みんな私のことをクリスって呼ぶわ」

「ならばクリス。わが命、そなたに預けた」

「グスタフ。あなたがそれを望むのなら、私はあなたの命を預かるわ。だからお願い。私とともに生きて頂戴」

「その望み、かなえよう。我は、そなたとともに生きよう」


 やがて二人は人気のない静かな湖のほとりにたどり着き、クリスは銀の狼の背中から降りた。

「すごいはね。こんなに早く移動できるなんて。もう、誰にも見つかる心配はないわね」

「しばらくここで休むことにしよう。時期に陽がくれる」


 クリスは喉の渇きも空腹も感じなかった。自分に起きた変化を冷静に分析していた。

「私はもう、普通の人と、一緒にはいられないのね」

「それはわからない。普通の人と違うからと言って、一緒にいられない理由にはならない」

「でも、今の世界のありようは、どこか大きく歪んでいるわ」

「歪みのない世界など存在しない」

「私には、わからない。だからこれからいろいろと見てまわるわ。世界の歪みを」

「それもいいだろう。ともかく、今は、ゆっくり休みたい」

「そうね。やっと静かな時を迎えられたのですものね」


 獣はそのまま横たえ、少女はそれに寄り添うように銀の獣毛に身をうずめた。

 やがて夜が来る。


 森の中に一組の男女の姿があった。


 男の体は大きく、太く、力強く、勇ましかった。

 女の髪は金色に光り、目は青く輝き、聡明であった。


「そなたの父上が作りし、銀の弾丸によって、我を縛る闇の力は浄化された。しかし、この呪いを解くことは叶わない」

「月のない夜だけ、本当のあなたにお会いすることができるのね」

「我が呪いはそなたの魂も汚すだろう。人はそなたを魔女と呼ぶことになる」

「それもきっと私が望んだことなのよ。私はオデットを救うことができなかった。お父様も、ジャンのお父様も巻き込んでしまった。これから先、同じ思いをするのはもう嫌なの。私、神も悪魔も人の心の弱さや、心の闇が作り出した存在だとわかったの。オデットはあなたに救われた。ジャンのお父様も。私はあなたを信じている。闇に向き合うあなたを。闇とともに生きるあなたを」


 クリスはグスタフの分厚い胸の中に抱かれていた。

「そなたの闇もまた、我が闇」

「私はずっと闇を抱えてきたわ。えい、違うわね。隠してきたのね」


「人は、そうやすやすと自分の闇と向き合うことはできない」

「それができたからと言って、上手に生きられるわけでも、幸せになれるわけでもないものね」


 空には星が満点に輝いている。

「月のない夜空って、こんなにも星がきれいに見えるのね。知らなかったわ」

「月はそこにある。見えないだけだ」


 クリスはグスタフの大きな首に腕を巻き付け、グスタフの顔を覗き込んだ。

「目だけは、小さくてかわいいのね」


 月のない夜

 闇が支配する夜

 二人は結ばれた


 数日後、帝国から来たという立派な顎鬚を蓄えたハンターが湖のそばの村に訪れた。そのハンターは、銀色の大きな狼を追って、ここまで来たという。何人かに話を聞いたところ、夕刻に狼らしき遠吠えを聞いたという話とともに、見慣れない赤い頭巾をかぶった少女を見たという話を聞いた。


「では、その娘がどこに向かったのか。わかる者はいないか? 話をした者はいないか?」

 誰も答える者はいなかったが、ハンターがその集落を出ようとしたとき、一人の赤毛の少女が声を掛けてきた。

「信じてはもらえないかもしれませんが、私、その赤い頭巾の女の子に話しかけられた……というか頭の中で声がしたというか……、ごめんなさい。こんな話、信じられないですよね」

 ハンターは馬を降りて、少女に話しかけた。

「ありがとう。お嬢ちゃん。で、その少女はどんなことを言っていたんじゃい?」


 赤毛の少女は自分の髪の毛を触りながら答えた。

「素敵な赤毛ねって、聞こえたわ。それから……」

「それから?」

 白いものが混じった立派な顎鬚をいじりながらハンターはやさしく尋ねた。

「黒き願いを聞きとか、黒き魂とか……、なんか恐ろしくなっちゃって」

「それで?」

 ハンターは赤毛の少女の姿に、別の少女の姿を重ねていた。それは救えなかった命。目の前で奪われた命であった。

「私、神様にお祈りしたわ。そしたら、その子、いつの間にか姿が見えなくなっちゃったの」

「消えてしまったのかい?」


 赤毛の少女は首を振った。

「そしたら向こうのほうに彼女らしい影が遠くに見えたわ」

 少女は集落からフランスの中心に向かう街道を指差した。

「その人影の横には大きな獣の影が……、影なんだけど銀色に輝いていたわ」


 ハンターは赤毛の少女に礼を言い、馬に乗った。

「あとひとつ、この道はどこに続いているか知っているかい。お嬢ちゃん」

「ずっといくとリヨン、その先をずっとずっといくと、パリよ。国王様のところ」

 ハンターは少女の指差す先に、伝え聞くパリの街を思い浮かべた。

「長い旅になりそうだ」


 ハンターは赤毛の少女に別れを告げ、パリを目指した。



 我は、闇の眷属なり。

 我、月の灯りとともにその姿を獣と変え、地を走り、闇を切り裂き、血を求めるなり。


 否、我の闇は、その力を失い、今となっては神の理に背くこともかなわない。

 ならば滅するのみか。


 否、我はそなたとともにあろう。

 いずれこの身が現世にとどまることができなくなったとき、我の姿は見えずとも、我、常にそこにある。

 朔夜のように。


 そなたとともに、闇を見つめよう。

 闇に落ちた魂の叫びを聞き届けよう。

 我は、闇の眷属なり。


 おわり


そして、これから再校正に入ります

その後、パリ編へ・・・

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