第74話 異国の戦士
狼たちの遠吠えにエーベルハルトは歩みを止める。
エドモンド司祭がオッペンハイムと合流した頃、エーベルハルトはクリスを追って森の中に入っていた。
「日没まで、そう時間もない。町に戻ることを考えれば1時間が限度か」
エーベルハルトはクリスが闇雲に森の中を彷徨い歩くような危険を冒すとは思えなかった。
「あの銀の人狼を探し出すつもりなのか。無茶をする」
町を襲った黒き人狼と銀の人狼。ともにこの世の摂理に逆らう存在でありながらも、そのありようには大きな違いがあるように思えた。
「それに、あの銀の人狼――、ワシはやつと一度会ったことがある」
エーベルハルトはその男の名を口にした。
「そう、あれはたしか、グスタフ。グスタフという異国の戦士じゃ」
エーベルハルトが王宮に仕えていたころ、王の命である特殊部隊を編成することになった。
巨人連隊――軍人の資質としてもっとも必要なのは身長であると考えていた王により編成された近衛部隊である。
王は国内の人材に飽き足らず、外国人でろくに言葉も通じない者でも、好んで部隊に編入した。相手がそれを拒むと、金を積み、それでも駄目な場合は半ば誘拐同然に国へ連れ帰った。
「異教徒の軍に2メートルを超える戦士がいると聞く。その者を捕えて、改宗させ、我が軍に迎えることは叶わぬか」
エーベルハルトは、王の勅命をうけ、その異国の戦士を捕えるために、東より攻めてくる異教徒との最前線に赴いたのであった。前線で異教徒の戦士の噂をすぐに聞くことができた。その男は2メートルを超える巨人でありながら、卓越した身のこなしと、その男の身長を超える鉄の槍をまるで棒切れを振り回すかのように自在に操り、銃すらも跳ね返すと言われていた。
「そのような危険な男を陛下の前に捕えて連れて行くなどとんでもないことだ。私が打ち取り、そんな噂は嘘であったと報告するのがよいだろう」
すでに銃の名手として名声の高かったエーベルハルトは、異国の野蛮な戦士に後れを取ることなどプライドが許さなかった。
エーベルハルトは自ら率いる擲弾兵をもって参戦し、硬直する戦線を一気に押し上げた。そして戦いの中でついに異国の戦士に出会ったのである。
鬼神。
その異国の戦士は圧倒的な力で、エーベルハルトの部隊に襲いかかった。その戦士は銃の弱点をよく熟知し、最初の一撃をかわすと、一気に間合いを詰めて、次々とエーベルハルトの部下をなぎ倒していった。人が人をこんなにも簡単に破壊できる物なのか。その戦士の一撃は、屈強な兵士の頭を粉々に粉砕し、或いは一突きで一度に二人を貫いた。
「あれは、人ではないと思った」
異国の戦士はついにエーベルハルトを追いつめ、その首元に槍を突きつけた。
「戦場で幾多の命のやり取りをしてきた。人の殺気や狂気に何度もであった。しかし、あの異国の戦士のそれは、まるで違っていた。『悲しみ』や『祈り』や『憐み』を蓄えながら、敵に対してではなく、天や神に対して怒りを抱いているような目だった」
エーベルハルトは白いものが混じる顎鬚をいじりながら、その指を首元にあてがった。その指先にはその時の傷跡が残っていた。
『汝、何ヲ望ム、何ヲ欲ス』
エーベルハルトには確かにそう聞こえた。しかし、それは異国の戦士の口から発せられたものではなかった。エーベルハルトの頭の中に直接語りかけてきたのである。
『汝、何ヲ望ム、何ヲ欲ス』
そこに援軍が現れ、異国の戦士は姿を消した。エーベルハルトは命拾いをした。
「グスタフ!」
他の異国の戦士がその巨漢に向かって何度か叫んでいた。どうやらそれが、その男の名のようだった。
のちに敵の捕虜からグスタフの話を聞くことができた。どうやらグスタフは傭兵で、どこの国の出身かもわからないようだった。噂ではもっと東の国からやってきたらしいが、グスタフという名の他にわかることはなかった。それ以来、グスタフを見たという話は聞かない。エーベルハルトは国王に報告をした。
「確かに腕の立つ男でした。ですが、その後の消息はつかめず、捕虜の言葉通りであれば、すでに報酬を受け取り、軍を抜けたのかもしれません。あの男を捕えるために、私は部下を何人も失いました。私もこのように負傷をする始末、陛下におかれましては、どうかそのあたりをご考慮いただければと存じます」
その後、エーベルハルトは作戦の失敗の責任を取り、職を辞した。王はこれを引きとめたが、傷の治りが悪く、職務に耐えられないとして、軍を去ったのだった。
「神の使いか……」
王に報告しなかった捕虜の言葉である。グスタフの力はまさに人のそれをはるかに超えていた。神の使いだと噂されるのもうなずけるが、捕虜はそうではないと断言した。
「グスタフは、本当に神の使いだ。或いは荒ぶる神の化身だと言われている。あれは、人ではない」
異教徒の捕虜は、改宗しない場合、そのまま死刑となる。エーベルハルトは捕虜が極刑に処せられるのに立ち会ったが、そのとき、確かに聞いたのである。狼の遠吠えを。
「これはやはり、因果であろうか。アベルよ。ワシが枢機卿に呼ばれ、お前と引き合わされたとき、運命を感じた。そしていつか、このような場面が訪れるかもしれないと、心の奥底で期待していたのかもしれない」
今やエーベルハルトは疑いようもなかった。あの銀の人狼の名はグスタフ。異国の戦士。神の使いか、或いは化身。
「エーベルハルト殿! エーベルハルト殿はおられるか!」
後方から人の気配、それも複数だ。馬を連れているようだ。
「だれじゃ! こんなところまでワシを訪ねてくる物好きは!」
馬が近づいてくる。一頭ではない。
「エーベルハルト殿! お久しゅうございます! ハインリッヒ・フォン・オッペンハイム、枢機卿の命で参りました」
その名に聞き覚えがある。懐かしい名前だった。
「エーベルハルト様! クリスは、クリスはまだ見つからないのですか?」
ジャン・フォンティーヌがオッペンハイムの後に続いて姿を現した。
「そろいもそろって、このような場所に来るなどと、まったくけしからん!」
エーベルハルトは吐き捨てた。
「ジャン・フォンティーヌより話は伺いました。あー、それとエドモンド司祭からも。ここは手分けをして探しましょう。クリスという御嬢さんのためにも、急いだ方がよろしいでしょう。私とゲルトナー、あと10名の部下がおります」
「言っておく。銀の狼には手を出すな。こちらが手を出さなければ、恐らく襲っては来ないだろう。それ以外の狼はすべて人狼だと思え。昨晩よりも、より狂暴化しているようじゃ。捜索は必ず二人以上の組で行う。やつらは群れで襲ってくる。一人では太刀打ちできん。それに、普通の弾丸では奴らは倒せんぞ」
「我々も準備はしてまいりました。致命傷は与えられませんが、動きを止めることはできます。その銀の弾丸、我々にも使えますか?」
オッペンハイムはエーベルハルトが腰につけている弾倉を見ながら言った。
「無駄玉はない。確実に仕留めろ。それができないのであれば……」
「私とゲルトナー、それにあと二名ほど、銃に長けたものがおります」
「話が早いな」
エーベルハルトは銀の弾丸をオッペンハイムに手渡した。
こうしてクリスの捜索が本格的に始まった。