第68話 背負いしもの
夜が明けた。本来夜明けとは、闇に覆われた世界に光を当てる輝かしいものであるはずであったが、今朝のローヴィルは違っていた。
闇に覆われ、隠されていたどす黒いものが、白日の下にさらされる。
おびただしい血しぶきが、家の窓や壁に飛び散っている。開け放たれた扉を向こう側には、更なる凄惨な地獄絵図が繰り広げられている。
早朝、エーベルハルトは外の様子を見に、外に出た。
「奴らの死体は何処にもないな」
フォンティーヌ邸の正門は破られ、庭には人狼やアベル、エリックの血痕が残っていた。しかし、人狼の死体はいつの間にか片付けられていた。
「どうやら人狼の亡骸は、仲間が引きずって森まで運んだようだな」
よくみると何かを引きずった跡が残っている。それは正門の外まで続き、フォンティーヌ邸から少し離れた道の途中に大きな血溜まりで消えていた。
「ここで、ばらして、持ち帰ったか、或いは食ったか……」
死臭。
ローヴィルは死によって覆われていた。しかし、かろうじてその死から逃れたものもいる。
「エーベルハルト殿、アベル殿の意識が戻りましたぞ」
エドモンド司祭が人目を気にしながら、アベルを呼びにきた。
ジャンの父、エリック・フォンティーヌの凶弾から、アベルは生還した。
「やぁ、エーベルハルト、ここは地獄かと思ったが、どうやらまだ、現世にとどまっているようじゃな」
アベルは一命を取り留めた。
「まぁ、地獄とそれほど変わらんがな」
エーベルハルトは旧友の無事を喜びながらも、皮肉を言わずにはいられなかった。
「お父様、本当によかった」
「クリス……、ありがとう。エリックは?」
クリスは小さく首を振った。
「人狼にやられて、ほぼ即死でした」
「不憫なことじゃ。あれを恨まないでやってくれるか。クリス」
ジャンの表情はこわばっていた。
「本当に申し訳ありません」
「わしのことなら大丈夫だ。早速ですまんが、ジャンン。手伝ってくれるか。銀の弾丸を作るのを」
ジャンは最初、アベルが言っている意味が解らなかった。
「お父様、その身体で」
「無理は承知だよ。クリス。しかし、今やらねば、次はない。そうだろう? エーベルハルト」
エーベルハルトは、白いものが混じった顎鬚をいじりながら答えた。
「わしからもお願いする。我々が生き残るためには、どうしてもアベルの作った銀の弾丸が必要じゃ」
「クリスはこの老いぼれの身体が少しで持つようにしておくれ。正直に言おう。もうそう長くはない。自分の身体のことは自分が一番よくわかっている」
「お父様、そんな……」
「ジャン、わしはエリックの撃った弾丸によって死ぬのではない。己の背負った運命とともに逝くのだよ」
「お父君の時間を無駄にしてはいけない。これは神に与えられた貴重な時間なのですよ。クリスティーヌ・クラウス」
エドモンド司祭は珍しく他人のことに口を出した。わずかな時間ではあるが、アベルと行動をともにしたことが、多少なりとも影響を与えたのかもしれない。
「では、始めよう。最初に言っておくが、これは門外不出の技術というわけではないし、完成された技術でもない。わしが忌み嫌うのは、銀の弾丸を神格化し、悪を滅ぼす道具として無闇やたらに使われることにある。悪を滅ぼす道具など、この世にないし、あってはならないのだよ。わかるね。ジャン、クリス」
アベルの指示で、必要な道具が集められ、作業はすぐに始められた。途中何度かアベルは意識を失ったが、気丈にも意識を回復するとすぐに作業を再開した。
午後には必要な数だけの銀の弾丸の精製に成功した。
「なるほど、あとはこれを整形すればよいのだな」
エーベルハルトはできたばかりの銀の弾丸を手に取り、眺めた。
「確かに受け取った。よくやってくれた。アベルよ」
「わしがやれるのはここまでだ。あとは頼んだぞ。少し……、休ませてもらおうか……」
ジャンは祖父が使っていた寝室をアベルに提供した。クリスはアベルの包帯を変え、血と汗をふき取った。
銀の精製のために使う火の暑さは、確実のアベルの身体を蝕んでいたが、誰もそれを止めることはできなかった。ジャンの手伝いとクリスの献身的で的確な看病がなければ、アベルは途中で息絶えていたかもしれない。
午後になると、フォンティーヌ邸には人が集まり始めた。エドモンド司祭は、アベルが作業に集中できるようにと、自ら進んで町の人々と接し、エリックの死を隠して『負傷して治療中だから面会は出来ない』と追い返した。
「こんな嘘はいつまでも通用しませんぞ」
エドモンド司祭がエーベルハルトに苦言を呈した。
「しかし、今はどうすることもできん」
エーベルハルトは、弾丸を整形しながら答えた。
「クリスティーヌ・クラウスの所在がここだと知れたら、どういうことになるのか……」
エドモンド司祭は、余計なことを言ってしまったことに気付いたが、誰もそれを責めはしなかった。
「私がここに居たらみんなを巻き込んでしまうわ。また森に身を隠すしかないわね。でも、お父様を置いてはいけないわ」
「森には人狼たちがまだうろついているに違いない。まだ、しばらくはここにいたほうが安全だよ。僕らのことなら心配ない」
ジャンは、クリスを危険な目に合わせたくはなかった。
「昼間はともかく、今度この屋敷が襲われたら持ちこたえられるかどうか。雑魚はともかく、あの銀色のやつとエリックをやった奴は、手強い」
ジャンは夕べのことを思い出していた。
「たしかテオドールって……、それに僕はあの声を聞いたんだ……、銀の人狼の声を……」
「あまり考えすぎるな。人知を超えたものよ。惑わされるな。守るべき物を失いたくなければな」
エーベルハルトはジャンの肩に手を置き、少し休むように指示した。
「お嬢さんも少し、休みなさい。このままでは体が持たない」
クリスは返事はしたものの、父のそばを離れようとはしなかった。
夕刻まで、何人かの町の人がクリスの所在を確かめきたが、ジャンとエドモンド司祭がなんとかごまかした。日が落ちるころ、アベルの容体はいよいよ悪くなっていた。
「どうしたんだいクリス。そんなに悲しい顔をして」
「だって、お父様、私、お父様が居なくなったらどうすればいいの?」
「私はいなくなりはしないよ。ずっとお前のそばにいる。ずっとお前を見守っているよ。これまでと何も変わりやしないさ。そう。月が満ちて、そして欠けていくように、たとえ夜空に見えなくなったとしても、私はずっと、お前のことを見守っているよ」
クリスは言葉が見つからず、ただただ涙をこらえるしかなかった。
「さぁ、いきなさい。お前は自分が思うように生きていきなさい。その力は十分にある。お前が生きるのにふさわしい場所を探しに行くのだよ。きっと、見つかる。きっと……、どこかに……、お前の……、母さん……、すまないことをした……、たのむ」
「いやー! お父様……、お願いよ。私を一人にしないで……」
「……」
アベル・クラウス 52歳。その生涯は数奇なものであったが、最期は一人娘の父親としてこの世を去った。
2014.10.25 改訂