第66話 瀕死
エーベルハルトは銀の人狼の後ろ姿と灰色の影を視界にとらえていた。迷わずエリックのすぐ横にいる人狼に照準を合わせ、引鉄を引く。
ズドォーン!
距離にして7メートル。急所は外しても確実に命中する距離である。撃った瞬間に手ごたえがあったが、それを確かめる余裕はない。すぐに第2射の準備にかかる。
「急所は外したか。だが、これで形勢逆転だな」
テオドールはグスタフの左足からの出血を確認すると、さらに距離を取り、遠吠えをした。それに呼応するかのように、町のあちこちから遠吠えが聴こえる。
「お父様、しっかりして!」
クリスはアベルの傷口を止血しようとアベルの着ているシャツを引きちぎったが、その傷は手の施しようがなかった。
「血を、血を止めないと」
アベルの顔はみるみる青白くなっていく。
「私にかまわず逃げなさい。クリス。ここは危険だ。早く……」
アベルの目の焦点はあっていない。おそらくクリスの姿は見えていない。
「お願い! 誰か助けて……、こんなこと。こんなことって」
クリスはすっかり自分を見失っていた。そしてジャンもまた、混乱の中にいた。傷ついた銀の人狼がジャンに近づく。
「お前たち、お前たちが父さんを……」
「人間ヨ、ソナタノ、父ノ言葉ヲ伝エン」
その声はジャンにしか聞こえない。指向性の音波のようなものであった。
「なんでこんなことが……」
ジャンは耳をふさいだが、その声を遮ることはできなかった。
すまない。
許してくれ。
それは父、エリックの声であった。ジャンの心の中は幾多もの感情が入り混じり、その渦の中に意識が沈みかけた。
哀しみ、怒り、贖罪、憎しみ、不安、葛藤、敬愛、軽蔑
「若いの! しっかりせんか!」
エーベルハルトが叱咤する。その声にジャンはまだ反応できない。そこにエドモンド司祭が駆け寄る。
「神の御名において、神の御名において……」
エドモンド司祭はジャンを助けようと人狼とジャンの間に割って入ったわけではない。エドモンド司祭は別の獣に詰め寄られ、結果的にその場に逃げてきたのである。エーベルハルトは、一度は銀の人狼に照準を合わせたが、エドモンド司祭に迫る獣の影を目で追い、エドモンド司祭にとびかかる動きに目算を合わせて引金を引いた。銀の人狼の位置よりも距離にあるが、点ではなく線で合わせることが可能な位置関係の分、そちらの方が命中する率が高いと老練なハンターは判断した。
ズドォーン!
銀の人狼は銃声に反応し後方に跳躍した。エーベルハルトはすぐに人狼に向けて銃を構え直す。
「神よ、神よ……」
エドモンド司祭がジャンの足にしがみつく。ジャンはここで我に返り、手負いの獣にとどめを刺した。
バーン!
「父さんの敵は、僕が、とらなきゃ……」
ジャンは、父、エリックを襲った灰色の獣の姿を探した。
「畜生! どこにいった! あいつは僕が仕留めてみせる」
「おい、若いの!」
ようやくエーベルハルトの声が耳に入る。
「エーベルハルト様」
エーベルハルトの世親の先には手傷を負った銀色の人狼が佇んでいる。ジャンは人狼に狙いを定める。
ウオォォォーーーン
町のあちこちから狼の遠吠えが聴こえる。
「まずいな。群れで来られたら厄介だ。アベルのこともある。いったん屋敷に身を隠すか」
エーベルハルトは照準を人狼に合わせたまま、アベルとクリスのもとに近寄った。ジャンはエドモンド司祭を引き起こし、エーベルハルトとの合流を試みる。
「屋敷の中であれば四方から攻められることもない」
「けが人の手当てを! 早くしないとお父様が」
クリスが泣き叫ぶ。
「我、黒き望みをかなえる者、悲しき想いを見つめる者、深き闇をさ迷う魂の叫びに、耳を傾ける者」
再びクリスはその声を耳にする。
「黒き……、望み」
銀の人狼はゆっくりと後ろに下がり、充分な距離を取ると闇の中に姿を消した。
「若いの! 父上の亡骸を屋敷に。エドモンド司祭はアベルを運ぶのを手伝ってくれ。ぐずぐずしているとまた奴らが襲ってくるやもしれん」
ジャンは父の身体を背負い、エドモンド司祭とエーベルハルトはアベルを抱きかかえて屋敷に入り、テーブルの上にアベルを横たえた。エリックの遺体は故人の寝室へと運ばれた。クリスは手早くアベルの応急手当てをするも、出血がひどく、意識が混濁して軽い昏睡状態を起こしていた。危険な状態である。
「なんとか出血は止まったけど……」
エーベルハルトは、幾多の戦場で兵士が銃に撃たれるのを見てきた。命中率は低いが、至近距離で命中した場合、被弾した部位は修復不可能なほほどのダメージを受ける。そこから大量の血が流れショック死してしまう場合が多い。
しかし精神的なダメージはジャンのほうがひどかった。獣に父を殺された。そしてその父が乱心して自分の大切な人の肉親を傷つけたのである。
「思うところはいろいろあるじゃろうが、それもここで生き延びてからのことじゃ。若いの。またいつ奴らが襲ってくるかもしれない」
「奴ら、絶対に許さない!」
ジャンは銃を手に取り、玄関に向かった。
「エドモンド司祭は、二人を見ていてくれ。ワシは屋敷の出入り口を見回ってくる」
エドモンド司祭は何か言いかけて、それをやめ、そして立ち去ろうとするエーベルハルトの背中を見ながら祈った。
「神のご加護を」