表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
朔夜~月のない夜に  作者: めけめけ
第4章 光と闇と
62/85

第62話 作られた友情

 アベル・クラウスの妻、マリーは神聖ローマ帝国の南西を納める諸侯のうちのひとつ、ヴィンセント家の次女として生を受けた。

 5歳年上の兄カールハインツは騎士、3つ上の姉アンネは年老いた両親と家を空けがちな兄に変わって、ヴィンセント家を切り盛りする才女であった。兄カールハインツも姉アンネもマリーをたいそう可愛がり、マリーもその期待に応え、美しく、そして信仰に厚い地域でも評判の貴女となった。


 カールハインツとエーベルハルトは年も近く、古くからの友人であった。ある日、二人は枢機卿より執務室に呼び出され、一人の男を紹介された。


「この者はアベル・クラウスという。余のもとで、医学に関する研究をしている。近年、近隣諸国でも医学に関する研究が進んでいる。私はこれからの時代、科学や医学と神の教えは、それぞれ反目しあうのではなく、ともに寄り添うべきものであると考えておる。しかし、そのようなことを快く思わぬ輩も多い。ついては二人には、この男の研究の邪魔をするようなものがあれば、時に実力をもってこれを排していただきたい」


 枢機卿は帝国の中において、強い影響力を持つ人間である。しかし、当然に敵も多い。ヴィンセント家もエーベルハルト家も名目は帝国の領土を守る役割を担っているが、その実は枢機卿の実行部隊である。これは彼らに限ったことではなく、そもそも帝国には国を守る国軍というものは存在しない。帝国は器であり、それぞれの諸侯がそれぞれの領土や権益を守るためにしのぎを削っている。結果として外敵となる近隣諸国や利害の一致した同盟国との交渉や紛争を合議で行う形で帝国の国政は成り立っている。


「イタリアやイギリスは、教会が主体となって大学で研究が進んでいるそうだ。我が帝国においては、諸侯の合意の下でそのようなことを進めることは難しい。しかし、そういうことに関心者はまだいい。注意すべきは研究の成果だけを享受できればそれが一番いいと考えている合理的で理知的な輩だ。そういう者はときに非常な手段をとる」


 枢機卿は、誰とも眼をあわさず、しかしその場にいるすべての人の心の動きを掌握しきったような所作で話を続けた。


「この者の研究は、関心のない者にとっては奇異であり、関心のある者にとっては脅威であり、魅力的でもある。そこで信頼のおけるお二人に、彼の護衛役を任せたいという話じゃが、もちろんこれには責任は伴わない。お二人には本来なすべき職務がおありになる。それらを優先しつつ、この任に当たって頂きたい」


 実直なカールハインツには、枢機卿の意図がわかりかねた。その様子を見取ってエーベルハルトが静かに答えた。

「つまり、内密にということでございますね」


 枢機卿の視線がエーベルハルトに注がれる。

「友情とは実に素晴らしいものだ。そうは思わないかね。エーベルハルト殿」


 それ以来、カールハインツとエーベルハルトは、アベルの身辺警護を分担し、どちらかが必ずアベルのそばにつくことにした。こうして、三人の奇妙な友人関係は始まった。アベルは二人を信頼し、研究の内容こそ明かさなかったが、長い時間をかけて親交を深めていった。そんな中で、アベルとカールハインツの妹、マリーは出会い、やがて二人は恋に落ちた。


「マリーは私にとっても妹のような存在だ。どうか幸せにしてやってくれ」

 エーベルハルトは心から二人の結婚を祝福し、アベルは何度か危険な目にあったもののエーベルハルトとカールハインツによって、それらはすべて未然に防がれた。やがて二人の間に子が生まれる。それがクリスティーヌ・クラウスである。


「命というのは実に神秘的だ。どれほど人がそれについて研究を重ねたところで、命の秘密など、突き止められるものなのかどうか。それこそ神の領域であるのかもしれんなぁ」

 アベルのその言葉を、エーベルハルトはなぜか聞き流すことができなかった。


 出産の祝いに駆けつけたエーベルハルトは、わが子を見つめる親友のまなざしが、喜び以外の感情で満ちていることに気がついた。


「話したくなければそれでいいのだが、お前の研究とは、かなり厄介なものなのか?」

「厄介さ。しかし、それでも私は信じているのだよ。今の医学では黒死病のような疫病に対してなんの役にも立たない。人の無力は神の無能だと私は考えている」

「そのような罰当たりなことを」

「いや、エーベルハルト、人は罰当たりな存在さ。だから毎日神に祈りをささげ許しを請うておる。しかし、祈るよりも先に、なすべきことがあるのだと、私は考ええているのだよ」

「我々騎士は、神のご加護があってこそ、戦に勝ち、生きながらえておる。こうしてかわいい赤ん坊を授かることができたのも神の御心があってこそだと、私は思うがね」

「それは心の問題だ。いかに神に祈ったところで修練していない騎士は、あっという間に敵に切り殺されるだろう。医学も同じさ。病気という敵を目の前にして、祈りを捧げる前にやるべきことがあると思わないか」

「医者も騎士と同じように修練が必要なのか。俺にはわからん」

「そりゃあ必要さ。しかし、勝つためには敵を知り、敵の攻撃をかわし、敵の弱いところを、そして急所を狙う。そのための修練だろう。医学にはそれがない。まだ敵を知るところまでいっていないのだよ。ただ、恐れるだけでは、逃げ回るだけでは負け続けるだけさ」


 アベルは、わが子を見つめながら、いろんな思いを押し殺すような声でつぶやいた。

「失うことが怖い。妻もわが子も守らなければならない。君やカールハインツが私を守ってくれたように、私は二人を守らなければならない」

「何も心配は要らないさ。カールハインツや俺がいる限り、お前の家族は誰にも傷つけさせたりしないさ」

「ありがとう、エーベルハルト。君が君の責任を果たしてきたように、私も私の責任を果たさなければならない。私は私の研究の成果を持って、二人の命を、そして多くの人の命を守らなければならないのだね」


 このとき、もしもアベルの研究のことを少しでも知っていれば、エーベルハルトは違った感情を持ったのかもしれない。しかし、アベルは決して研究のことを口に出さなかったし、カールハインツもエーベルハルトもそれを知ろうとはしなかった。その意味で枢機卿の人選は最良であったといえる。


 もしもアベルが医学の研究者であると同時に錬金術師、それも生命の神秘を解き明かそうとする禁断の研究をしていることをエーベルハルトが知っていたら、どうであったのか。それは誰にもわからないことであろう。枢機卿のほかには……。



2015/04/02

カール→カールハインツに変更

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ