第61話 母の面影
「ちぃっ! ハンターの野郎。いい気になりやがって」
テオドールは、計四発の銃声の内、二発が仲間の命を奪ったことを直感した。
「銀の弾丸を使っているようだな。少々厄介だ。どうする。数で襲えば必ず勝てるが、犠牲も出るな」
テオドール自身、銀の弾丸をその身に受けることを嫌っていたが、集団の戦力が落ちることもまた、面白くはなかった。
「そうだ。グスタフ。奴とハンターを戦わせよう。共倒れになればよし、どちらか片方が死なぬまでも、痛手を追えば、こちらもやりやすくなるじゃないかぁ。クックックックッ」
テオドールは闇に潜み、機会をうかがうことにした。
「うぬ。テオドールの気配が消えたか。何を企む。卑劣漢めっ!」
グスタフは、周りを警戒しながら、悠然と銃声がした方角へ向かっていった。暗がりの中に人影が見える。男と女。エーベルハルトとクリスティーヌ・クラウスの名を、グスタフは知らない。
「あの女か。いや、それよりも強い闇を感じる。あの二人の向かう先に、今まさに闇に落ちんとする魂がある」
グスタフは夜空を見上げる。雲と雲の合間から頼りなさげな細い月が見える。
「朔まではまだ数日ある」
グスタフは体をこわばらせ、月に向かって咆哮した。
「我、闇の眷属なり!」
グスタフの姿はみるみるうちに人狼の姿へと変わっていく。
「我、闇の眷属なり。 月の灯りとともにその姿を獣と変え、黒き願いを聞き、闇に落ちる魂を狩る者なり」
銀色の獣毛が月明かりに青白く輝き、その咆哮は天を突きぬけ、大地を揺るがす。
「闇よ、闇に落ちた魂よ。そなたの願いを我に告げよ!」
銀の人狼の周りを黒き獣たちが取り囲む。その数は6匹。3体は地面に低く身をかがめ、3体は二本足で立ち、重心を前にかがめながら、様子をうかがっている。銀の人狼の半径3メートル以内には決して入ろうとはせず、離れもしない。
「あさましき獣どもよ。我の行く手を遮る者あれば、八つ裂きにしてくれるわ」
銀の人狼の吐く息は、おぞましい瘴気にまみれ、その殺気は気弱なものであれば気を失うほどに鋭い。銀の人狼はゆっくりとフォンティーヌ邸の正門へと向かう。
フォンティーヌ邸では、敷地内にはいったエーベルハルトとクリスが、ジャン、アベルとの再会を喜び、エドモンド司祭は屋敷に内に入れない不満を誰にもいうことができず、もんもんとしていた。
「迷惑ではなくて?」
「クリス、君はそんなこときにすることはないよ。父も話せばきっとわかってくれる。ともかくあの小屋で待っていてくれ、屋敷の中には時期に入れてもらうから」
「エリックとは、わしが話そう」
アベルはジャンの肩に右手を置き、クリスに優しく微笑んだ。
「エドモンド司祭も協力してくれるとおしゃってくれた。心配いらんよ」
エドモンド司祭は反論を口にしようとし、先ほど小屋の中で語り合ったことを思い出し、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、首を立てに振るしかなかった。
「それはとても心強いですわ、司祭様。どうかお願いします。少しの間だけでもいいのです。ご迷惑はおかけしませんから」
「司祭はこう見えても枢機卿の信頼あついお人だ。必ずや力になってくれるでしょう」
エーベルハルトは二つの事実を述べたに過ぎないが、そのどちらもエドモンド司祭には不本意でならなかった。
「そうですとも、こう見えて、こう見えましても私は、枢機卿より直々にこの地にて使命を果たすよう、申し付かっております。どうか、ご安心を」
人を頼りにすることはあっても頼りにされるなど、できるだけ避けたいエドモンド司祭であったが、ここ数日は何一つ思い通りになっていない。おそらく、ここにいる誰よりも不本意な境遇に置かれていると彼自身は思っていたに、ちがいない。しかし、今ある現実は、決して誰一人望んでいることではないということがわからないエドモンド司祭でもなかった。
「では、父のところにご案内します。エーベルハルト様とクリスは、ここで待っていてください。もし身に危険が及ぶようなことがあれば、屋敷に逃げ込んでください。玄関に家の者を控えさせておきます」
「ジャン、あとはお願いね」
「心配要らないよ、クリス」
「それと、外から鍵をかけてはだめよ」
「あ、あの時は・・・・・・」
かつてクリスはジャンによってこの小屋に閉じ込められたことがある。それはオデットを助け出そうと、無茶をしかねないクリスを守るための苦肉の策であったが、クリスはジャンを欺き、見事にここから脱出したことがある。だが、実際ジャンの不安は的中し、オデットに次いでクリスも魔女として疑われることとなってしまったのだが。
「もう、あんなことはしないけど、君も無茶はいけないよ」
「わかっているわ。ありがとう。ジャン」
ジャンは、アベルとエドモンド司祭を連れて屋敷の中へと入っていった。
「あとはあの三人に任せよう。アベルの自由が確保できたら、次は反撃に出る準備をしなければならない。そしてお嬢さんは人目につかないようここに身を隠してもらう」
エーベルハルトは手持ちの銃の手入れを始めた。テーブルに皮で包んだ工具を手早く並べ、銃の各パーツを入念にチェックする。その手際のよさは精密な機械のようでもあり、どこか魔術めいたようでもあった。
「少しお話を聞かせていただいてもよろしいですか。エーベルハルト様」
クリスは銃の手入れをするエーベルハルトの邪魔にならないように静かに話しかけた。
「かまわんよ。こういうときに遠慮はいらん」
「お父様のこと、それとあの家の前で見かけた、大男のことをお聞きしたいのですけれど」
エーベルハルトは手を止めず、表情も変えず、視線を一瞬クリスに移しただけではあったが、質問を拒む気はないことをクリスは読み取った。
「お父様は、過去にどのような罪を背負ってしまったのか、何かご存知ではありませんか」
「知っていることを話そう。そしてわかっていることを話そう。それでよいか」
「はい。それ以上のことは望みません」
「古い話だ。ワシもアベルもまだ若かった。ヴィンセント家とエーベルハルト家は古くから親交があり、その一人娘、つまりお嬢さんの母上、マリー・ルイーズから、アベルを紹介されたのは、30年近くも前の話だ」
「お母様をご存知でいらしたのですね」
クリスは母親を知らない。生まれてすぐに病気で亡くなったのだと、父や親戚から聞かされただけで、どんな人物であったのか、クリスにすすんでその話をするものはいなかった。クリスは聡明な少女である。大人が聞かれたくないことを肌で感じ、これまで誰にも聞いてこなかった。そのような聡明さは父親譲りなのか母親譲りなのか、おそらくその両方であろうとクリス自信考えていた。そしてクリス以上に父親と母親を知るエーベルハルトもまた、少女の中にマーリー・ルイーズ・クラウスの面影を見ていた。