第56話 父と子と
ローヴィルの町は東西に長くのび、その中心に位置するところに教会がある。教会から東へ徒歩で15分ほどの距離のところに大きな屋敷がある。町の有力者エリック・フォーンティーヌが住むフォンティーヌ邸の敷地内には、邸宅のほかに使用人が使う小屋と納谷がある。
今、小屋にはエドモンド司祭とアベル・クラウスが身を隠し、あとから合流するクリスとエーベルハルトを待っている。ジャン・フォンティーヌは邸宅正面玄関に立ち、強い決意を胸に秘め、父と再会を果たそうとしている。ジャンは年老いた使用人マレー夫人に迎えられ、父のいる書斎へと案内された。
「おぼっちゃま。よく御無事で。こんな時間に外を出歩くなんて、なんて危ないことを」
マレー夫人は、小さく声を震わせながらジャンに訴えた。
「心配をかけたね。でも、僕は大丈夫。それよりもお願いがあるんだ。簡単なものでいいから食事を用意してほしいんだ。4~5人分……、いや、3人分でいいか」
「それはよろしゅうございますが、くれぐれも旦那様とは」
「わかっている。大丈夫だ。問題ないよ。うまくやるから。それともしかしたら僕の仲間がここを訪ねてくるかもしれないから、その時は中に通してほしいんだ」
マレー夫人はジャンが生まれるよりもずっと前からこの家に仕えている。
「でも外には……」
「これは内緒だよ。実はすでに二人……、大事な方を小屋の中まで案内してある。父にはこれから話す。でも、今外ではとても恐ろしいことが起きている。話が付く前に、彼らが助けを求めてきたら、その時は――」
「わかりました。では、外に気を配っておきますわ」
「ありがとう」
マレー夫人は、エリックの書斎のドアをノックした。
トン、トン
「旦那様、お坊ちゃまがお戻りになりました」
マレー夫人は静かにドアを開けた。エリックは椅子から立ち上がり、ジャンを見つめた。マレー夫人はエリックに一礼し、その場を去った。
「よく無事に戻ってくれた。心配しておったぞ」
「エーベルハルト様が我々を守ってくれました」
「我々……、誰か一緒にここへ?」
「はい。エドモンド司祭をお連れしました。それと……」
「そうか。エーベルハルト殿とエドモンド司祭には礼を言わねばならん」
「いえ、エーベルハルト様は、まだ着いておりませんが、こちらに向かっております。門を開けてご案内してもよろしいでしょうか」
「もちろんだとも。しかし、外の様子はどうだ? かなり危険なのだろう?」
「ええ。人狼が人々を襲い、かなりの被害が出ています」
「困ったものだ。なぜこの町がこのような災いを……」
「父さん、それとまだほかに」
「うん?」
ジャンはどう説明していいのか、一瞬言葉を失いかけた。しかし、確固たる決意が父の咎めも辞さない覚悟をジャンに与えていた。
「アベル先生とクリスをここにお連れしたいのです。父さん」
「な、なに……アベルは幽閉されているはず、それにクリスは……」
「そうです。父さん。僕が教会に行ってアベル先生を助け出しました。そしてクリスを……」
「バカな。そんなことが許されるわけがないだろう。もし、二人が町の人に見つかってしまったら……」
「父さん、聞いてくれ。これは間違っている。アベル先生もクリスもこんなひどい目に合わされる理由なんかどこにもないんだ。それは父さんだってわかっているはずじゃないか」
ジャンは父を責める気はなかった。しかし、結果的にその物言いは父の考えや行動を否定することになる。ジャンはこれまで父親に対して反抗的な態度をとったことがなかった。慎重に言葉を選んだつもりでも、はたしてそれが父親にどう受け取られるのか、まるで想像できなかった。ジャンはこれまで、そういうことをしてこなかったことに後悔していた。
「ジャン、なんてことを……、私が誰に疑われようとかまわない。しかし、これではお前までも町の人の批難の対象になってしまう。お前は何もわかっていない。正しいことだけで生きられるほど、この世界は甘くはないのだよ」
「オデットが犠牲になったことで町の人々の不安が取り除かれたらそれはそれでよかったのかもしれない。でもそうはならなかった。次にクリスが犠牲になり、それでもダメならまた次の魔女を探す。そんなことをしたらこの町は……」
ジャンは想定していた問答をしてしまっている自分を激しく攻めた。この不毛な会話を続けてはいけない。
「父さん、アベル先生とは決して短くない付き合いじゃないか。見殺しになんかできない。それに今問題なのは町の人ではなく人狼のほうだ。こうしている間にも彼らが危険にさらされているかもしれない。どうか、敷地内に案内することを許してほしい。屋敷の中に入れてくれとは言わない。せめてあの小屋の中で一晩過ごすのだけは許してほしい」
「それはダメだ。あの場所はかえって外から目立つ」
「じゃぁどうすれば……」
「地下を使いなさい」
「父さん」
「アベル親子は地下室に、エーベルハルト殿とエドモンド司祭は客室にご案内しなさい」
「ありがとう。父さん」
「明日のことは明日になってみなければわからん。大事なことは明日を迎えられるよう、今をいきることだ。ジャン。お前を失うことは何よりもつらい。もし町の人々がお前の命と引き換えにアベル親子を差し出せと言われれば、私はきっとその求めに応じるだろう。そんなことにならないことを今は祈るしかない」
父の苦悶にゆがんだ顔を見るのはつらかったが、今はエーベルハルトとクリスを迎え入れる準備が先決だった。
「もうそろそろエーベルハルト様が着くころです。迎えに行って来ます」
「待て、それは私がやろう。万が一誰かに見られたとしても、それがお前であってはならないのだ」
「父さんそんな……」
「これが最低の条件だ。ジャン」
これ以上父親を困らせることはできない。自分はなんて親不孝なのかとジャンは思った。
「わかりました。ではエドモンド司祭とアベル先生が使用人小屋にいます。彼らを先に屋敷に案内してください」
「ああ。わかった。お前はマレーに言って客室の準備をさせなさい」
「父さん……」
「何も心配はいらん。私に任せなさい」
エリックは、ジャンの肩に手を置いた。その手から伝わる感触は力強さや安心感とはまったく異質なものだった。父の後ろ姿は頼りなく、足は地についていないように思えた。
「父さん……、ごめんなさい。でも、僕はどうしてもクリスを守りたいんです。たとえ、どんなことをしてでも、そしてどんなことになろうとも……、もう、後戻りはできない」