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朔夜~月のない夜に  作者: めけめけ
第3章 流転
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第54話 グスタフと人狼

「我、黒き望みをかなえる者、悲しき想いを見つめる者、深き闇をさ迷う魂の叫びに、耳を傾ける者なり」

 ローヴィルの町に人の影はない。人々は息をひそめ恐怖に怯えている。


「闇に怯える者よ。光あるところに闇あり。闇あるところに光あり」

 いや、影はある。しかしそれは人でもなく、また獣でもない。人狼の群れである。


「闇に潜む者よ。闇にとらわれ、闇に落ち、自らが闇となるか」

 強い眼光で闇を睨みつけるその男の体躯は、あまりにも大きく、そして力強い。その男の足は、石像のようにずっしりと地面を踏みつけ、その腕はよくしなる大木の枝のようである。胴体は前から見ても横から見てもそのシルエットが変わらないくらいがっしりとして力強く、肩の上に乗っている頭は、普通の人間の胴回りほどあるような首の上にあり、それはまるで山の頂上に積み上げられた岩の塊のようである。


 グスタフ


 その男の名を知る者は少ない。


 いや、当の本人ですら、その名を忘れることがある。


「フンヌッ!」

 腹の底から気合を込めた呼吸は、およそ人間や獣が発することのできる排気量をはるかに凌駕し、そこから放たれる気迫は、武門の心得がある者であれば、身構えて動くことができず、そうでない物であれば、腰を抜かすほどのものである。


 ドゥン!


 グスタフは左の拳を強く握りしめ、上体を動かさず直立したか前のまま、思い切り左後ろに向かって振り回した。その拳の裏に肉の塊がぶつかり、吹き飛ばされる。


 グワァ!


 グスタフの拳にはその肉の塊の芯にある固い物――骨を砕いた感触が残っていた。


 グスタフの背後で苦しみのた打ち回る獣。禍々しくも卑しい忌むべき存在――黒き人狼は、人の声とも、獣の声ともつかぬ、不快なうめき声を上げていた。


 グゥグゥグァガァゲェ……


 グスタフはやや腰を低く構え、あごを引き、右手を前に突き出した。そのこぶしは握るでもなく、開くでもなく、力を抜いた状態になっている。左腕は腰の辺りで握りこぶしを作り、次の一撃に備えている。正面にひとつ、右にひとつ、地面すれすれに低く構えた影がある。


「我の前に道あり。その道を妨げるものはこれを砕き、その道を塞ぐ物あれば、それを滅さん」

 それは圧倒的な力の差であった。誰の目にも人狼に勝ち目はなく、グスタフに負ける要素はなかった。しかし、勝ち負けの問題ではない。人狼の闘争心が恐怖を凌駕したのか、逆に恐怖心が人狼の冷静な判断を鈍らせたのか。通常、肉食獣は、捕食不可能な相手には立ち向かうことはない。人であるが故、人であったときの、それも負の感情が芯にこびりついて残っているがゆえに、彼らは引くことができなくなっていた。


 一瞬のにらみ合いの跡、グスタフの背後に人の気配がする。獣としての牙を失った人狼は、人の姿となり、その手に刃物を持ってグスタフに襲い掛かってきた。


「オロヒテアル!」

『殺してやる』と叫んだ口は、流れる鮮血とアゴを砕かれたことで、まともに言葉を発することができなくなっていた。


 あと50センチ


 グスタフの岩の塊のような背中にナイフと突き立てられるといところまで近づいたとき、グスタフの正面と右側で構えていた人狼もグスタフめがけて飛び掛った。


「ハッ!」

 次の瞬間グスタフの背後に迫っていた人の姿をしたそれは、グスタフの右側に吹き飛ばされていた。地面に横たわるそれは糸の切れたマリオネットのように人としてありえない方角に首や腕、足の関節を曲げて横たわっていた。


 左足による後ろ回し蹴り


「フンッ!」

 右から襲い掛かった人狼の頭はグスタフの位置からきれいな放物線を描いて、元いた位置より少し正面に向かって弾き飛ばされた。


 着地した左足を軸にしての右上段前蹴り


「エイッ!」

 正面から飛び掛った人狼はグスタフの前に地面に一度たたきつけられ、跳ね上がったかと思うと、次の瞬間には地面すれすれを数メートル吹き飛ばされていた。


 蹴り上げた右足による踵落としから左上段前蹴り


 その身のこなしは、力強く、大きく、そして機能的な美しさを有していている。


「このあたりの体術ではないな。しかし、見覚えがある」

 グスタフはゆっくりと振り返る。そこには銃を構えた老練なハンターと美しい金色の髪をした少女の姿があった。


「あなたは、あの時の……」

 クリスは二度、この大男に会っている。一度は町の中で、一度は森の中で。いや、もう一度会っている気がする。


「グスタフか」

 月の灯りに岩山のような巨躯が、青白く光っている。


「わが名を知る者が、ここにいるとはな……」

「お前は……」

 エーベルハルトが問いかけようとしたとき、グスタフの右上段蹴りを食らった人狼が地面から起き上がり、遠吠えを上げた。


  ウォオオオオオオオオ……


「去れ!」


 問答無用


 グスタフの言葉には、他者を圧倒する気迫と説得力があった。エーベルハルトはそれに屈したわけではないが、今優先すべきことが何であるかを老練なハンターは心得ていた。


「仲間を呼んだかよ。お嬢さん、先を急ごう」

「でも……」

「奴のことなら心配いらん。もうすぐここには人狼が集まるだろう。やつがなぜここにいるのか。何をしているのか、気にならないでもないが、ここにいては間違いなく危険じゃ」

「はい」


 エーベルハルトとクリスはフォンティーヌ邸に向かって走り出した。


 クリスは二度後ろを振り返ったが、二度目にはグスタフの姿はなかった。


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