第45話 ジャンの選択
時間的な感覚というのは、どこまでも曖昧である。恐ろしく長く感じた闇の時間。魔女狩りに熱狂し、何の収穫も得られないまま夕方をむかえる。その次に来る『恐怖の夜』に対し、なんら対策を打ててないまま、慌てて家の出入り口や窓の補修を始める。あっという間に日はかげり、ローヴィルの人々は昨日以上の不安を抱え、家の中に閉じこもった。
エーベルハルトは装備を整え、次の襲撃に備えるも、どのくらい犠牲を抑えられるのかまったく自信がなかった。被害を最小限に抑えるために町を見回り、戸締りや隠れ場所を指示してまわったが、一人では限界がある。何より人々の反応が驚くほどに鈍くなっている。
「どうもいかんなぁ」
苦々しく思いながらもどうすることもできなかった。エーベルハルトはよそ者であり、町のことはほとんどわからない。協力を要請してみたものの、人での確保はできなかった。誰もが自分のことでいっぱいだった。
「エーベルハルト様!」
闊達とした若者の声は、普段であればともかく、その場には妙に似つかわしくない。本来目立つ行動ではないが、すっかりと浮き上がってしまっていた。
「若造……」
エーベルハルトは周囲の様子を注意深くみたが、誰一人その若者に注意を払うものはいなかった。それを確認してなお、エーベルハルトは慎重に振舞った。
「ジャン。ジャン・フォンティーヌ君だったかな」
駆け寄ってくるジャンを威圧するような毅然とした態度でエーベルハルトは若者を見やった。ジャンは一瞬戸惑ったが、エーベルハルトの様子から状況を読み取った。
「町のはずれの人たちを見舞ってきました。下手に町に集まるよりも、助けがくるまでじっとしているようにと指示をしてきました。人数は少数です。いまからでも間に合います」
ジャンは周囲を意識しながら、言葉を選びながらエーベルハルトの目を見ながらそう話した。
「そうか。私はまだこの町に来て日が浅く、不案内だ。君がよかったら案内をしてくれたまえ」
エーベルハルトは、ジャンの肩に手を置き、ジャンとは目をあわさずに周りを見ながら話した。エーベルハルトは、ジャンの肩を強く握り、ジャンをねぎらった。
「水や食料を準備しないといけません」
「わかった。すぐに支度をしてくれ。夜が来る。急ごう」
ジャンはその場所から4件ほど先のヴィンセントの家を訪ねた。古くからフォンティーヌ家と交流のある家である。革製品の店を営んでおり、ヴィンセント家の長男、トニーとは幼少の頃から遊んでいた。その間、エーベルハルトは、ジャンと合流できたこと、人々の関心が人狼の群れによる再度の襲撃に集まっていることを踏まえて、これからどうするべきかを考えていた。
「やはり、アベルの協力が必要か。たとえ今夜持ちこたえたとしても、銀の弾丸は底をつくだろうし、最悪……」
ジャンの行動はすばやかった。毛布に皮製の水筒。それに麻製の袋にパンをつめてエーベルハルトのもとに戻ってきた。
「準備はできました。すぐに行きましょう」
「ふむ。ここから時間的な距離にしてどのくらいのところだ?」
「急げば30分から40分くらいだと思います」
「完全に日が暮れるまでは少し余裕があるか……」
「余裕って、そんな!」
「まぁ、落ち着け」
たしなめるエーベルハルトにジャンが詰め寄る。
「安全を確保できているわけじゃないのです。最初小屋に隠れていたのですが、狼憑きが襲ってきて……」
「狼憑きだと……、まったく面倒なときに面倒なものが現れる」
「運よくそこを逃げ出してこられましたけど……」
「アベルを助けたい。今夜仮に襲撃をしのげたとしても、銀の弾丸がなくなってしまってはどうにもならん」
ジャンはエーベルハルトに近づき、小声で話した。
「クリスのお父さんは今どこに?」
「協会の前に物置になっている建物の中だ。確か魔女狩りで亡くなった……」
「オデットがとらわれていた建物ですね」
「そうだ。二人でなら、アベルを助けだせる」
「でも、それなら明日の明け方のほうが確実では?」
エーベルハルトは少しの間目をつぶり、そしてゆっくりと話し始めた。
「確かに確実性はあがる。しかし時間的な優先順位を考えるとそうもいかん。アベルを助け出し、安全な場所にかくまい、なおかつ明日の夜には銀の弾丸ができるようにしなければならない。今夜の襲撃の後、また町の人たちは魔女狩りを始めるだろう。そのときアベルが囚われている状態では間違いなく殺されるだろう」
ジャンは何か反論を言おうと試みたが、論理的な検証よりもエーベルハルトの何かを覚悟しているような気迫に押され、承諾せざるをえなかった。なによりクリスを助けられても、父親を助けられなければ、結局のところクリスを救うことはできないと考えた。
「わかりました。どうやらそれしか他に方法はないようだ」
「アベルを助けても娘を助けられなければ結局同じことだ。必ず両方助ける。そのための最良の手段だとわかってほしい」
ジャンは一瞬戸惑った。エーベルハルトもぎりぎりの選択を強いられ、苦々しく思っているのだということがわかり、事態の悪化が急激に進んでいること、そして明日になればさらに厳しい状況になることを想像し、不安を隠せなかった。
「安心しろ! 敵の数が多くても確実にしとめていけば、やがて活路は開ける。闇雲に不安になったり恐れたりすることは、自ら死に近寄るようなものだ。町の人々もやがてそれを理解するだろう。魔女狩りなどより先に、やるべきことがあると気づけば、一挙に逆転できるのだ。そのためにもあの親子の命は守らねばならぬ。いいな」
エーベルハルトの力強い言葉をもってしても、ジャンの不安を一掃することはできない。しかしジャンは決断をした。いまはこの選択を信じるほかになかった。