第41話 闇に包まれて
グスタフは小屋から別の気配――狼憑き以外の人の気配を感じながらもそれを無視した。ぐったりとして、地面に横たえている狼憑きの二体のほかに、まだ4人の狼憑きがグスタフを取り囲んでいる。その狼憑きも小屋から獲物が出て行く気配を感じながらも無視せざるを得なかった。グスタフが能動的にジャンとクリスを見逃したのに対して、狼憑きたちはせっかくの獲物を取り逃がしたという無念と、仲間をやられたことへの怨念、そして圧倒的な力を前にし、自らの生命の危機に怯える恐怖から受動的に状況を受け入れるしかなかった。
一対一では、なわない。二対一でも結果は変わらない。残った4人でグスタフと対峙するか、逃げた二人を追うか、それともすべてを諦めるか。グスタフは相手の行動心理を読みきり、ジャンとクリスが逃げた方向へとゆっくりと歩き出す。しかしそこには一部の隙もない。どの方向から襲い掛かってきても、グスタフの間合いに入ったものは一撃で粉砕されるだろう。4人で逃げた二人を追えば四対二で、狼憑き立ちの勝算は高い。しかしここにグスタフが加われば四対三。しかも圧倒的な攻撃力を持つグスタフは4人で戦っても勝てるかどうかわからない相手である。
グルルルルル
狼憑きたちは恨めしそうにグスタフをにらみつける。グスタフの進行方向を妨げないように包囲を解きながら、グスタフに殴り倒された仲間のそばによる。グスタフの殺気がこちらに向いていないことをもう一度確認し、狼憑きたちは倒れた仲間の身包みをはがし始めた。
「地に落ちた魂よ。生き残ったものこそ哀れなり」
『哀れ』と口にしながら、グスタフには他人を哀れむ感情を持ち合わせていなかった。人は人の考えを本当の意味では理解できない。だから人は他人の思いを感じようとする。グスタフにはその必要はなかった。グスタフにはわかるのである。人の心の叫びが聞こえ、人の心の闇が見えるのである。グスタフはそれを表現したに過ぎない。
グスタフはクリスとジャンが向かった方向へ足を運び、やがて立ち止まる。
空を見上げ、耳を澄ます。
ルーヴィルの町のはずれ。森と町の境界線。見上げた空には、どんよりとした分厚い雲が町を覆っている。鳥の囁き、風のせせらぎ、人々の生活の音。あるべきものがそこにはない。町はすっかり押し黙り、次におこる悲劇や不幸が、目の前を通り過ぎてくれるのを待つ。空気の重さは小さな生き物を押しつぶしてしまうかのようである。
グスタフは意識を集中させ、ローヴィルの人々の心の闇に耳を傾ける。
恐怖、絶望、不安。
さまざまな暗き感情が渦巻いている。ほとんどの場合、それらの負の感情は、人々が目で見て、耳で聞いて、肌で感じた外的な刺激によって、呼び起こされるものであり、実態を伴う本当の意味での闇ではない。ローヴィルの空に立ち込める黒い雲のようなもので、いったん凝固し、雨となって地面に落ちてしまえば消えてなくなってしまう。いや、消えはしないが、小さくなり、人々は勇気と希望と安寧を取り戻す。
しかし、この世の中には絶対の闇、絶対の負の感情が存在する。
裏切りへの復讐は怒りとなり、愛を奪われた悲しさは憎しみとなり、夢破られた喪失感は、恨みつらみ、妬み嫉みとなる。
「まだ、機は熟していない。しかし確かにここにある」
グスタフは大きく息を吸い、静かに、そしてゆっくりと吐き出し、歩き出した。
闇に包まれた町、ローヴィルは恐ろしいほどの沈黙を守り続けている。闇に集まる魍魎の群れが、再び夜が来るのを待ちわびている。人々はその恐怖から逃れるために、自らの正義、人としての尊厳、生への賛美を闇に隠し、いけにえを捧げることで、身の保身を、或いは愛する人の怖れを拭い去ることができるのであれば、それこそが正しき義であると信じるほかになかった。
人々の心は、闇に支配されていった。
第2章 闇に包まれて 終わり
第3章につづく