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朔夜~月のない夜に  作者: めけめけ
第1章 運命の二人
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第4話 父と娘と

いったんはジャンに断られたものの、もう一度話し合うことになったクリス。そんな娘を気遣う父アベル。

 クリスとジャン――二人が町外れの人気のない場所で密会し、別れてから30分もしないうちに、突然ジャンがクリスの家を訪ねてきた。

「クリス、もう一度話をしよう」

 クリスは少し意外に思った。ジャンがどんなつもりでここまで来たのかを少し考えてみたが、今は万に一つの可能性でもすがりたい気持ちだった。

「だめよ。こんなところで話なんかできないわ。人目につくわよ」

「僕の家に来ればいい。大丈夫。人払いが出来る場所がある。そこなら誰かに見られたり聞かれたりする心配はないよ」


 クリスの家は、町に二つしかない病院の一つである。東西に長く伸びた町の東のはずれにあるのがクリスの父親アベル・クラウスが営む小さな病院で、西にはベルモンド病院という大きな病院がある。アベルは一風変わった男で、町の人すべてに評判がよいわけではない。それでも医者としての技術はなかなかのもので、ベルモンドとは使う異国の薬を処方したり、治療法も一風変わっていたりした。クリスは一人娘でほかに兄弟はいない。母親を早くに病でなくし、アベルは男手一人で子供を育てることもできず、幼いクリスは遠縁の親戚の家に預けられた。クリスが故郷に戻ったのは2年ほど前、クリスが15歳になってからである。


 ジャンは町の有力者、エリック・フォンティーヌの息子であり、クリスの5歳が上だが、どことなく二人の関係はクリスのペースになっている。金色の美しい髪の少女は見た目の可憐さよりもはるかに闊達で、いささか男勝りのところもある。早くから親元を離れて暮らしたクリスの経験は、彼女を強く育てたということになる。しかもクリスが預けられた親戚の家というのはフランスの南部マルセイユという港町で交易が盛んな場所である。ジャン自身も数年ほどマルセイユで暮らしたこともあり、田舎町で数少ない外の町を知っているもの同士馬が合っていた。それもどちらかといえばジャンからの一方的なクリスへの好意であったから、余計にジャンはクリスに頭が上がらないことが多かった。


「君は今から20分ほどしたら診察用の支度をして……そう、急患でもでたような支度をして僕の家を訪ねてきておくれ。それで誰かに見られても怪しまれずに済む。いいね」

「ありがとう。ジャン。でも無理をしなくてもいいのよ。私は……」

「心配は要らないよ。僕は君のことが心配なんだ。力になりたい」

 ジャンはクリスの右手を静かに両手でやさしく包み込むようにして握り、クリスの顔の近くまで持ち上げた。クリスはジャンの手の甲に口づけをした。

「わかったわ。20分後ね。ありがとう。ジャン」


 ジャンは静かに戸を閉めて、薄明かりのともる町の中へ姿を消していった。クリスは大きく深呼吸をして簡単な問診の支度を始めた。

「クリス、帰ってたのか?」

 部屋の奥からアベルの呼ぶ声が聞こえる。

「えー、今帰ったところなのだけれど、お父様、これからまた出かけなければならないの」

 クリスは手を休めることなく父親の言葉に応対した。

「こんな時間にかい。そりゃあ、ただごとじゃないようじゃな」

「そう、そうみたいなの。でも、大丈夫わたし一人でまいります」

「患者はオデットかい?」

 クリスの手が一瞬とまる。

「可愛そうなことだ。だが誰も救うことはできない。この病は、本当に手ごわい」

 クリスはドアの外の気配を気にしながら、ゆっくりと父親の声のする方向へ目を向けた。そこには心配そうに娘を見つめる父親の姿があった。クリスは思わず大声を出しそうになるのを懸命にこらえて、それでも激しい口調で思いをぶつけた。

「魔女狩りなんて馬鹿げているわ。お父様、そんなことで、大事なお友達を失うなんて、わたし……」

 父親は娘の肩に手をかけて、悲しそうな顔をしながら答えた。

「そうじゃ。馬鹿げた話じゃ。科学の時代が来ようとしているこんな時代に魔女狩りなどと……しかし、今の医学や科学では病気で死に行く人を救うことは難しい。マルセイユが、あのマルセイユがとんでもないことになっているというじゃないか」

「でも、それは伝染病よ。悪魔の仕業でも神の天罰でもないわ。それなのにどうして魔女の仕業だなんて」

「そうじゃ。馬鹿げた話じゃ。しかし、その馬鹿げた話で、一人娘を危険な目に合わせることは、もっと馬鹿げた話だとは思わんかね。クリス」


 ジャンの前では気丈に振舞っていたクリスも、父親の前ではまだ17歳の少女であった。クリスは泣き崩れ、父は娘をやさしく抱擁した。

「でも、わたし、行かなければならないの。ジャンが話を聞いてくれるといってくれたわ。それでどうなるかわからないけど、可能性を捨てたくないの。危ないことはいたしません。どうかこのままわたしをジャンの家まで行かせてください」

「クリス……ワシは母さんを救うことができなかった。その上娘も救えないとあっては、なんと悲しい人生だと思わんかね」

 今度はクリスが父親をやさしく抱擁した。

「お父様、お父様はなすべきことをなさり、そしてお母様を救うことはできなかった。でも、できることをしなかったわけではないでしょう? わたしにはわかるの。お父様がわたしをマルセイユに預けてまで、この町で医師として戦い抜くことを決心した理由が……だからお願い。わたしにもお父様のような強い生き方をさせてください。わたしはお父様の子であり、朝ないころの記憶の中にしかいない、やさしいお母様の子なのです。クリスティーヌは、お二人の名前を汚したりはしませんから」


 クリスはアベルの額にそっと口付けをし、再び身支度を始めた。アベルはそんな娘の姿を少しの間、愛おしく見つめていたが、不意に何かを思い出した様子で部屋の奥に姿を消した。クリスはそのことに気づいていたが、一通りの荷物を確認し、すぐにでも外に出られるよう、身なりを整えていた。そこへアベルが戻ってきた。

「これを持っていきなさい」

「お父様それはなんですの? わたしは何も危ないことをしようというのでは……」

「これは危ないことをするためではなく、危ないことを避けるためのものだよ。クリス」

 父親の手には柄にきれいな装飾を施してある短剣が握られていた。探検は細身で柄から剣先まで15センチほどのものであった。短剣と一緒に皮でできた鞘もある。鞘には皮ひもが巻きつけてある。


「こんなものを診療カバンに入れているのが見つかったらそれこそ大変なことになるわね」

 そういうとクリスティーヌは父親から鞘に収めた短剣を受け取り、突然スカートをまくり上げ、足を診療かばんの上に置くと白く細い太ももに短剣を縛り付けた。

「失礼。父親にも見せたくない失態ね」

 クリスは父親に方目をつぶって見せた。父親は右手で目を多い、指の間からたくましい娘の姿を見ながら首を横に振った。

「時間よ、そろそろ行くわね」

「無理は行かんぞ。ジャン・フォンティーヌはいい男だ。父親のエリックとワシとでは馬が合わんが、あれはあれで決して悪い男ではない。なにより町のことを第一に思っておる。力にはなってくれるかもしれんが、甘えてはいけないよ。それに……」

「安心してお父様。油断もしないわ」


 父親の両方の頬にキスをし、クリスは家を飛び出した。

「神よ。あなたは妻だけでなく、まさか娘までも私から取り上げようというのですか? あなたの罰は私にあるべきで、妻や娘には何の罪のないというのに」

 父親は信じていない神に、ただ祈るしかなかった。





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