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朔夜~月のない夜に  作者: めけめけ
第2章 闇に包まれて
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第39話 狼憑き

 最初に異変を察知したのはジャンだったが、声をかけたのはクリスだった。

「近くに人の気配があるわ」

 ジャンは、静かにうなずきクリスに自分のそばに来るように合図した。クリスは物音を立てないように腰をかがめながらジャンの座っているすぐ横に壁を背にして腰掛けた。扉の隙間からジャンが外の様子を伺っている。普段でもここに人が近づくことは少ない。まして、このような非常時に町のはずれに人が来るというのはそれだけで異常なことである。おそらくは――


「町の人たちが私たちを探しているのか、それとも――」

「わからない。町の人なら僕がここから出て、武器になるようなものがないか探しにきたのだといえば、やり過ごせるかもしれない」

「でも、危険よ。それでバレたらジャン。あなたの身に危険が及ぶかもしれない」

「でもこのまま、二人でいるところを見つかってしまっては、どのみち同じことになる」

「もう少し様子を見てみましょう。何か話をしているようだけど、よく聞こえないわ」

「二……、いや三人かな」


 ジャンとクリスは、小屋の隙間から人の気配がするあたりをのぞいてみたが、視界には人影らしいものは見当たららない。声も会話というよりは、騒いでいるだけのようだった。言い争いをしているのか、笑い声なのかよくわからない。しかし、それは確実にこちらの方に近づいてきていた。声が近づくにつれてそれが二人や三人ではないことが分かった。人と人との距離が少し離れているようだ。広い範囲から声が聞こえる。4人、いや5人以上いるのかもしれない。やがて一人の男の姿がジャンの視界に入ってきた。一瞬ジャンはわが目を疑った。

「狼? いや、違う。狼の毛皮を被っているのか?」

 声の割に姿がすぐに見えなかったのは、そもそも探している視線の位置が高すぎたのだった。彼らは四つん這いのような低い姿勢でしかも獣の毛皮を頭からすっぽりとかぶっていたので、人の姿を探しているジャンの視界には入らなかったのである。


「あれはいったいなんなんだ。人狼なのか?」

「それがどういうものか見たことはないけれど、もしかしたら狼憑きかもしれないわ?」

 狼憑きとは、人狼の一種ではあるが、もともとが人間で変身することはできない。呪いや魔術によって精神を狼に変えられてしまった人々を狼憑きと呼んでいた。人知を超えた能力こそは持っていないが、凶悪さでは人狼と変わらない。人の姿をし、その上に獣の毛皮を被り、狼になったような行動をするのである。農作物や家畜を略奪し、時には人を脅し、金品を奪う。


「うまくやり過ごせればいいが、もしダメなときは……」

 ジャンはエーベルハルトから預かった2連装式の小銃を手に取り、装備を確認した。

「それは何発撃てるの?」

「弾は2発。相手は5人以上。最初の一発は脅しで、あとは撃つぞというふりをして逃げるしかないな」

「ごめんなさい、ジャン。私のためにこんな危険な目にあわせてしまって。私どうしていいか――」

「いいんだよ、クリス。僕は君を守りたい。ただそれだけなんだ」

 ジャンの優しい言葉にどうこたえていいのかクリスはためらうことしかできなかった。ジャンは震えるクリスをきつく抱きしめ、クリスは無力な自分をただただ疎ましく思い、身を震わせるしかなかった。


「来る!」

 いよいよ狼憑きたちの声が小屋のすぐそばまできたとき、二人はそれぞれに覚悟を決めた。クリスはジャンを、ジャンはクリスを守るために、自らが犠牲になることを心に決めたのである。


 グゥガァーー!


 狼憑きが奇声をあげて突進してくる。


 ドドォーン!


 小屋に激突する音。


 ガリガリガリガリ


 壁をひっかくような音


 ウォウォーーー!


 遠吠え


 グゥー、ヒュー


 激しい獣のような息遣い


 ジャンは必死で扉を抑えた。クリスも一緒になって扉を抑える。扉の隙間から血走った目をした人であって人でないものの姿を見たとき、何とも言えない嫌悪感を覚える。髪の毛が逆立つような感覚。彼らの存在そのものが憎悪の対象であるかのようであった。かつて二人はこれほどまでに何かに対して憎悪と嫌悪感を抱いたことはないように思えた。人狼に対しては圧倒的な人知を超えた存在――そこにも憎悪や嫌悪はあるが、それ以上に恐怖という感情が先に立っていた。それは古からの関係性――狩る者と狩られる者という抗うことのできない自然の摂理として自らの無力さを享受する心境であるのに対し、狼憑きに対しては同じ人の姿をしていながら、まるで違う生き物であることへの不愉快さが優先していた。


「こんな連中に殺されてたまるか!」

 ジャンは守勢に回りながらも精神的には恐ろしく攻撃的な状態にあり、クリスはそれを意外に思いながらも、必死にならずにはいられなかった。


 バリバリバリ!


 扉のすぐ横の壁の一部がはぎとられ、外の光が暗い小屋の中に差した。次の瞬間、光の中から薄汚れた長い手が伸びてくる。クリスはすばやく小屋にあった柄の折れた鋤を持ち、一瞬突き刺すような大勢をとり、思いとどまって、柄の部分で殴りつけた。


 アウゥゥゥウ!


 痛みに耐えかねて腕を引っ込める。すかさず開いた穴をふさぐように内側から鋤を壁に向かって突き立った。狼憑きは悔しそうに隙間から中をのぞく。クリスの呼吸が乱れる。

「よくやったクリス」

 ジャンがクリスを案じて声を掛ける。一瞬クリスの顔に笑顔が蘇る。

「簡単にはやられないわよ」

 しかし、状況は絶望的である。このままではいつか小屋は壊されてしまうだろう。そうなれば最後の手段に訴えなければならない。やらなければやられるのである。人狼であれば何らためらうことはないが、狼憑きは人間である。人である以上相手を傷つけるのは本意ではない。しかしこちらも必死である。殺さない程度にという加減ができるような余裕はない。


『クリスに人殺しをさせるわけにはいかない』


 ジャンはクリスを危険から守ることとクリスの手を血で汚してはならないと誓った。





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