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朔夜~月のない夜に  作者: めけめけ
第2章 闇に包まれて
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第38話 隠れ家のクリス

 クリスは小屋の隅に腰を下ろし、膝を抱えるようにして身を隠していた。そこは町のはずれの小さな小屋。かつては農機具などの置き場所として使われていたが、小屋の持ち主が農作業をしなくなってから久しい。時々誰かがモノをとりに来たり、あるいは不要なものを置きに来たりしているようだが、そこに置かれているものは、どれも捨てるにはまだ使えそうであっても、手入れなしで使えるようなものは一つもなかった。


 ジャンとクリスはときどき、この近くで密会をしていた。それはクリスが魔女の疑いをかけられたオデットをどうにか救える方法はないかとジャンに相談を持ちかけたときから、2回ほどである。この小屋の持ち主は町の実力者であるフォンティーヌ家にここの管理を任せていた。誰も勝手にはこの小屋に近づかない。

「たった数日前よ。ジャンとここで話をしたのは……どうしてこんなことになってしまったの」


 昨晩、ローヴィルの町は恐ろしい事件に巻き込まれた。いったい何人の人が傷つき、命を落としたのかわからない。その悲しみも恐怖も癒えないうちに、クリスは更なる仕打ちを受けることとなった。およそ考えられないことではなかったが、今度はクリスがオデットと同じく魔女の疑いをかけられたのである。父アベルに頼まれて、いくつかの品物を町に調達に出かけたのは朝早くのことだ。家からでて数分もしないうちに、クリスは人狼に襲われすっかり様相が変わってしまった町とクリスに対して憎悪と恐れを持って視線を浴びせる町の人の変化に身の危険を感じた。戸惑っているクリスを次の行動に移させたのは一人の男の助言だった。


「もどられよ。あえて身を危険にさらす必要はなかろう」

 最初クリスはどこからその声が聞こえてくるのかわからなかった。あたりを見渡そうとして、視野を広く、感覚を外側に向けたとき、その声があらぬ方向から聞こえてきていることに気付き、ゆっくりと後ろを振り向いた。するとそこには大きな壁が立ちふさがっていた。声はその上の方から聞こえてきたのだ。クリスは、はっとして思わず身構えた。クリスの背後に驚くほど巨大な体躯の男が立っていたのである。


「あっ、あなたは……」

 クリスは不思議な感覚に襲われた。その男を観た瞬間、昨日の朝の惨劇、オデットのこと、そしてこの世のものではない存在――銀狼、そして人狼のことが脳裏に駆け巡った。深くフードをかぶった男の表情を見て取ることはできなかったが、視線は強く感じた。クリスは懸命に男にかける言葉を探そうとしたが、どういうわけだかまったく思考が働かない。

「もどられよ」

 再び男がクリスを促した。その言葉には怒気に似た迫力のようなものが含まれており、クリスを圧倒した。いつもの聡明なクリスであれば、黙ってその言葉に従う前に、そうすべきかどうかを一瞬のうちに判断できただろうが、その時のクリスは判断をすることよりも、男に従うことの方を優先すべきだと、身体が反応した。

「は、はい。そういたします」


 クリスは男に会釈をし、急いで家に戻った。父には男のことは話さずに、町の様子がおかしいこと、身に危険が及ぶ可能性が高いことをアベルに伝え、身を隠すことを決めたのだった。もしも家に籠城すれば、アベルの身に危害が及ぶことは明白で、クリスとしては自分のためにアベルを危険な目に合わせることはできなかった。結果的にアベルは幽閉されてしまったが、もしもクリスが囚われるようなことがあれば、アベルは命を懸けてそれを阻止しようとしただろう。しかし、クリスにはアベルがどうなったのかを知る由もなかった。


「あの人はいったい誰なのかしら……前に会ったことがあるかしら」

 深くフードをかぶっていたことと、見上げる角度があまりに高かったことで、まったく人相がわからなかった。それに、あのような体躯の男が、気づかれもせずに自分の背後にあれだけ近づいていたという事実は、のちにクリスの背筋を寒くさせた。

「さて、どうしたものかしら。いつまでもここにこうしているわけにもいかないわね。でもダメね。何も考えられないわ。こんなことって初めて」


 クリスは疲れ果てていた。親友のオデットを失ったこと、人狼の襲撃、身に及んだ危険、家族のこと、町の人々のこと。何一つ解決策のないまま無為な時を過ごしているような罪悪感。こういう時に何かを恨んだりできたらもしかしたらその方が楽なのかもしれないとクリスは思った。そして、それこそが魔女狩りなどというおぞましい行為に人々を駆り立てているのだという一つの結論に思考がたどり着いた時に、小屋のまわりに人の気配を感じた。クリスは瞬間覚悟を決めた。ここで誰かに見つかるのだとしたら、自分の運命はそれで終わるだろう。で、あれば、いっそのこと自ら命を絶った方がいいのではないだろうか。クリスの右手は膝に仕込んだ短剣に自然手が伸びた。


「クリス? そこにいるのかい?」

 クリスの思考は再び停止し、そして再起動した。それは聞き覚えのある声――

「ジャン? ジャン・フォンティーヌなの?」

「ああ、クリス! クリスティーヌ・クラウス!」


 クリスは立ち上がり、急いで、それでも用心深く、小屋の扉を開けた。そこにはよく見知った顔が微笑んでいた。クリスは思わず泣きだし、ジャンの胸に飛び込んだ。ジャンはクリスを強く抱きしめ、金色に美しく輝くクリスの頭を優しくなでた。

「無事でよかった。たぶんここだと思ったよ」

「ありがとう。ジャン。私、怖くて、辛くて、悲しくて、どうしたらいいのかわからない。わからないのよ、ジャン」

「いいんだよ、クリス。君は少しも悪くない。悪くないんだ」

 クリスは感情を一気に爆発させ、そのまま何もかも忘れて泣きじゃくりたいという誘惑に襲われたが、気丈にもギリギリのところで踏みとどまった。

「ジャン、教えて、お父様は、お父様は無事?」


 ジャンは思わず言葉に詰まった。そしてじっくりと言葉を選んで、状況だけを説明した。

「でも、大丈夫。エーベルハルト殿がそばにいる。あの人がきっと何とかしてくれるに違いない」

「そうね。ジャン。優しい人。今はあの方を信じるしかなさそうね。改めてお礼を言うわ。ジャン、来てくれてありがとう」

 クリスは強烈な疲労感に襲われ、そのまま意識を失ってしまった。ジャンはクリスを抱き上げ、小屋の中に横になれる場所を作り、クリスを寝かせた。自分は小屋の周りを一回りし、あたりに人気がないことを確認すると、戸締りをしっかりとして、扉にもたれるような格好で座り込み、ジャンもまた、眠りについた。


 静かな時間が流れる。しかし新たな危機が、二人に迫ろうとしていた。



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