第37話 アベル、囚われる
「くっ!このままでは」
エーベルハルトは一つの決断をした。危険を承知で人狼に密着し、発砲する。それしかない。しかし相手との距離を詰めることは容易なことではなかった。銃を構え引鉄を引き、銃身から弾が発射され相手に致命傷の一撃を与えるまでのイメージを頭の中でなんどか繰り返す。しかしそのどのパターンも人狼の鋭い爪に銃身をはねのけられるか、或いはすばやい動きや防御姿勢によって急所を外されてしまう。地団太を踏むエーベルハルトの肩にアベルが手をおいた。
「いかんのか?」
「ああ、しかし、何とかしなければ、犠牲者が……奴の動きを止めることができればいいのだが」
「獣を狩るには罠が一番じゃ」
「罠?」
「こいつを使って奴の動きを止めるんじゃ」
「爆薬を使うのか? いったいどうやって――」
エーベルハルトの言葉を遮りアベルがすぅーっと前に歩み出る。エーベルハルトは銃の構えを解くわけにいかず、アベルを止めることはできなかった。
「無茶はよせっ! 」
「外すなよ」
アベルは地面に落ちていた石ころを拾い上げ、左手に持っていた爆薬の入った包み紙に入れて包み込み、火の入っているランプを人狼の足元めがけて投げつけた。人狼は大きくよけることもせず、ランプを注意深く見た。自分めがけて投げられたランプは力なく足元に転がり、そこから漏れ出した油に火がつく。火は苦手だがこの程度の火は恐れるに足らない。人狼は不敵な笑みを浮かべてアベルを睨みつけ『無駄なことを』と言いたげな表情を浮かべていた。
「みんな伏せるんじゃ!」
アベルは叫び、下手投げで紙の包みを火めがけて投げ込んだ。人狼は投げ込まれた包み紙の放物線を目で追い、ことの成り行きを見守った。アベルの声を聞いた人のうち、半分の人間は身をかがめようとした。投げたアベルも体を地面に伏せる。その様子を見て人狼も身に危険を感じ身構えた。右に逃げるか、左に逃げるか、それとも後ろに跳びさがるか。エーベルハルトの銃口が人狼に狙いを定めて構えている。一瞬の判断で人狼は右側に飛びよける体勢を獲りつつ、放物線の終着点を見定めた。間違いなく紙の包みは炎の中に落ちるとわかった。次の瞬間
バーン!
爆炎と風圧。赤黒い炎が四方に飛び散る。人狼はもっとも開けた空間――上方に飛び上がった。その跳躍力は、獣のそれともまして人のそれとも違う。一気に4~5メートルは飛び上がったかのように見えた。人狼にしてみればエーベルハルトの予測を裏切る形で、まんまと狙いを外すことができたと確信していた。しかし上空から煙越しにエーベルハルトを見たときに人狼の背筋に戦慄が走った。
「なに! まさか」
エーベルハルトの銃口は人狼をしっかりととらえていたのである。飛び上がり、自由落下の大勢に入る落下点めがけて老練なハンターは一気に駆け出した。人狼がどれほど万物の潮流に逆らう存在であったとしても、一度宙に舞いあがれば、みな等しく地面に落ちてくるのである。人狼は垂直に飛び上がったわけではなく、やや右の方向に向かって飛んだのである。エーベルハルトはその落下点に対してもっとも射撃がしやすいポイントに移動しながら人狼の落下する放物線と銃口から発射される銀の弾丸の直線がもっとも重なり合うポイント、つまり落下する真下に近いところまで駆け寄り背を地面に滑らせ、落下してくる人狼めがけて引鉄を引いた。
ズッドーン!
撃った次の瞬間エーベルハルトは体をよじらせて人狼の落下位置から自分の体を逃がす。人狼の落下は一瞬速度を鈍らせたが、すぐに地面への降下を再開した。エーベルハルトの放った銀の銃弾は確実に人狼の胸元に命中していた。人狼はのけぞるような格好で地面に激突し、もがき苦しんだ。
グワァー! グワァー! グワァー!
人のそれとも獣のそれともちがう不気味な悲鳴はそれだけでも十分にその場にいた人々を怖がらせたが、人狼の姿が次第にあのみすぼらしい男の姿へと変わっていく様は、人々を狂気に追い込んだ。一人の若者が棒きれを握りしめ、その人狼だった男を殴り始めた。女たちは悲鳴を上げ地面から石を拾いあげ、男に向かって投げつける。手に武器を持てる者は次から次へと男に殴りかかった。
「悪魔! 悪魔め!」
「殺せ! 殺すんだ!」
「焼き殺すのよ! 誰か火を!」
エーベルハルトはひどく憔悴しきった表情でしばらくその様子を眺めていた。エドモンド司祭は地面にひれ伏して神に祈りをささげている。アベルは静かに立ち上がり、ゆっくりと家の方へ歩き出した。
「魔女を! 早く魔女を探し出して焼き殺さないと!」
さんざんみすぼらしい男を殴りつけた男の一人が言い出した。
「そうよ。あの娘はどこなの」
もはや誰も群衆を止めることはできない。恐怖から始まった憎しみの連鎖は、狂気となって人々を突き動かす。アベルにはもう抵抗する意思はなかった。エーベルハルトは必死にアベルを助け出そうとしたが、もはやどうすることもできなかった。アベルは縛り上げられ暴行を受けた。家の扉は壊され、家の中はめちゃくちゃにされた。家の中にクリスがいないと知ると、群衆はますますアベルを責めた。アベルはすでに責めに耐えきれずに何度も気を失ったが、そのたびに水を掛けられ、町の人々に罵声を浴びせられたが、ここでようやくエドモンド司祭が仲裁に入り、教会への軟禁が決まったのは昼過ぎのことである。
「すまん。力になれなくて……」
「いいんじゃ。気にするな」
教会の中の一室。エドモンド司祭はどうにか町の人々を説き伏せてエーベルハルトとアベルが話ができるように取り計らった。エーベルハルトはエドモンド司祭を通して、町の人々にクリスが魔女であるかどうかは別として、今後の人狼の襲撃に備え、それぞれの家の扉や窓に補強をするか、それができない者は、堅牢な家に一時的に避難すること指示した。
「まったく。魔女狩りなどと……」
エーベルハルトは苛立っていた。いつまでも町の人からクリスとジャンが隠れていられるとも思えない。今夜中に彼らの安全を確保したいが、不慣れなよその町ではそれもままならない。いっそ二人を連れて馬車でこの町を出ることを考えたが、自分なしではこの町は1週間もたたずに人狼によって破滅させられるだろう。それはおそらく枢機卿の意に反する。人狼の目的は間違いなくこの町の人々を恐怖に陥れ、精神的に追い込むことを愉しんでいる。人を食い殺すのが目的ならば、今朝のようなことはあえてする必要がない。
「わしにもあの子たちの居場所はわからん。それはかえって都合がいいのじゃが、連絡の取りようがないのも困ったものじゃ」
エーベルハルトは傷ついたアベルをいたわりながら、おそらくは二人の方からコンタクトを取ってくるだろうと予想していた。クリスの身が、一時的に安全となればおそらくはジャンがアクションを起こすだろう。そのためには自分がジャンと連絡が取りやすい状態にあることが望ましい。
「ジャンと連絡が取れるよう私はここを出て町の様子を見てくる。いずれにしても今夜の人狼の襲撃にも備えなければならない。今はやるべきことをやるしかないだろうと思う」
アベルは小さくうなずき、そして眠りについた。状態はひどく、すぐに医者に診せる必要があるように思えたが、アベルはそれをよしとしないだろうし、ローヴィルの誰であろうと、アベルの治療をしようなどと言うものはいないこともよくわかっていた。幸いエドモンド司祭には多少に医術の知識はあった。今はエドモンド司祭に任せるしかなかった。
「エーベルハルト殿、このようなことになって、いったいどうしたものなのか。恐ろしや。恐ろしや」
エドモンド司祭にしても町の人々から魔女についてあれこれ聞かれても正直対応に困っていた。少しでも煩わしいことから遠ざかりたいという気持ちが、結果的にアベルの面倒をみるということになったわけである。
ローヴィルの町の上空に分厚い雲がかかる。昼間だというのに家の中で灯りをともさなければならないほどに暗かった。人々の心の中はそれ以上に闇に包まれていた。グスタフは心の闇の声に耳を傾けながら町の中を徘徊した。自分を呼ぶ声がかき消され、思うように身動きが取れないことに多少の苛立ちを感じながらも、着実に金髪の少女の隠れる小屋へと向かっていた。
「汝、我を呼ぶか。我、汝の闇の声に応えん」




