第31話 策謀
エドモンド司祭は不本意な状況で、不本意な立場に追いやられ、さらに不本意な誤解を受けたまま結局はエーベルハルトに相談しなければ何も出来ない状況に苛立ちを募らせていた。
「まったく! どうして私がこんな目に会わなければならないのか! それもこれも枢機卿が……いやいや、エーベルハルトときたら……大体この町の連中ときたら……」
エドモンド司祭はエーベルハルトに相談しなければ何も出来ない彼自身のふがいなさについては、最初からわかっているのか、或いはまったく気にならないのか。それは彼自身にも、ましてエーベルハルトになどわかりようはずもなかった。一度はエーベルハルと別行動をとることになったことを喜んだエドモンド司祭であったが、2日もしないうちに彼はエーベルハルトに頼らざるを得なかった。そしてそのエーベルハルトの所在がわからないという状況にすっかり途方に暮れるしかなかった。
「まったく、エーベルハルトはどこにいったのだ」
エドモンド司祭はエドガー司祭に頼んでエーベルハルトがいるはずの町のはずれの小屋に人を遣わせた。その遣いの者が、町の有力者――エリック・フォンティーヌの息子、ジャン・フォンティーヌとエーベルハルトが行動を共にしていることはつかめたものの、どこで何をしているのかまではわからなかった。エーベルハルトを探している数時間のうちに、町の状況は刻々と動き出していた。それもエドモンド司祭が恐れる悪い方向にである。
「わ、私はそんなことは……」
もはや手遅れである。エドモンド司祭はエーベルハルトと相談して事態に当ろうとしていたが、狼の群れに襲われ、恐怖と不安に駆られた町の人々が教会に救いをもとめて集まりだした。対応に迫られたエリック司祭は、エドモンド司祭が町を救ってくれると言い逃れたのである。いや、実際彼はそうしてもらえるものだと信じていたし、信じる意外の方法を彼は考えも付かなかった。不安に駆られた町の人々は魔女がまだ町にいてそれがすべての現況であり、一刻も早く魔女を探し出さなければならないと騒ぎ出していた。
事態の収拾に当ろうとしていたエリック・フォンティーヌが教会に着いた頃には、誰一人として冷静に話が出来る者はいなかった。
「こ、これはどうしたことか! みんな、冷静さを失ってはいかん! これ以上犠牲を出すことは……」
エリックの悲痛な叫びは数十倍の怒号と悲鳴でかき消された。
「犠牲者はもうでている。夜になれば、また狼は襲ってくる。早く手を打たなければみんな殺される!」
「魔女がいるのよ! きっとどこかで私たちをあざ笑っているにちがいないわ!」
冷静さを失った群衆は暴徒と化す寸前であることは誰の目にも明らかであったが、このようなときに冷静でいる人間の方がかえって怪しまれるのかもしれない。だれもエリックを疑おうとは思わなかったが、彼を信じて救われると信じられる状況でもなかった。そしてついにその時は訪れた。
「だれか魔女に心当たりはないのか! 私は――」
あまり見かけない男であった。長く伸ばした髪の毛を後ろで結わき、どんよりと曇った空のような暗い色をしたシャツにズボン。肌の色の白さが不気味なほどに目立つ。ひ弱そうに見えて、目は爛々と輝き、唇が異様に赤い。男は悲痛な顔をしながら群衆に向かって叫んだ。
「私の家族は昨日の夜にあの狼の群れに殺された。私は用があってしばらく家を空けていた。早朝に家にたどり着いたらこの有様だ。この世には神はいないのか! 誰か私の家族の敵を――」
男は声を震わせ、目を真っ赤にしながら群衆に向かって喚き散らした。時々卑屈な笑みを浮かべているかのように見える表情からは、動揺と混乱がにじみ出ていた。誰もが一瞬男の叫びに耳を貸し、注目した。その刹那、男はこう言い放った。
「聞けば先にオデットという少女が魔女と疑われ、裁判にかけられたという。おそらく彼女は魔女だったのだろう。しかし一人ではなかった。きっとほかにもいるに違いない。魔女は一人、また一人と仲間を増やすらしい。一日も早く魔女を探し出して業火によって浄化しなければきっと恐ろしいことが起きるに違いない」
「そうだ! 魔女を探し出して火あぶりにしろ!」
「私たちをこんな目に合わせた魔女はどこにいるの?」
「どこだ! どこにいる!」
「オデットと関係があるものが魔女なのか?」
「オデットの家族はどうした?」
「オデットの家はもの家の殻よ」
「なんだって、それじゃやっぱりオデットは魔女だったのか」
先ほどまで悲しみに声を震わせていた男はその場にうずくまり、群衆の中に消えていった。もはや誰の記憶にものこっていないその男は、いつの間にか群衆から少し離れたところで人々の様子をうかがっていた。男は卑屈な笑いを浮かべている。そこに数人の男たちが身を寄せてくる。
「なんであのオデットとかいう小娘の家族をわざわざ町の外で殺させたのか。わかるか? これでますます狩りが楽になる。奴ら魔女狩りに必死になって、ほかのことを考えられなくなっている。怖ければ逃げればいいのだ。不安なら扉を頑丈にすればいい。しかし、今はそんなことを考えられないだろうよ」
テオドールと呼ばれたその男は先ほどまで家族を狼の群れに殺されたと叫んでいた男とは思えないような卑屈な笑みを浮かべていた。
「クゥクックックッ……憎しみ合え、殺しあえ、隣人を疑い、闇に恐怖しろ」
暴徒と化した群衆はその不安と怒りからくる衝動を抑えることができなくなっていた。そしてまずはオデットの家に行き、ほかの魔女とのつながりを示すものがないか探しだろうという話になった。もはや誰にも止めることはできない。人々はどうやって魔女の証拠を見つけ出すか。何を探せばいいのかをエドモンド司祭に求めた。あまりの群衆の勢いにエドモンド司祭はその訴えを断ることができず、彼らとともにオデットの家へと行くことになった。エリックはそれを阻止しようと努めたが、誰も彼の言葉に耳を貸すものはいなかった。こうしてローヴィルの町は狂気の渦に飲み込まれていった。