第3話 密会
魔女の疑いをかけられた友人を助けようと、町の実力者の一人息子ジャンに助けを求めたクリスだったが……
銀色の狼に金髪の少女が出会う一か月ほど前、少女は暗闇の中にいた。それは銀色の狼の持つ闇とはまた違う、静かで、それでいて決して抗うことのできない自然の摂理。夜の闇の中で彼女は困惑していた。
「理にそむくものなどあってはならないことだよ。クリス」
夜の闇はひんやりと静まり返り、ひそひそと話す声が、かえってどこかの誰かに聞かれてしまうような感覚に襲われる。若い男は、闇に潜む何かに怯えていた。
「あなたの言う理ってなによ。あなたの理と私の理に違いがあるとしたら、それはどういうことかわかる?」
暗闇の中でもクリスと呼ばれる少女の髪の毛の色は輝いて見えた。クリスティーヌ・クラウスもまた、闇の中の何かに怯えていた。しかしそれは、若い男のそれとは少し違っていた。
「君は間違っている。いや、間違っているのではなく。違ってしまってるんだ。みんな君のお父様の……」
「ジャン、お願い、その話はやめてちょうだい。それに、私は何も間違ってはいないわ。そしてあなたもまちがってはいない」
気持ちを抑えようとする少女の試みも、彼女を落ち着かせようとする彼の試みもまるで実を結びそうになかった。
「じゃぁ、どうして。どうして君は僕の言うことを、みんなの言うことを信じてくれないんだ」
「だって、ジャン、魔女なんて」
「シーッ! 声が大きいよクリス。こんな話をしているところを誰かに見られただけでも……」
「それがなによ! 間違っていることは間違っているわ。どうしてオデットがあんなひどい目に」
「だってそれは」
「お願い、ジャン。助けてちょうだいオデットは私の大事な友達なの」
「クリス……僕は、僕には……」
「ジャン……世界の理なんて、誰がそのすべてを知るというの? あなたの言っている理も私が言っている理も、広い世界の中のほんの一部でしかないのよ」
ジャンは大きな声で、しかし、誰にも聞かれないように細心の注意を払ってクリスに言った。
「クリス、神の教えに疑問を抱くというのは、神への冒涜ということ以外なにものでもないんだ。世界の理なんてどうでもいい。この町の、このローヴィルこそが僕たちの世界だ」
クリスは早くこの不毛な会話から抜け出し、行動に移りたかった。しかし、何をどうすればいいのか、まったく考えが浮かばなかった。このままでは親友の命が危ない。あの可愛らしい、いたずらっぽく笑った顔がまるで妖精のような少女の命が危ないのである。ともかく協力者を得たいと思ったクリスは、ジャン・フォンティーヌに声をかけたが、やはり、魔女裁判に異議申し立てることなど、この町の誰も出来ることではなかった。
魔女裁判――中世ヨーロッパにおいて、数万人、研究者によっては数百万人が犠牲になったといわれている。
ジャン・フォンティーヌはフランス東部の小さな町の実力者の息子であり、人望も厚い。クリスが彼を頼ったのは、もちろんそのことが一番の理由であるが、片田舎の小さな町で、数少ない『外の世界』を知るもの同士、魔女狩りなどというものがどれだけ理不尽かつ不当なものであるか理解していると思ったからである。その考えは間違ってはないなかった。
しかし――
「いいかいクリスティーヌ。こんな話を誰かに聞かれるだけだって、君も僕も危険なんだよ。今年は……今年は運が悪かった。そしてオデットも」
「ちょっと待ってよ!運が悪いって、運が悪いだけでどうして、私は大切な友人を失わなければならないのよ。そんなこと。そんなことって」
クリスは言葉を詰まらせた。クリスもわかっているのだ。今年は1720年は最悪な年だ。マルセイユで大発生した疫病は何万もの死者を出し、その被害はこの町にも及んでいる。天候が悪く農作物に甚大な被害がでている。誰だって、何かのせいにしたい。その社会的被害妄想が生み出す悪習こそ『魔女狩り』と呼ばれる生贄を捧げる儀式なのだとクリスは考えている。しかし、それは都会に出て広く知識を得た人間の考えであり、閉鎖した小さな町の中では、万有引力も地動説も神や悪魔の仕業となんら区別はつかなかった。
「彼らに何を言っても無駄さ。君にもわかるだろう。それにオデットは……」
「オデットが何をしたというの。彼女は何も悪いことはしてない」
クリスは友人の名誉を守るために語気を強く荒げた。そして次にはクリスは懇願する目でジャンを見つめてみたが、ジャンは視線をずらし、首を振るだけだった。
「お願いだ。クリス。もうこれ以上、僕を困らせないでおくれ。それにこのままじゃ君にも害が及ぶかもしれない。もうこの話は終わりだ」
ジャンは苦悩した。ジャンにもクリスのいっていることが良くわかる。しかし、それでどうなることでもない。下手に同調し、クリスが無茶な行動を……たとえば他に協力者を仰ごうなどということはさせてはいけない。そんなことになれば、今度はクリスに身に危険が及ぶ。今は、こうするしかないんだ。そう自分に言い聞かせ、再びクリスに向き合った。
「もう、戻らないと。そろそろ誰か気づく頃だ。さぁ、クリス。お願いだから僕の言うことを聞いておくれ」
ジャンの悲しそうな表情は、さらにクリスを悲しくさせた。私は今、二人の友人をなくそうとしている。でも、ジャンとの友情はまだ、壊れたわけではない。自分さえ、彼の進言を聞くのであれば……
「でも それは できないわ」
友達一人見捨てることで、それでその後の世界が変わらないわけがない。きっとうまく行かなくなる。守らないといけない。大切なものは、自らの手で守らなければならない。
――それをしなかったことの後悔は、それをできなかったことの後悔より、深く、辛く、長いものになる。
金髪の少女は、そのことをよく知っていた。