第29話 惨劇の町
いつもの朝とは全く違う絶望の夜明けである。ローヴィルには150人ほどの人が住んでいる。夜明けとともにいつもであれば朝の支度で町中から生活の音があちらこちらから聞こえてくる。窓やドアの隙間からこっそりと外の様子をうかがう人の気配。それはまるで野兎が巣穴からこっそりと外の様子をうかがっているかのようである。そう。ローヴィルの人々は狩られる側なのである。
静寂はいつしか、悲嘆と嗚咽、そして恐怖と絶望に変わっていく。自分の安全をどうにか確認できた人々は、隣人の様子をうかがう。するといつもは明るく朝の挨拶を交わす隣人の家の扉は開かれており、窓が開け放たれている。声をかけるも返事はない。恐る恐る中をのぞくと、そこには地獄のような光景が広がっている。隣人の家族は女も子供もみな床に倒れ、五体満足なものは一人もいない。皆一様に首のあたりから血を流し、衣服は破られ、鮮血で真っ赤に染まっている。襲われた家には生存者は一人としていないという凄惨な状況であった。
「ああ、神よ。何てことだ……」
人々は手を合わせ天に向かって祈りをささげるしかほかになかった。やがて人々は口にする。
「どうして私たちがこんなひどい目に合わなければならないのだ」
「あの悪魔の使い……狼男を呼び入れたのは誰なんだ」
「オデットは、あの子は死んだ。それなのに、この町の不運は続いている」
「あの子じゃなかったのか。魔女はほかにいるのか」
「魔女の仕業だ。それしか考えられない」
「魔女を探せ」
「魔女を見つけ出せ」
「見つけ出してしばりつけろ」
「そして火をつけろ」
「業火で焼き尽くせ」
フォンティーヌ邸に続々と人が集まる。町の人々の話は要領を得ない。エリックは懸命に人々をなだめ、励まし、時には叱った。物事の優先順位を決めて、一つ一つ対処するほかはない。まずは被害の確認と、遺体の収容である。それからその遺体をどう処理するかを決め、次に夜に向けての対策を講じなければならない。間違いなく狼の群れはまた、町を襲うだろう。被害を最小限にとどめること、そして狼の群れを撃退すること。しかし、わかってはいてもエリック自身精彩を欠いていた。なぜなら彼もまた、一人息子の行方が分からない状態であったからである。昨晩の口論ののち、息子ジャン・フォンティーヌと別れてから息子の姿をみていない。深夜に家を出た形跡があった。もしそうなのであれば、息子の命は……
しかしほどなくして、息子の安否が確認された。どうやらあの老練なハンターと行動を共にしているらしかった。その話はハンターが宿泊している町はずれの近くに住む老夫婦から聞かされた。
「あの御仁は私たちが狼に襲われそうなところを銃で威嚇して助けてくださった。今朝がたお宅の息子さんと現れて、大丈夫かと様子を見に来てくださった。私たちがこうして生きているのは、あの御仁のおかげです」
さらに、いくつかの証言から、エーベルハルトが何頭かの狼を見事射殺したことが分かった。そして、ハンターによって撃ち殺された狼は、見る見るうちに人の姿になり、あるものは白骨化し、あるものは肉塊と化していったという。いずれにしても普通の人では立ち向かえない魔物に対して、あの老練なハンターは、抗うすべを持っていることが分かったのである。
「ならば、あの御仁に頼むしかあるまい。この町を救ってくれと……どうかあの凶悪な狼どもから我らを守りたもう、と」
エリックは早速ハンターとの接触を図ろうと、フォンティーヌ邸を出る支度をしていたが、次の知らせはエリックを困惑させた。
「エリックさん、大変です。町のあちこちで魔女をさがせ、魔女を火あぶりにしろと町の人々が騒ぎ出しています。中には町中の女性を魔女であるかどうか調べ上げろととんでもないことをいう連中も……」
「馬鹿なことを! そんなことをしたら、この町は……なんてことだ。こんなことになるとは」
エリックは試案を巡らせ一つの答えを見つけ出す。
「そうだ。あの旅の司祭にお願いしよう。エドガーではあてにならん。まだあのエドモンドとかいう司祭の方が頼りになるだろう」
エリックは一刻も早くエーベルハルトにあって事態をどう収拾すべきかを相談したいところだった。しかし、このままでは無差別に罪のない者がオデットと同じ目に合ってしまう。
「犠牲は一人でいい」
エリックの脳裏にレイナルドのことが犠牲者の一人として浮かばなかったことは、責められるべきことではないだろう。それにエーベルハルトと話をする前にエドモンド司祭に会うことは決して無駄ではないという計算もエリックにはあった。それに運が良ければ教会でエーベルハルトに会うこともできるかもしれない。そして息子とも……
「これから教会に出かける。もし私を訪ねて誰かが来たら、教会に来るように伝えてくれ」
フォンティーヌ邸にはエリックとジャンのほかに二人の老夫婦がいる。彼らは古くからこの家に仕え、息子よりも付き合いが長い。
「エリック様。坊ちゃんは無事なのでしょか」
「心配はいらないよ。あの子はああ見えてしっかりしている。芯の強い子だ」
息子の安否を心配する老夫婦を気遣った言葉なのか、自分に言い聞かせた言葉なのか。エリックは護身用に銃を引き出しから取り出し、携帯することにした。実用的な銃というよりは、装飾品に近いものではあったが、それでもないよりは、はるかにましに思えた。
フォンティーヌ邸を後にしたエリックは、教会への道すがら、被害にあった家を何軒か見舞った。見舞うといっても、その家の人間は皆殺しに会っているのだ。変わり果てた隣人の姿に泣き崩れる人々に声をかけながら「手厚く葬ってあげよう」という言葉しか思い浮かばない自分の無力さに怒りにも近い思いが込み上げてきた。
「エリック。ねぇ。どうして。どうして私たちがこんな目に合わなければいけないの? 魔女を脅かしたから? 魔女を焼き殺そうとした私たちを、この町のどこかであざ笑っているの? いったい誰なの?」
「ゴードン夫人。どうか落ち着いてください。ここ町に魔女がいるのなら必ず私がなんとかしよう。だからどうか落ち着いてください。すべて私に任せてください」
エリックは自分が何を言っているのか意味が分からなくなっていた。魔女は自らが裁き、そしてこの町の魔女――この町の闇は消し去ったはずである。しかし、その消し去ったはずの闇は、さらに深く、そして人々の心をむしばんで言っている。オデットという犠牲者をだしながら、事態はまったく好転しなかった。自分はいったい何をやっているのだろう。そして――
「このままでは、このままでは終わらんか。神よ。これは私に対する天罰なのでしょうか? 罪もない人間を犠牲にした者への罰なのであれば、私だけに下せばよろしいものを……」
その覚悟はできていた。できていたつもりであった。一人の犠牲でこの町が救われるのであれば、そのことが理由でたとえ自分が地獄に落ちることしても、後悔はしない。そう心に決めたからこそ、エリックは魔女狩りを容認したのである。
「一度狂いだした歯車は……」
エリックは教会へと急いだ。しかし事態はエリックの考える最悪をすでに超え始めていたのである。




