第28話 潜入
我は、闇の眷属なり。我、月の灯りとともにその姿を獣と変え、地を走り、闇を切り裂き、血を求めるなり。我の血は、神の理に叛き、闇に生き、光を忌み嫌うものなり。
人の言う。闇に落ちた魂は、卑しく、さもしく、汚らわしく、醜く、おぞましく、人の忌み嫌うものなり。
我、それを知らず。我、それを解せず。我、それを省みず。我、それを語らず。我、それを是とせず、非ともせず。
我、あるがままにある。ないものがないように我はそこにあってほかのどこにもない。我の血は我の血であって、人のそれにあらず。我は、闇の眷属なり。人と相容れず、相まみえず。相まみれれば、切り裂き、噛み千切り、喰らい、血をすするのみ。
我は、闇の眷属なり。我、月明かりに吼え、闇に潜み、闇に潜り、闇に疾走し、闇に疾駆する。人に出会えば人を喰らい、神に出会えば神を汚す。闇に生き、光を忌み嫌うものなり。
人の言う。闇に潜むものは、大きな目、大きな耳、大きな鼻、大きな口、大きな爪を持ち、闇に迷い込んだものを喰らうのだと。さにあらず。我の眼は、月を捜すためにこそあり。我の耳は風の音を聴くためにこそあり。我の鼻も我の顎も生きるためにこそあれ、殺すためにあるものにあらず。大きな爪も大地を駆けるためにこそあり。
我、望まず。月の光の命のまま、我の血の欲するままに闇を疾駆するのみ。我、拒まず。月の光の命のまま、我の血の欲するままに咆哮するのみ。我駆けるところに人の血が流れるのも定め。我吼えるところに人の命尽きるのも定め。
我は、闇の眷属なり。
我は、闇の眷属なり。
「血の匂い……それも複数の人間の血。いや、それだけに非ず。闇に落ちた魂も土に帰したか」
夜も明けようとしている。静かな夜である。しかしその静けさは、いつもの静けさとは違う。息を殺し、嵐が過ぎ去るのをじっと待ちわびる人の恐怖による沈黙。生きることへの絶望。抗うことのできない力による支配。それはまさに闇の世界であった。
「この町を恐怖に陥れ、血なまぐさい殺戮を繰り返し、闇の支配を強めるか。邪な獣よ……」
その姿は獣にして神々しく、銀に輝く体躯は巨漢にて躍動感に満ち、見る者を圧倒する威厳と何物も触れることのできない狂気を併せ持つ銀狼――闇の眷属。
「あの男――あの卑屈な男の名はなんといったか」
銀狼は獣にして獣に非ず。人のように二本の足で歩き、二本の腕で大木を持ち上げることができる。しかし人に非ず。狼の力と人の力を併せ持つ魔物――人はそれを狼男と呼んで忌み嫌う。狼男は人と同じように言葉を使い、物事を思考する。しかし、獣でもある彼らは記憶を長くとどめておくことができない。それは人が人でなくなった代償なのか。獣が人になりきれなかった摂理であるのか。獣としての――生存競争に生き残るために必要な事柄は覚えているが、人や物の名前や人間のような複雑な思考の経緯、相関関係などはほとんど覚えていられない。いや、出し入れが不自由な記憶の奥底に記憶の断片がごちゃ混ぜに捨てられてしまうのである。
銀狼には、はっきりとあの卑屈な男の――灰色の狼の特徴が思い浮かばれた。
長く伸ばした髪の毛を後ろで結わき、闇に溶け込むような暗い色をしたシャツにズボン。肌の色の白さが不気味なほどに目立つ。ひ弱そうに見えて、目は爛々と輝き、唇が異様に赤い。男は卑屈な笑みを浮かべながら、それでいて目はまったく笑っていなかった。すべてがアンバランス。
「奴のことだ。おそらくは町を襲い、その混乱に乗じて人の姿で町にもぐりこんだか。我も人の姿となり、この町の闇を見つめ、奴の目を欺くかよいか」
銀狼は、月の光から身を隠し、人の姿へと変身した。身の丈2メートル、肌の色は日に焼けたように褐色でたくましく、大きな肩幅、分厚い胸板。その上に野太い首があり、がっちりとした顎、口は真一文字に引き締まり、大きな鼻、鋭く切れ長な目をしている。瞳は黒く、髪の毛はさらに黒々としていて肩のあたりまで伸びている。明らかに異国の男である。
「久しく人の姿にはなっていなかったか。しかし、このままでは目立ってしまうか」
男は自分の両腕を方からまっすぐ前につきだし、肌の色を見つめていた。
「やはり、やらないよりはましか」
そういうと男は腰のあたりから革製の小さな袋を取り出し、口をしているひもを緩めた。その中には白い灰が入っており、男はそれを体の見える部分に塗り始めた。
「人の目をだまし、獣の鼻を欺くためにはしたかがない」
手早く作業を済ませると、男はダークグレイのローブを身にまとい、ローヴィルの町の中に足を踏み入れた。夜が明けようとしている。月は空に溶け、星は何も語らず輝きを失っていく。どんよりとした朝霧が邪悪なるものの姿を覆い隠すかのように町を包み込みこんでいく。恐怖に耐えきれなくなった鳥や獣が、何かに怯えるように一斉に騒ぎ始める。
かくして殺戮の夜は明けて、絶望の朝が訪れた。